Alter.75 裏切りのグスティ
「別に大した話はしてませんよ」
ザバーニャの問いに、イナンナは欠伸を噛み殺しながら否定した。
「私の悪口? だったらアイツを今すぐ殺しに……」
「いや、グスティは終始ザバーニャのことは好意的に思っているようだぞ」
イナンナは目を擦りながらザバーニャの顔を見た。
暖炉の火に照らされた彼女の顔は赤く、とても自然で、いつもより朗らかに口元を緩めているようにイナンナの目に映った。
何かの気のせいかと目を再び擦って彼女の顔を見ると、やはりザバーニャはいつも通り、年中生理不順のキレたナイフのような顰め面で、なんだか少しホッとした。
気のせいかと思いながらも、そんな顔が記憶に焼き付いたせいで、イナンナの眠気は完全に消え失せてしまう。しかしザバーニャはそんな彼女に起きた深刻な異常など、気にすることもなく次の話を始める。
「アイツとどんな話をするの?」
「生き残った村人の話だとか。前に皆で作った桶の話とか……だ」
イナンナがそう話すと、ザバーニャは不思議に思ってさらに問いただした。
「仕事の話だけ?」
「あ、ああ……そうだな。彼とプライベートな話をすることは全くない。たぶん今後もないだろうな」
お互いに越えてはならない一線を理解しているため、グスティとは色々な事をネタに話をすることはあっても、プライベートな話と過去の掘り下げは決してしなかった。
「アンタ達って仲悪かったっけ?」
「いや? むしろキスぐらい平気で出来るくらいには仲がいいな」
「は?」
近くで雷が落ち、部屋を閃光で埋め尽くした。
「冗談ですよ?」
「ああそうよね。良かった。じゃあアイツに不審な動きはないのね?」
「良かった、」というザバーニャの言葉に違和感を覚えながら、イナンナは返答する。心なしか雷の音が遠くに行ったような気がした。
「はっはっはっ、グスティは常に不審じゃないか」
「……全くもってその通りだけど、そうじゃないわ。言いたいこと分かるでしょ? こう、明らかに私達に敵対する行動をとっていたとか、そういう話」
「怒るので言いません」
イナンナは慰霊祭の夜、グスティとフェリシア・デラクルスとの会話を部屋の前で断片的に聞いていた。
「それはなんで? 私が上手く呑み込めないと思っているの?」
「ああ。ザバーニャが聞いたらブチギレ間違いなしな案件を彼は抱えている」
「それはアンタは賛成なの?」
「盗み聞きした分際で言うのもなんだが、賛同できる話だ」
「じゃあ話して。私も知っておきたいから」
巫女様の熱心な説得により、イナンナは渋々グスティとその執事であるフェリシア・デラクルスの会話をザバーニャに話した。
するとザバーニャの角はみるみると延び、目は燃え盛る烈火のごとく朱に染まった。
「あの裏切り者……トーレッドが帝国に滅ぼされても良いっていうの?」
「ええまあ、有り体に言えばそういう話をしていたな」
やっぱり話すべきではなかったかもしれないと、滝のような汗をかくイナンナ。しかしもう遅かった。
「アイツ道徳とかモラルってものが皆無なわけ?」
「彼なりの善意なんだろう。彼は我々が極力戦わないで済むように、と言っていた」
イナンナの説得も空しく、ザバーニャは壁に握り拳を叩きつけ、部屋の壁には拳型の穴が空いてしまう。
その修繕費がいくらになるだろうと考えるだけでイナンナの汗は止まるところを知らない。
「いつ私達が戦いたくないなんて言った?」
ザバーニャの強い言葉が部屋に響く。その言葉には感情と経験が入り混じり、何より血と死の腐臭が付きまとっているかのようだった。
「いや、どうやら彼の中では戦争は絶対にしてはならないものらしい」
「は? なんで? 意味不明だわ。……もしかしたら村の生き残りがそう言ったのかしら。だとしたら、その意見も後日、皆に訊いてみてくれる?」
「それなら訊くまでもない、村の連中は全員やる気だ。もちろん私も。ただグスティがそう言っていた、と言うだけだ」
「あの腰抜けは本当に………トーレッドがどれだけ私達を歓待してくれたのか覚えていないのかしら」
「彼の思い描く理想は出来れば全員に衣食住と、加えて仕事と生活環境を完璧に与えることなんだろう。そしてそれができない戦争は止めた方がいい、おそらくそういう“理屈”だ」
仕事の関係とはいえ、イナンナはグスティとの会話から、彼の思想を少なからず理解していた。そしてそれに共感できるかどうかは、また別のところにあった。
「……あいつがイカレていると思うのは私だけ? もう、怒りなんて通り越して呆れてきたわ。戦争中だってこと、アイツ分かっているのかしら。理屈でどうにかなる相手なら、とっくに話し合いで解決しているって言うのに」
「グスティはこの世界に来て初めて人を殺したと言っていた。彼の世界には戦争なんて無かったのかも知れん」
語りながらイナンナは自らの手を見下ろす。───剣ダコの潰れた硬い皮膚からは、女性らしいしなやかさなど欠片も感じられない、まさに鉄の手だった。そして彼女は彼の手を思いだす。彼の手は白く、細く、大きく柔らかかった。鉄の臭いなどするはずもなかったと。
戦争を否定する社会からやって来た青年と、戦争を肯定する世界で戦う彼女達。両者の考え方には未だ大きな溝があることは明白だった。
「……ちゃんと村人の意見を聴いていなかった私のミスだわ。アイツがそんなことになっていたなんて……一回ちゃんと話し合う必要があるわね」
「……わかった。そういう話し合いなら、私がセッティングしよう。彼も多忙な身だ。スケジュールの空きを見つけるのは難しいかもしれないが、ザバーニャの話なら絶対に飛んでくるはずだ」
「ええ、気持ち悪いけど、それはそうでしょうね」
ザバーニャはハンっ、と鼻を鳴らして腕を組んだ。
次回:リンゴのバスクチーズケーキ




