第9話_推しに捧げるさんま定食
宗谷くんは元気そうだった。
顔色も戻って、声もいつもの調子。
「あのカレーやばい。
美味しくて、どんどん飲めちゃう。
また作って」
久しぶりの感想も、少しだけつらい。
朝の支度をしながら、私は何度も言葉を組み立てては壊した。
食卓に久しぶりの朝食。
炊き立ての白米。
柔らく蒸し焼きにしてたベーコンと、目玉焼きを乗せる。
仕上げには甘口醤油と黒胡椒。
味噌汁は、メインがこってりしてるから、豆腐とわかめに小口ネギを散らす程度にしておいた。
宗谷くんは、気持ちよく食べ終わるとこちらを見た。
「……どうしたの?」
私は深く息を吸った。
声がどうしても硬くなる。
「今日で、営業終了です」
宗谷くんが瞬きをする。
「メシ担当は、もうおしまい」
一瞬、本当に一瞬。
宗谷くんの表情が、泣きそうになる。
「……そっか」
それだけ、理由も聞かず引き止めもしない。
ただ、箸を置いて立ち上がる。
「ごちそうさまでした」
玄関まで見送る。
靴を履く背中が、いつもより少し小さい。
「……ちゃんと食べてね」
「……」
ドアが閉まる音が静かに響く。
その場で立ち尽くした。
しばらくして、膝から力が抜けた。
——何やってるんだろう。
床に座り込んで膝を抱えた。
正しい選択だった。
”私は、ただのファン”
そう何度も言い聞かせる。
——翌日。
けれど、いつもの時間に、インターホンが鳴る。
……まさか。
モニターを見ると宗谷くん。
私は咄嗟に息を止め、居留守をつかった。
嬉しいけれど、ホントは今朝も来るんじゃないかと、自分から言い出したのに願っていたけれど。
もう決めたことだから。
ここで顔を見たら、また元に戻っちゃう。
その翌日も、何もなかったようにインターホンが鳴った。
——3日目。
ついに、インターホンは鳴らなくなった。
当たり前なのに、なぜかがっくりしている自分がいる。
もしかしたら、忘れ物を取りに来たのかも……
そんな思いにかられて、メッセージを送りそうにもなった。
でも、それなら宗谷くんの方から連絡があるはず。
メシ担当を離れたら、思う存分推し活をしようと決めていたのに……
まったくそんな気にならない。
こころの中の、大事な導火線が、焼き切れてしまったように熱くて痛い。
——4日目。
その日は朝から細く雨が降っていた。
ガタンとドアに何かがあたる音がする。
ドアスコープから外を覗くと、宗谷くん。
さっきのは、どうやら傘が当たったようだ。
チャイムのボタンに手を伸ばして……降ろす。
しばらくして、諦めたような足音が遠ざかる。
……はずだった。
——ぐぅ。
ドア越しでも、はっきりと聞こえる音。
いや、聞き間違いかと思ったそのとき。
——ぐきゅぅぅう~
「……ぷっ!」
思わず吹き出していた。
同時に、向こうからも小さく笑う気配。
「……聞こえた?」
ドア越しの声。
「鳴ったね」
私も笑いながら答える。
「………入って、いい?」
一瞬キッチンを振り返り、あの日磨き上げたカレー鍋を見た。
赤くて、重い、純鉄の塊。
何時間も頭を占領していた、「離れなきゃ」の思い。
でも、声を聞いたらもうダメだった。
ドアを開ける。
そこには、こどものような表情の宗谷くんがいた。
「ごはんある?」
「……そのつもりでしょ」
二人で顔を見合わせて、また笑う。
今日は時間取れる、という言葉に甘えて、私の好きな焼き魚にさせてもらう。
グリルに入らないので、フライパンを使う。
大判のやつにオイルスプレーで薄くひいてから……
ジュッ。
皮が良い音を立てた。
火加減は中火、焦らず、身を崩さないよう触らずじっくりと。
脂が溶けだし、フライパンの底に広がる。
大根おろしを作り、軽く絞って添える。
キッチンの中で立ち回っていると、宗谷くんの視線を感じた。
南を向いたさんまを二枚、ご飯と味噌汁をカウンターに並べた。
今日は私も一緒に食べようと、宗谷くんの脇に座る。
いつも通りの配置。
「いただきます」
二人で箸を取る。
一口目を食べようとした、そのとき。
宗谷くんが自分の皿に手を伸ばした。
——くるっ。
さんまの皿を、静かに回す。
頭と尾の向きが変わって、顔が私の方を向く。
宗谷くんは何事もなかったみたいに言った。
「こっちの方が、いい」
そして、私を見つめる。
向かい合った焼き魚、いたずらっ子のような宗谷くんの顔。
そのまま、向かい合う唇が軽く触れた。
「ごめん……俺、柚子のきもちを利用してたんだ」
「え……?」
宗谷くんはゆっくり正面を向くと、少しうつむく。
「最初にこの部屋に来たとき、俺のグッズがあっちの部屋にたくさんあるの見ちゃって……」
あぁぁぁぁあああ!!!!
叫び出したい羞恥心で、顔が一瞬にして熱くなる。
「だから、ちょっと無謀なお願いでも、聞いてくれるかな……とか」
宗谷くんは、衝撃の事実をぶちまけると、いつも通りお行儀よく箸を入れた。
皮が、ぱりっと音を立てる。
「でも、もう両想いなんだから、もっと甘えてもいいよね?」
神様、ちょっと現実が追いつきません。
戸惑う私を横に、宗谷くんは久しぶりの朝食に舌鼓をうっている。
こうして私は、推しの胃袋をつかみ、晴れてメシ担当……?となったのです。
(第一部・完)
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