第4話_推しと同じ地球に生まれた奇跡
昨夜あれだけ油と戦った体は、ちょっと重い。
でも、不思議と気持ちは整っている感じがする。
今朝は軽めにしよう。
湯気の立つ小鍋で絹豆腐を温める。
卵を落として、ふわっと白身が固まるのを待つ。
仕上げに刻みねぎと少しのだし。
酒津焼の器に盛ると、朝の光にやさしく映えた。
朝ランを終えた宗谷くんは、少し眠そうな顔でドアを開いた。
「…おはよう」
「おはようございます」
箸を取る前に、ぽつりと言う。
「明日から一週間、来れないんだ。沖縄はまだ暑そう」
「……え?」
反射的に、声が出た。
「え!?な、何のお仕事ですか?」
……しまった。
聞きすぎ。
宗谷くんが、一瞬きょとんとした顔で私を見る。
「……そんなに食いつく?」
やばい。
今の完全にファンの反応。
違う、違う。
私はただのメシ担当。
ただの拾われたその辺の駆け出しフードライターです。
「い、いや……」
慌てて視線を逸らす。
「旅行先でも……毎食のバランスは大切なんで……」
宗谷くんは少し考えてから、ふっと笑った。
「そっか」
それ以上、追及されなかった。
助かった。
——だって。
知ってたら、きっと気を使わせちゃう。
ファンだって分かったら、距離も、言葉も、変わっちゃう。
今のこの空気を、壊したくなかった。
「毎食どころか、今日は忙しすぎてこれだけかも」
宗谷くんが、残ったスープをすする。
「お昼も、ちゃんと食べなきゃ」
……無言の宗谷くん。
私は、少し迷ってから言った。
「じゃあ……お弁当、とかどうです?」
「え?」
「高タンパクで、軽くて……常温でもいけるやつ」
冷蔵庫から、作りおきの容器を取り出す。
蒸し鶏、ゆで卵、ブロッコリー。
雑穀ごはんを小分けにしたものは、冷凍をレンジで1分加熱する。
「これ……」
宗谷くんが目を丸くする。
「持ってっていいの?」
「はい。タッパーに詰めておくので、ちゃんと保冷バックに入れといてね」
「うん」
素直な返事。
宗谷くんが喜んでいるのが分かる。
§
——昼どき。
私は、宗谷君に渡したのと同じメニューを並べた。
洗い物を少なくしたいから、プレートに雑穀ごはん。
蒸し鶏を少しとゆで卵のスライス、ブロッコリーを添えて、味付けにオリーブオイルと塩少々。
テレビも音楽もつけずに、舌に集中する。
——今、宗谷くんも食べてるかな。
遠くの場所で、違うテーブルで、同じものを。
……別世界の人なんだよね。
でも。
“同じときに、同じものを食べてる”って、しあわせ。
ちょっとストーカーぽいか、私。
箸を置いて、熱いほうじ茶をすすった。
もちろん、”美味しかったよ”のメッセージが来る関係じゃないけど。
宗谷くんを、近く感じる。
§
——撮影の合間、ロケバスの片隅。
スタッフの声が飛び交う中で、宗谷はバッグから四角い容器を取り出した。
蓋を開けた瞬間、ふわっと立ちのぼる食欲をくすぐる匂い。
「……」
無意識に、口元が緩む。
「あれ?」
隣から、からかうような声。
「持参なんてさすが。PFC気にしてんの?」
振り向くと、同じグループの律が、興味深そうに覗き込んでいる。
「チキン、卵、ブロッコリー、完璧じゃん」
律は筋肉とラップ担当で、何かと宗谷にからんで来る。
NØRTHの楽曲では、シンメトリーのポジションだ。
「専属トレーナーでも付けたん?」
宗谷は箸で一口分をつまみ、頬張りながら答えた。
「そう」
もぐ。
「それ、ちょっと味見したいなぁ~なんて」
律のお願いに背を向けて、ゆっくり噛んで飲み込む。
「俺だけの」
言ってから、宗谷は可笑しくなった。
——ああ、もう。
昨日も、今日も、毎日、“ちゃんと食べろ”って言うばかり。
……いや、それでいいのか。メシ担当なんだから。
でも。
タッパーの蓋の内側を、もう一度見る。
詰めすぎない量。
でも、足りないとは思わない。
ちゃんと俺の食べれる分が、入ってる。
宗谷は、また一口。
——明日は柚子の朝ごはん、食べれないのか。
バスの扉が静かに開く。
背が高く、流れるような黒髪の女性が乗り込んで来た。
「はい宗谷。ロケ弁——」
声をかけて、止まる。
女性は、宗谷の手元を凝視した。
ちょっとかわいい保存容器、見慣れぬ保冷バック。
ロケ弁とは違うメニュー。
宗谷は、体を小さくして、座席に隠れるようにして箸を動かしている。
噛んで、飲み込んで、ステージとは違い小動物のようだ。
宗谷は普段、あまり人前で食べない。
だから、この姿には驚かないが……
……美味しそうに食べてる。
それが、いちばんの違和感だった。
「それ、何?」
思わず声が漏れる。
宗谷は口を動かしたまま顔を上げた。
「……あ、これ?」
一瞬だけ、言葉を選ぶ間。
「専属トレーナーの弁当です」
「へえ」
女性はロケ弁を持ったまま、もう一度だけ宗谷の弁当を見た。
事務所契約のジムに、そんなサービスがあっただろうか?
そして何より——
食べている宗谷の顔。
……おかしい。
長年の勘が告げていた。
「そう」
それだけ言って、踵を返す。
「撮影五分押し。食べ終わった頃呼ぶね」
「うん」
宗谷は、また箸を動かした。
バスを降りる直前に、もう一度だけ振り返る。
なめらかな髪が扇のように広がった。
——あの弁当、誰が作った?
お読みいただき、ありがとうございます。




