Alter.74 夢の中で
ザバーニャとイナンナ、二人の間に長い沈黙が流れた。
一層激しさを増して降り続く雨は、大きな嵐を招くように、細かく窓を叩き始めている。
そんな雨音が、暖炉の乏しい明かりだけが灯る部屋に響く。
イナンナはベッドに横になり、ザバーニャは窓ガラスに角をコツンと当てて目を閉じていた。
そして一分か、あるいは十分か過ぎた後に口を開いたのはザバーニャだった。
「……夢を見るの。私の背中に尻尾も翼も無くて……仰向けで眠る夢」
突然何を言っているのかと考えた末、イナンナは彼女がまだ異端核保持者になる以前のことを話しているのだろうという考えに至った。
「ザバーニャに異端核が無かったら、か」
イナンナは竜の巫女になった後の彼女のことしか知らない。竜の巫女になる前の平凡な村娘であった彼女がどういった少女だったのか、訊いたこともなかった。
そしてふと、自分はあまり彼女のことを知ろうとはしなかった、薄情な女かもしれないとイナンナは天井を見上げながらそんなことを思う。
「きっと性格もコレだから、たとえトーレッドに出稼ぎに出てきていたとしても、貴族の取り巻き程度にしかなれないかも……いえ、もしかしたら私の居場所なんてどこにも……」
そう言って自嘲気味に笑みを浮かべた。頭の上にコケができてもおかしくないほど、彼女は今ブルーな気持ちだった。
「どれだけもしもを考えても貴女は貴女です。私が私であるように」
「イナンナも考えたことはないの?」
そうザバーニャに訊かれ、これ以上暗い話をする気にもなれなかった彼女は、自らが守護する巫女を笑顔にすることにした。
「私が今までの選択を全て違った形で成し得た場合ですか? ……ふーん、ただの美少女好きのエッチなお姉さんか……あるいは……」
イナンナがそう言おうとするのに被せるようにして、
「アンタは今のままでよかったわね」
とザバーニャは目頭を押さえた。その様子を見て、イナンナも微笑を浮かべる。
「ああ。だから今がずっと続けばいいのにな」
お互いにそうやって他愛もない話をしながら、ザバーニャもイナンナの意図を酌んで話題を明るい方向に舵を切った。
「そう言えばここの雨って、降る回数は多いけど土砂降りは少ないでしょ。護身竜の村の雨は叩きつけるような豪雨が多いから、少し不思議なのよ。壺を傾ける神様が違うのかしらね」
イナンナはザバーニャの話を今度は真面目に聴きながら、雲の上から雨を降らせる髭のお爺さんを想像した。
「これだけの雨を降らせるなら相当重い壺だろうな」なんて想像しながら、イナンナは横になった状態で腕を頭の後ろに組み、瞼を閉じて神の恵みに耳を傾ける。
そして「こちらの神様が勤勉であるなら、私とはノリが合わなさそうです」と答えて、大きな欠伸をした。
沈み込むようなベッドの柔らかさは、巫女様が寝返りを打つ際に、尻尾や翼が影響して体を傷めないような特注品が置かれていた。
「アナタらしくないわね。自分の能力を見誤るなんて。それとも謙遜のつもり?」
ザバーニャの言葉に背を向けるよう寝返りをうつイナンナ。枕が普段使っているものより格段に柔らかいため、逆に寝にくい状態になり、そのせいで少し眠気が飛んでしまう。
「謙遜……か。私にはもったいないお言葉です。時世の流れ、ということもあるが……貴女や彼を見ていると、私も不思議と何かをしたい気持ちにさせられる」
彼女には表情を見せず、雨に消えそうな声で話すイナンナ。
それをどんな顔で見ているのか気になったザバーニャはベッドに腰を下ろして、ゆっくり顔を隠しているイナンナの表情を盗み見ようとしたが、彼女はそれを枕で隠した。
「フフッ……、アンタ私と逢った時に言ってたじゃない。『頑張らないためにここに来た』って。アタシの護衛を引き受けたのも、ちょうどいい短期の依頼だったからでしょ?」
旅人であったイナンナを護身竜の村に迎え入れた時のことを思い出し、ザバーニャは微笑んだ。
「それが随分と長く仕えることになってしまいました」
「後悔してる?」
巫女様はできるだけ声のトーンを明るく、からかうような声音で訊いてみたが、イナンナにはその言葉の意味するところを十分に理解していた。
「していませんよ。全く。貴女の騎士でいられることは私の新たな誇りです。───私をこのまま眠らせてくれるなら、もっと素晴らしい主になれるでしょう」
少し気恥ずかしくなり、瞼を閉じてまどろみに体を預けるイナンナのお尻に、巫女様の尻尾がペチペチと当たる。
「こら起きてなさい。雨の日って特に暇なのよ」
「……私は眠りますので。本でも読んで……ぐぅぐぅ……」
「寝ちゃダメじゃない」
巫女様の竜の尻尾が強くイナンナのお尻を叩くが、彼女はそれを布団でガードして、根気強く睡眠に入ろうとする。
「寝てても良いから話相手くらいにはなりなさいよ」
そのザバーニャの言葉に、ムクっと体を起こすイナンナ。既に半分眠っているのか、瞳は半分ほど閉じられている。全身からは気だるげなオーラがこれでもかと溢れていた。
「ネタは?」
「えーと……」
言い淀むザバーニャ。呼び止めたはいいものの、ネタなどまるで考えてはいなかった。
「それじゃ、巫女様。ワタクシはお休みさせていただきま……」
「ま、待ちなさい。えっと、そ、そう、あのカーニバルのあった日。グスティの部屋に行っていたんでしょ? アンタ達どんな話をするの?」
ザバーニャはほとんど脊髄反射で、考えも無しに口から出たのは彼の話題だった。




