第5話-1_料理は魔法じゃない
沖縄遠征が終わってからというもの、宗谷くんは毎朝、決まった時間にやって来た。
インターホンが鳴る。
ドアを開けると、帽子とマスク、少しだけ眠そうな目。
「おはよう」
「おはようございます」
軽い朝食を取って、「行ってきます」と急いで去っていく。
アイドルって、もっとチャラいものだと思ってた。
夜更かしして、適当に食べて、体調管理は人任せで。
でも、宗谷くんは違う。
ちゃんと毎日、決まった時間にトレーニングして朝食を食べる。
こういう、見えない努力をできる人が、生き残れる世界なんだな。
……まあ。
私の朝ジョギングは、1日で完全に終了しましたが。
§
その日、いつもの時間になってもインターホンは鳴らなかった。
あれ?
急な用事かな、そう思いスマホを手に取る。
『今日は来ませんか?』
既読がつかない。
少し迷っていると画面が光った。
——『SOS』のスタンプ
「……え?」
次に、文字が一つ。
『ほかり』
……ほかり?
何それ。
頭の中で、単語を組み立てる。
ほ…か…ほかり……
……ポカリ?
体調、崩してる?
急に胸がざわついた。ライブもうすぐなのに。
すぐに電話をかける。
呼び出し音が続き、もうダメかと思った矢先に……繋がった。
「大丈夫?そっち、行こうか?」
返事はない。
荒い息だけ数秒続き——切れた。
心臓が嫌な音を立てる。
次の瞬間、位置情報と数字が来た。
『809』
……これ、部屋番号かな。
私は上着を掴んで、走り出した。
§
マンションのエントランスを抜けて、エレベーターに飛び乗る。
ライブ会場みたいに、警備員に阻まれるのを予測していたけれど、現実は意外とゆるかった。
八階。
廊下を小走りに進み、八〇九号室。
チャイムを鳴らす——返事はない。
でも、鍵は開いていた。
「失礼します!」
室内は静かだった。
カーテンは閉められていて、空気が少し重い。
最悪の事態が胸によぎり、私は叫んでいた。
「宗谷くん!」
寝室から、かすかな声で返答があった。
「……ここ」
ベッドに宗谷くんがいた。
顔が赤い、額に汗。
発熱、喉の痛み、食欲不振、軽度の脱水。
完全に風邪だ。
見ると、枕元には処方薬。
良かった、とりあえず病院には行ったみたい。
「薬、飲みました?」
「ううん…しょくじ…まだだから…」
持って来た経口補水液を口に含ませると、ごほごほと盛大にむせる。
ゼリー飲料とか、買ってくれば良かった。
背中が痛そう。
細い身体が、悲鳴を上げている。
なにか……まずは食べさせなきゃ。
「キッチン、借りますから」
自分でも驚くくらい声が落ち着いていた。
コンロの前に立って、すぐに火を入れる。
何があるか分からないから、材料は持ってきた。
ひとり分の冷凍ご飯を鍋へ。
水を多めにして弱火。
別の鍋で、だしを温める。
生姜をすり下ろし、いつもの蒸し鶏はフレーク状にして、だしに入れる。
——ちょっとでも食べてくれるかな。
トレイに乗せてベッドサイドへ。
「……いい匂い」
宗谷くんが目を細めた。
手をついて、重そうに上半身を起こす。
慌てて毛布を肩に掛けると、ドキリとするくらい熱が出ていた。
「少しだけでいいですから」
お粥をスプーンですくい、口元へ運ぶ。
「あーんして」の状態になってしまったけど、今は異常事態。
ファンの皆様、多めに見てください!
とろりとした白。ほわっとした湯気に、生姜の香り。
一口。
ゆっくり、宗谷くんの喉が動く。
「……あ」
その瞬間、肩の力が抜けるのが分かった。
「食べられそう?」
「……うん」
なら、スープも少し。
蒸し鶏は口に溶け、生姜は辛みを感じない程度。
食べ終える頃には体もあたたまったのか、顔色も戻ってきた。
「……柚子」
「はい」
「これさ」
掠れた声で、ぽつり。
「魔法みたい」
胸の奥がゆれる。
いいえ、いつもの宗谷くんの方が凄いよ。
「ちがいます」
私は、微笑んで答える。
「料理で風邪菌は倒せません。
ちゃんとした体に……戻すだけです」
白湯で熱冷ましの薬を飲むと、宗谷くんはベットに横になった。
「……少し楽になった?」
「うん……」
声はまだ掠れているけれど、さっきよりずっと穏やかだ。
良かった。
これなら多分、大丈夫そう。
私はベッド脇の椅子に腰掛けて、そっと様子を見る。
宗谷くんは、すぅーっと目を閉じ、ゆっくり呼吸していた。
……ほんっとにもう。
まつ毛、長い。
お肌、すべすべ。
さっきまで熱に浮かされていた人だなんて思えない。
テレビの中では、あんなに輝いて眩しいのに。
今はただの風邪ひきの19歳。
ちょっと、写真とか撮っちゃってもバレないのでは。
少しだけ……
心の悪魔がささやいた、ちょうどそのとき。
——カチャ。
玄関の鍵が回る音。
え?心臓が跳ねる。
足音が近づいてきて、寝室のドアが静かに開いた。
立っていたのは——背筋の伸びた女性。
無駄のない服装、きりっとした目元。それでいて驚くほど綺麗。
ストレートの黒髪が、芸能界のオーラを放っていた。
その人は部屋をチラリと見ると、ベッドの宗谷くんを確認し、それから私に視線を向けた。
——鋭い。
でも敵意はない。
私は思わず立ち上がり、軽く頭を下げた。
「……お、おじゃましてます」
頭が追いつかない。
まさか。
まさか、まさかの。
宗谷くんの……彼女さん?
お読みいただき、ありがとうございます。




