Alter.70 護身竜の民は頑張り続ける
【今回の今北産業】
・フェルが戻った。
・コーヒーを飲んだ。
・難しい話があった。
祭りの喧騒は夜に呑まれた。
静寂に包まれた部屋で、ランタンの炎が揺らめく僅かな音と、紙を捲る衣擦れの音だけが響く。そんな彼の部屋に、コン、と小さなノック音が響いた。
フェルが踵を返して戻ってきたのかと立ち上がるや、部屋に入ってきたのは意外にも桶を抱えたイナンナだった。彼女の手には、湯気を立てる桶と、中にはタオルと飲みかけのワイン。体からは入浴後の熱気が立ちのぼり、血色のいい肌がいつも以上に艶めかしく色づいていた。
「トーレッド祭は満喫したのか?」
「イナンナさんこそ、出店には酒のつまみになるものが沢山ありましたよ。もしご要望なら、俺がひとっ走り……」
「いいや、必要ない。これ以上は万一の時に動きが鈍るのでな」
そう言って彼女は満足そうに少し膨れた腹をさすり、静かに微笑む。
「巫女様はどうでした?」
昼間、お神輿で担がれていた巫女には、夜は自由時間があったとグスティは耳にしていた。
同じ異端核保持者の友人も出来たようで、彼女達と夜のお祭りを楽しんでいたらしいというのは、他の情報網から仕入れていた。しかし、グスティはイナンナの口から語られる生の声もまた必要としていた。
そしてイナンナはサッパリとした様子で、
「巫女様はお疲れになって、今は眠っていらっしゃる。随分楽しまれていたよ、同じ力を持つ者同士でしか分からない事もあるのだろう。随分話に花が咲いているように思われた」
と、体の熱気をパタパタと服の外に逃がしながら報告した。
「そいつは……見たかったな……」
グスティの声には、僅かながら本音が滲んだ。
「グスティは皆に嫌われているんじゃなかったか?」
揶揄うような声音でイナンナは訊いた。ふと彼は、ケルヒャー二等兵やフィオレッタの顔を思い浮かべ、自嘲の苦笑を漏らす。
分裂した状態であればそれほど嫌悪感を向けられることは無かった二人だが、この一ヵ月の間に、何度か分裂していない状態のグスティとも会う機会があった。その時、ケルヒャー二等兵は彼を見るなり酷く怖がり、フィオレッタは露骨な嫌悪感をグスティに向けてきたことを思い出したのだ。
「まあ、確かに俺は場違いか」
「ああ、それに女同士じゃないと話せない事もあるからな。男は無粋だ」
「確かにメイクの話とか服の話とかは俺にはサッパリだしな」
「…………夢を見すぎかもしれんぞ」
イナンナは視線を逸らしながら答える。
「そう、なのか……」
グスティは触れて欲しくなさそうな話題だと察して、すぐに別の話題を探した。
イナンナも、彼女達のしていた下世話な話については何も語ることはせず、代わりに自分が持ってきた桶の話を彼にしようと、机に桶を置いて中のワインを取り出す。
グスティがワインを見るや無言で立ち上がりグラスを取りに向かう間に、イナンナは新聞に視線を落とし、内容を流し読みした。
丁度その記事には、森人と紹介されていた護身竜の村の人たちの内容が書かれていた。
「森人か……不思議な響きだ。グスティは慣れそうか?」
グスティが机にグラスを並べながら、
「俺はもうずっと護身竜の村の民って言い方をしていたからなぁ……。今さら森人って言うのも、不思議な気分だ」
「私も同感だ。しかし村人たちにはかなり評判がいいんだぞ。トーレッドの民が我々を尊重し、名付けてくれたと、そう喜んでいる」
「皆頭の中がお花畑過ぎる……」グスティは心の中で毒づいた。「だが、それでいい」
「それはなんというか───俺達も嬉しくなるな」
グスティは言葉を絞り出す。しかし、彼のそんな韜晦はイナンナにとって無意味だった。
「村の人間が愚かに見えるか?」
彼女もまた、この事態を重く見ている人間の一人だということが、グスティにもはっきりとわかった。
「俺がそんな酷いことを言う人間にイナンナさんには見えてるんだな、シクシク……」
「違うと言うなら涙の一滴でも浮かべてみたらどうだ。まったく……よくもまあ心にもないことをスラス
ラと言えるものだ」
そういう彼女は呆れた表情を隠そうともしない。
難民という不安が蔓延する状況下でも、村人が自暴自棄にならないのは、彼女のこの観察力と気配りがあってこそだろう。
「本心で言わせてもらうが、本当に愚かだとは思ってないさ。ただもう少し時間が掛かるだろうとは思ってるけどな……」
「失望してないか?」
「しないさ。むしろ俺はあの村のそんな健気で逞しいところも好きなんだ」
グスティの言葉を訝しげに聞いている彼女に、グスティは腕を頭の後ろに回しながら、答える必要のない話の続きをする。
「───それに今から嫌と言うほど彼らは知るだろうさ、区別と差別は違うようでラインは曖昧だってこともな」
「……やはりそうなるのか?この記事を見た時から感じていたこの妙な悪寒の正体はやはり……」
イナンナの目が鋭くなる。
「このままじゃあ十中八九村の人間は戦いに巻き込まれる。でもまあ何とかするさ。村のことをイナンナさんに任せてから随分俺も動きやすくなったしな」
イナンナは村のアイドル、巫女のプロデュースを手がける傍ら、スラムで護身竜の村の民に仕事を与えていた。トーレッドの民に配慮し、金銭効率を追求した専門的なやり方だ。巫女が語る理想と目標を、イナンナが現実の計画へと具体化することで、村の民は安定した生活を送っていた。
「そう言えば……これを見ろ」
イナンナに渡されたのは、ワインを入れていた何の変哲もない桶だ。
品質が良いから少し、高いものを買ったのかもしれない。桶の底には少しおしゃれに竜の絵も描いてある。グスティは、こういう男の子ウケしそうな竜のデザインが施された裁縫道具やエプロンを見て、昔自分も持っていた事を思い出し、ふと懐かしさを感じていた。
「──このドラゴン、クールじゃん…」
中二心をくすぐられる、トゲのあるクールなドラゴンの絵。
桶の底に描かれているには惜しいセンスを感じた。
「そこの絵は巫女様が描いたんだ。それに桶も村の皆で作った」
イナンナの言葉に目を見開くグスティ。あの大きな竜の右腕で筆を?という言葉はこの際飲み込むにして、この完成度は並大抵の努力ではない事が窺える。
「既にいくつか売ってみたんだが、なかなか好評だった。お前にも試してもらいたい。出来れば感想を……」
なんと販売実績まで既にあるという。
───これは!
───これは!!
───素晴らしい!!!
闇夜に煌めく月光が一段と眩しく部屋を照らしているように思えた。
グスティは桶を月光にかざし、今日一番のテンションでじっくりと作りを観察した。護身竜の村の人間が作ったものだと思うと、さらにこれが素晴らしいものに見えてくる。
「おお…イナンナ、この桶をザバーニャ様に届けてくれよ…これは、いい物だ…!」
桶を弾いてコンッ、という木の音色を楽しむグスティ。
「いや、もちろん巫女様も見た後だ。というか、この絵を描いたのは巫女様だぞ……?」
心配するイナンナに、グスティは咳払いを一つ。
「繊細な仕上がりは信用にも繋がるって言うし……続けていければ、護身竜の村で色々な事を始める試金石にもなる」
偉大な一歩だと、イナンナの働きを労った。しかし彼女はそれに奢ることなく、
「護身竜の村の全員で役割分担をして作ったんだ。木や蔦を採る者や、運ぶ者、それを加工するにも大勢の人間が関わっている」
と、特にその功労者の名前を上げては、その功績が村にもたらした成果を事細かくグスティに話した。命がけということもあってか、全員の熱量も凄まじいようで、今も着々と生産が続けられているという。
「振り分けた仕事が巧くいかない村人はいませんでしたか?」
「今のところは問題ないと見ている。技術指導も人に合わせて行っているからな」
イナンナが優秀過ぎて、グスティは唖然としてしまう。社会とは無能が無能をこき使う仕組みではなかったか。
そう毒づくグスティの目には、護身竜の村の人々はあまりに眩しく映った。
というよりも、人材を能力別に判断して振り分けるイナンナの人材管理能力が異常なのである。一般人が背負えるタスクの量ではない。
「以前にも沢山の人間を管理していたことがあるのか?」
「……」
なぜかそう訊ねると途端に気まずい空気が流れる。イナンナは黙ってグラスを傾けた。これ以上詮索するつもりなら席を立つ、と暗に言っているような沈黙が続く。
「───それにしても、この桶はいいものだなー……」
「そうだろう?」
イナンナがクスッと笑ったことで、ホッとするグスティ。彼女は誰かを叱りつけることはあっても、感情
のままに怒ることはしない。
しかし彼女の過去に触れることは、彼女の逆鱗に触れるようなことなのではないかと、グスティは村にいるころから薄々感じてはいた。
だからお互いに、過去のことはアンタッチャブルなものとして今を楽しんでいる。いずれそれが明るみになる時も来るかもしれないが、今はこれでよかった。
「そう言えば、軍の上層部は今どんな感じだ?」
しばらくの沈黙の後、彼女はまるで話の間を繋ぐ話題を提供したかのように、戦局についてグスティに訊ねた。そして彼のグラスに葡萄酒を注ぐ。これを飲み終わるまでは、逃がさないといったところだろうか。
「上層部は……」
グスティは少し考えた。それなりにお歳を召した重役の方々が、慣例と前例に重きを置いた非常に慎重な行動をとっていることを、ありのままに伝えるべきかどうか悩んでいた。
無用な心配を掛けさせるべきではない。かといって、彼女の情報収集欲を満たせないままでは、いずれ隠れて調べ始めることだろう。それに巫女様が混ざるようになっては、いよいよグスティ本人の身動きが取りづらくなってしまう。
そのためグスティはイナンナに、新鮮な真実をたっぷりと提供することにした。
「上層部は今宗教にどっぷり浸かってるね」
「宗教?」
イナンナの不思議そうな顔に、掴みはバッチリなようだと小さく口角を上げる。
「会議室で話されていたことだ、なんと神砂嵐が起きる前兆があったらしい」
「神砂嵐ってなんだ?」
「俺もよく知らないが、この新聞を見てくれ」
疑問符が大量に頭の上に浮かんでいるイナンナに新聞を見せながらグスティは語った。
酒のつまみにしては、大した話でもなかったが、彼女を満足させるには十分な情報量だった。
それからしばらくして、イナンナは欠伸をしながらグスティのベッドを占領し、寝息を立てて眠りについた。
服ははだけ、酒で火照った体が無造作に放り投げられている。男勝りで快活な性格のイナンナだが、眠りについている時は別人のようにおしとやかで、物静かな麗人のように映った。酒場でアリアを歌っていたっておかしくない。
グスティはそう思い、そして頬を抓ねる。理性は問題なく働いていた。
機械的に彼女のお腹が冷えないよう薄手のブランケットを掛け、グスティはソファへ向かう。隣で寝れば、後日どんなからかいを受けるか分かったものではない。
だから警戒して、酒をグラスに注ぎ、腰を下ろしてベッドに視線をやった。
ワインのせいか、汗ばんだまま眠る幸せそうな顔がちらりと見える。起きればまた、大きな声で雄鶏のように元気でハキハキと喋り始めるだろう。
思えばこの時間まで彼女が起きていることは珍しかった。祭りの影響もあったのかもしれないが、巫女様の寝つきが悪かったことも関係しているのかもしれない。
疲労がたまっていると、妙に寝つけないことがある。寝るにも体力がいるのかと思いながら彼は、久しぶりに眠たくなるまでチートショップでも眺めることにした。
次回:チートショップの秘密




