暗躍
ヴィルを制止したアリーナは、地面に倒れている黒マントの男に駆け寄ると
「慈愛の女神様……。無垢なる天の息吹をこの者に。穢れを払い、闇を祓う、女神様の……」
女神に対する深い祈りを捧げ始め、両手に集めた眩い光で黒マントの男を包むと
「心と身体を清廉に還し給え……ビール!」
ーパアアァァー
アリーナのビールが掛けられると、ヴィルの真空波で虫の息だった黒マントの男の致命傷は瞬く間に修復されていく。
「が、がはっ!」
黒マントの男の怪我は治癒したが、瀕死から蘇ったばかりだからかすぐに元気百倍という訳にはいかない様だ。まだ、昏倒しているのか、意識を取り戻す様子は無い。
(仲間を捨てて逃亡か……)
黒マントの男達が消えた森を眺めながらヴィルが長剣を背中に収めたその時
「お〜い! バカ勇者ぁ〜!」
街の方から足の速いエルフィルを先頭にミリジアやミノさん達が向かってくるのが見えた。
一応、トマスやシルヴェリスの他にも新人パーティーのメンバー達も駆け付けてきている様だ。
「こいつは一体、何処の誰さんなんだ?」
ヴィルか治療の済んだ黒マントの男のフードを脱がせてみると……
「白人の男か……」
黒マントの男の中身は三十代位の白人男性だった。体格は細めだが筋肉質であり、普通に冒険者で通用する様な体格の男だ。
勇者パーティーの聖女を襲うくらいだから魔族やそれに類する系統の何かかと思ったがアテが外れてしまった。
「何、そいつ? ここで何かあったの?」
現場に着いたエルフィルが到着するなり黒マントの男を見下ろしながらヴィルとアリーナに尋ねてきた。
「実はさっき……」
ーグイッー
ヴィルが途中まで言い掛けたその時、彼のマントが引っ張られた。ヴィルが振り向くと
(アリーナ……?)
黒マントの男性にヒールを掛け終えたアリーナが、自分のマントを掴んで首を横に振っているのが見えた。
もしかしたら、彼女は他の皆に心配を掛けたくないのかもしれない。ヴィルは若干考えた後で
「実はクロ達三匹のトイレの処理してたらさ。このオッサンが臭えって突っかかってきてな。売り言葉に買い言葉で……つい、な」
ヴィルはクロ達三匹が原因のトラブルという体にしてしまった。そんなヴィルを見るエルフィルは
「ふうぅぅぅ〜ん……」
ジト目でヴィルを見つめてきた。それは彼が嘘を言っていると疑っているのを隠そうともしない疑念の眼差しだったが……
「アンタ、厄介な奴に喧嘩売らないでよね?」
エルフィルは黒マントの男が持っているショートソードを手に取ると
「コイツ、ベルンシュバイツ帝国の関係者じゃない! 私、面倒事は御免だからね!」
ショートソードの柄頭を指差しながらエルフィルはご立腹だった。
「それ、帝国の紋章じゃない? どうしたのよソレ」
後から到着したミリジアもエルフィルが手にしたショートソードを見て驚きの声を上げる。
そんな二人の反応にヴィルは思わずアリーナを見るが、彼女は心当たりが無いと言わんばかりに首を左右に振っている。
(…………)
ヴィルも帝国について思い返してみるが、魔族の四天王の一人が攻め込んだ時に救援に向かったっきりで居心地が悪かった記憶しか無い。
年老いた皇帝は隠居気味で表には出ず、実際に会ったのは第一皇太子とその母親である第一皇后だったがとにかく印象が悪かった。
魔王軍を倒したのだからさっさと帰れという感じの塩対応だったのは、今のヴィルが目を覚ます前のヴィルヴェルヴィントの頃の話だがよく覚えていた。
彼ですら腹に据えかねる嫌な親子だったという事な様だ。僅かの金貨が入れられた革袋を報酬として投げよこされたのが相当に腹が立っていた様だ。
(しかし、そんな帝国の人間がどうしてアリーナを……?)
襲い掛かってきた黒マントの男達は訓練を受けた特殊な人間である事に間違いは無いだろう。
少なくともアリーナが帝国の人間に襲われたのは現実で、黒マントの男の仲間が少なくともあと三人は居る。
「とりあえず、こいつは衛兵に引き渡しておこう。仮にも勇者様に弓引く不届き者だからな。ミノさん、頼む」
ヴィルの言葉に、ミノさんは軽々と黒マントの男を抱え上げると街へと引き返し始め、彼の後に続く様にして皆も街に引き上げ始める。
ヴィルも彼等に続いて歩き始めようとしたその時
ーグイッ!ー
彼のマントが強く引かれ振り返るとそこには
「ヴィルさん……わ、私……」
消え入りそうな声を震わせながら、何とか話そうとするアリーナの姿があった。
「心配するな。皆、居るし……俺も着いてる。護ってみせるさ」
ーポン!ー
そう話しながら、ヴィルがアリーナの肩に手を置くと
ーギュッー
「……そうですよね。ありがとうございます、ヴィルさん……」
アリーナはヴィルの手に自分の手を重ねると、それを確かめる様に震える手で握り返してきた。そんな彼女にヴィルは
「今日は宿屋の大部屋で休むか。皆、一緒なら安心だろ?」
名案とばかりに、パーティーメンバー全員が一度に泊まれる大部屋での宿泊を提案するのだった。
(…………)
それでもアリーナの小さな手の震えは止まる事は無く、彼女の不安気な表情も晴れる事は無かった。




