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殺戮のメサイア  作者: 星島新吾
第一章後編:護身竜の村奪還作戦【完結編】

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Alter.77 ケイローンの手前で

実収の節 9/30 16:00

シュヴァルツ諸侯同盟領 北の都市トーレッド

モット卿城内 ゴーレム技術者育成機関ケイローン支部・渡り廊下





 石造りの冷たい渡り廊下を、ワゴンを押して歩く。その先で待つ男の影があった。


「お疲れ様、クラフト」


「交代です、ナイト」


 言葉少なに視線を交わす。


 ナイトと呼ばれた男――作業着姿の『クラフト』から、軍服に身を包んだ『ナイト』へと意識のフォーカスが切り替わる。


 分裂能力によって生み出された別個体。ここから先、領主への接触は、兵士である『ナイト』の役割だ。


「これを。今から彼方が本体オリジナルです」


 クラフトが差し出したのは、粗末な木彫りのお守りだった。護身竜の村の民がくれたものだ。万物に神が宿ると信じる彼らの祈りが、この小さな木片には込められている。


 異端核などという未知の力が実在するこの世界だ。信仰という不確定要素も、あながち馬鹿にはできない。


「了解。受領した」


 受け取った瞬間、彼らの認識定義が書き換わる。このお守りを持つ者が『本物』。クラフトは影となり、ナイトは表の存在となった。


「では、後は頼みます」


 足早に去る背中を見送り、ナイトは軍服の襟を正すと、ワゴンを押して歩き出した。

 目指す研究所の重厚な扉が開く。そこから現れた人物を見て、彼は足を止めた。

「おや……グスティか。君が泥まみれでないのは珍しいな」


 領主、ハッグハグ・モット卿だった。

 モット卿は両手を広げ、完璧に計算された笑みを浮かべる。長年の政治的闘争で培われた、彼自身の防具であり武器である笑顔だ。ナイトは壁際に退いて敬礼し、その「仮面」の裏側を探るように応じた。


「モット卿もお元気そうで。ケイローンへは視察でございますか?」


 それとも、最悪の戦況を覆すための根回しですか?

 ナイトの視線に含まれた問いを読み取ったのか、モット卿は苦笑し、人差し指を唇に当てた。


「トップシークレットだ。残念だが、一介の兵士に話せることは何もない」


 柔らかい声色だが、拒絶の壁は厚い。だが、今の彼には、その壁を維持するだけの余裕がないことも見て取れた。


 ナイトは一歩、その”間合い”に踏み込む。


「では、他領への援軍要請については? 朗報をお持ちと期待しておりますが」


 モット卿の眉が、一瞬だけ跳ねた。

 完璧な笑顔の仮面に亀裂が走る。


「……使いはやった」


 声を潜め、彼は吐き捨てるように言った。


「だが、戻ってきた者はいない」


「まさか。諸侯同盟すべてが敵に回ったわけではないでしょう。懇意にされている領主もいたはずでは」

「彼らには危機感がないのだよ」


 モット卿は乾いた笑い声を漏らす。その瞳の奥には、どす黒い諦観が渦巻いていた。

「国境の山脈を越えられたという事実を、彼らは咀嚼できていない。あの峰には護身竜がいる、それが数百年続いた常識だったからな」


「そんな馬鹿な……」


 ナイトの言葉は演技ではなかった。常識に胡座をかき、情報の更新を怠る愚かさ。それが命取りになることを、彼らは理解していないと知って絶望したのだ。


「援軍には金がかかる。誤報かも知れない噂話に投資するほど、彼らは暇ではないということだ。──全く、どいつもこいつも煉獄の業火で焼かれてしまえばいい」


 ふふ、と漏れた笑いは、狂気の一歩手前にあった。

 軍部も、そして領主も、神頼みと思考停止の淵にいる。


 ――もう、笑うしかないか。


 場の空気が凍りつく前に、ナイトは話題を変えるカードを切った。


「高貴な方のジョークは、時に背筋が寒くなりますな。……そういえば、珍しい菓子が手に入ったのですが」


 ワゴンの上の銀盆。その覆いを外す。

 焦げ茶色の焼き目がついた、バスクチーズケーキ。

 モット卿の視線が、絶望的な未来から、目の前の甘味へと吸い寄せられた。


「毒見は済んでおります。お疲れのご様子でしたので、糖分が必要かと」


 フォークを添えて差し出すと、彼は躊躇なくそれを手に取った。

 立ったまま、行儀悪くケーキを口に運ぶ。随分と追い詰められているようだった。


「……む」


 一口食べた瞬間、死人のようだった彼の顔に血の気が戻る。

 中に入れたリンゴの酸味が効いたのだろう。彼は無言のまま、猛烈な勢いで二切れを平らげた。

 皿をワゴンに戻した時、そこにはいつもの「狸」の顔があった。


「今日の無礼は、この菓子に免じて不問としよう。……作った者を後で私の執務室へ。ウチの厨房で雇ってやる」


「……フフッ。承知いたしました」


「さて、行くとするか。領民にさらなる増税を課し、嫌われ役を演じにな」


 モット卿は自嘲気味に笑い、足早に廊下を去っていった。


「取るなら、金持ちからにしてくださいよ!」


 背中に投げたナイトの言葉に、高笑いだけが返ってくる。

 遠ざかる背中を見送りながら、ナイトは思考を冷徹な計算モードへと切り替えた。

 金貨を増やすことはできる。装備も整えられる。

 だが、戦うのは人間であり、決断するのはあの領主だ。


 ――勝算は、ない。


 敵戦力は十倍以上。個の質でも劣る。どれだけ「回復の霧」で兵を癒やし、「迷彩」で奇襲をかけたとしても、数の暴力という物理法則は覆せない。


 次の奪還作戦は、戦いではない。ただの「下見」だ。


 敵の戦力、新兵器、そして未知の異能者の有無。それらを確認し、もし勝機がないと判断すれば――プランBに移行する。


 即ち、領民を乗せての『大脱出エクソダス』だ。

 ナイトが今、ここへ来た理由はそこにある。


 数千の人間を運び、長距離を踏破するための輸送用ゴーレム。既存の戦闘用とは設計思想が根本から異なる機体。


 いくら学習能力を強化し、不眠不休で設計図を引いたとしても、独学には限界がある。

 必要なのは、専門家の知識だ。

 ナイトは覚悟を決め、ゴーレム研究所の扉に手をかけた。


次回:ケイローン

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