第四話:特異点の消失、血の盟約
崩れゆく廊下、砂のように消えていく壁。
「聡……行かないで。私を一人にしないで……!」
麻友の股間を濡らす鮮血が、俺の腕を赤く染める。
その血の熱さだけが、この狂った世界で唯一の「本物」だった。
「離れろ!」
俺は、詰め寄る佐々木と紗江を突き飛ばした。
二人の体は、触れた瞬間にノイズのような火花を散らし、一瞬だけ無機質な「記号」へと姿を変えた。
彼らは人間ではない。
世界を修復しようとするシステムの末端、免疫細胞のような存在だ。
俺は麻友を抱きかかえ、崩落するマンションを飛び出した。
外の世界は、もはや地獄のような様相を呈していた。
空は赤黒く濁り、街並みは断続的に書き換えられ、通行人たちは顔のないマネキンのように同じ動作を繰り返している。
「どこへ行くの、聡……。もう、逃げ場なんて……」
「あるはずだ。俺たちの『罪』が始まった場所なら、まだ強度が残っているはずだ」
俺たちが初めて、姉弟の線を越えた場所。
かつて家族と暮らした、今は「取り壊された」はずの水谷家の旧宅跡地。
そこへ向かって、俺は車を走らせた。
―聖域の残滓
辿り着いたそこは、更地ではなく、俺たちの記憶の中にあるままの姿で、霧の中に佇んでいた。
周囲の風景がデジタルノイズのように点滅する中、この家だけが異様なまでの密度でそこに「在る」。
「……懐かしいわね、聡。ここで、私たちは間違えたのよね」
麻友が、苦痛に耐えながら微かに笑う。
俺は彼女をかつての彼女の部屋――ピンク色のカーテンが揺れる、少女の残香が漂う部屋のベッドに横たえた。
「間違ってなんかいない。俺は、姉ちゃんを愛したことを一秒だって後悔してない」
俺は彼女の濡れた太腿を割り、流れ出す血を指で拭った。
「あ……っ、聡……こんな時に……」
「刻みつけるんだ。世界がどれだけ書き換えても、消せない痕跡を」
俺は彼女の肌に、、文字通り「歯を立てた」。
首筋、鎖骨、胸の膨らみ。
赤い鬱血が花のように咲いていく。
麻友もまた、狂おしいほどの力で俺の背中に爪を立て、皮膚を裂いた。
「もっと……もっと壊して。あなたの印で、私を埋め尽くして……!」
痛みと快楽が混濁する中、俺たちは再び繋がった。
血の混じった蜜が、結合部から溢れ出す。
麻友の胎内は、流産しかけているとは思えないほど熱く、絶望的なまでの吸い付きで俺を求めてくる。
「あああああ! 聡、聡……! お腹の赤ちゃんが……笑ってる……!」
麻友の絶頂。その瞬間、部屋の空気が凍りついた。
―観測者の正体
「――そこまでだ、不届きな観測者たちよ」
部屋の隅、影の中から一人の男が現れた。
それは、死んだはずの俺たちの父親だった。
いや、姿形は父親だが、その眼球には銀河のような幾何学模様が渦巻いている。
「父さん……? なぜここに」
「私は君たちが呼ぶところの『因果の守護者』だ。水谷聡、水谷麻友。君たちの愛は、この宇宙の演算において許容範囲を超えた『バグ』だ。その胎児は、因果律を破壊する特異点となる」
男が手をかざすと、麻友の腹部が不自然に光り輝いた。
「本来、結ばれるはずのない血脈が混ざり合い、新しい魂を生み出そうとしている。それは、この世界の『正解』をすべて無に帰す力を持っているのだ。だから、消去せねばならない」
「ふざけるな! 誰が決めた正解だ!」
俺は全裸のまま、父親の姿をした「何か」に飛びかかった。
だが、俺の拳は虚空を突き抜け、壁に叩きつけられる。
「聡、危ない!」
麻友が叫んだ瞬間、彼女の体が宙に浮いた。
「母体ごと消去する。それが最も効率的な修正だ」
「待て……! 待ってくれ!」
俺は必死に彼女の足首を掴んだ。
その時、俺の視界に、先ほどまで俺を追い詰めていた紗江と佐々木の姿が、窓の外に無数に浮かび上がっているのが見えた。
彼らは皆、同じ無機質な声で唱え始めた。
『バグヲ排除セヨ。正しい世界線へ戻セ。姉ハ弟ヲ愛サズ、弟ハ姉ヲ敬エ。』
「嫌……嫌あああああ!」
麻友の叫びと共に、彼女の腹部から目も眩むような光が放たれた。
それは胎児の産声だったのか。
あるいは、世界の断末魔だったのか。
俺は麻友の手を離すまいと、指がちぎれんばかりに力を込めた。
「たとえ世界が消えても、俺は君を離さない! 地獄の果てまで、愛してやる!」
その瞬間、世界は真っ白な閃光に包まれ、すべてが静止した。




