Alter.68 黄蝶
【今日の今北産業】
・フェリシア・デラクルスは死んだ
・勲章を授与された
・グスティ死亡
足を拭いていたタオルを、血まみれで倒れたグスティの顔に無造作に落とすと、フェルは部屋のドアノブに手をかけた。だが、扉に力を込めたその瞬間、背後から襲いかかる何者かの気配を察知し、間髪入れずに短剣を引き抜くと、振り向きざまに敵を薙いだ。
「フェ……ル……よ……くも……」
死んだはずのグスティが、彼女の両肩を掴む。
「……ッ!?」
恐怖に声も上げられないフェルは、ゾンビのように迫るグスティを突き飛ばすと、逆に覆いかぶさるように押し倒し、手にしたナイフで彼の体を何度も何度もめった刺しにした。
「フェ……ル……!」
それでも血塗れで起き上がってくるグスティに、フェルは顔面を蒼白にさせながらも、その刃を眉間に深く、容赦なく突き立てた。肉を貫く確かな感触が手のひらに伝わり、ゾンビの動きは完全に停止した。
どんな異常事態に陥っても、必ずやるべきことはやり遂げる。
彼女の生き様が行動に染みついた結果生まれた、迅速さだった。
そんな彼女の行動に、倒れたゾンビグスティは血の泡を飛ばしながら笑い、陽炎のようにかき消える。
そして、鮮血で赤く染まっていたはずのベッドは純白のままだ。血の一滴の痕跡さえ見当たらない。
演出チートが彼女を弄んでいた。
それに気がつけるはずもない彼女は、悪夢でも見ていたのかと数度瞼を瞬かせ、かぶりを振る。
「夢を見るにはまだ早いってもんだ」
気づくと、また無傷のグスティが隣に立っていた。一切の躊躇いなく、フェルは再び刃を抜く。
グスティも抵抗しようとしたものの、経験値の差か、構えた両腕の腱は断ち切られ、太ももの大動脈も綺麗に裂かれると、彼は声も上げられぬまま骸となった。
確かな手ごたえはあった。硬い筋肉質な肉を切り裂いた感触が、今も手の中に残っている。
夢などではない。フェルは混乱していた。そんな彼女をさらに恐怖のどん底に突き落とすような声が、横から聞こえてくる。
「まさか二回も殺されるとは思わなかったぞ」
フェルが三度目の正直と言わんばかりにナイフを構えたところで、彼が手で静止をかけた。
「あー……まてまて、悪ふざけが過ぎた。三回目は用意していないから本当に具合が悪い。少し話し合おう、これ以上は死人が出る」
無傷のグスティがソファに座っていることに気づき、咄嗟に先ほど殺したはずのグスティに視線をやる。
すると、先ほどまで確かに倒れていたはずのグスティは霞の如く消え失せていた。
これは一体どういうトリックだ?フェルは完全に自分の頭がイカれてしまったのかと、一度自分の頭を強く叩いた。
しかし、ソファに座る男の薄ら笑いが消えない。どうやらこれが現実のようだと、彼女は諦めるしかなかった。
「今さら話し合いができるとでも?」
フェルの声は、驚愕と怒りで微かに震えていた。グスティは変わらず飄々とした顔で、どこからともなく取り出したグラスのワインを一口含んだ。
「命の恩人がする命乞いぐらい、聞いてもバチは当たらないだろう。お互いに死人だと思って、ココは腹を割って話そうじゃないか」
死人になって、という言葉でフェルも自分が今公式には死んだ人間だということを思い出した。そして目の前の男も一筋縄では死にそうにないことも確かだった。
フェルは血のついていないナイフを無意識に拭うと、それをいつでも抜けるように腰に納めた。
「命乞いの算段でもあるなら聴きますが」
お互いに、いつでも殺す準備は出来ていた。
「もちろん用意してある。それよりもまずは、今回の件についてフェルの意見が聴きたい。テロを失敗した感想ってヤツをさ」
「あなたが─……あなたがいなければ、全て順調だったはずだけど?」
フェルがそう言うと、彼は小さく笑った。
「俺が一人で全部止めたなんて、本当は思ってないだろう」
フェルの眉間に皺が寄る。グスティの言葉が、彼女の胸の奥深くに燻っていた疑念を刺激した。
「私の知らない組織が関与していた……?」
グスティは何も言わなかった。
彼女のその思い込みには付け入る隙があり、利用しない手はなかったからだ。
グスティが沈黙を続ける間、地下水路で行われていた一件について、地上で戦っていた彼がなぜ知っているのかと、考えれば考えるほど彼女の背中には冷たい汗が滴り落ちた。
「地下には、たくさん同胞がいたらしいな」
「……なぜそれを」
フェルの瞳が、疑念と警戒で鋭くなる。
「んんー……お前さんの周りで、不思議なことが起きなかったか。例えば、発進直前に仲間の誰かが本来有りえないミスをしたり、余計な時間を取らされたり」
フェルは思い当たる節があるのか、グスティの言葉に硬直した。地下水路で感じた、説明のつかない些細な違和感の数々。それが今、一つの線に繋がっていく。
「どうやら心当たりがあるみたいだな」
彼女の脳内では、地下水路で起きた嫌な記憶が脳裏を駆け巡っていた。そして、それは彼女の中で疑いの芽を育てるのに十分な役割を果たした。
「同じ志の下に集っていたと思っていたんだろう」
「まさか……」
「資金調達に困っていたようだったんでな。こちらに少しばかり情報を流してもらった。───誰が裏切り者か、知りたいという顔だな。もちろんそれを教えるのも良いが、どうしようもないぞ。一人や二人じゃあないからな」
もちろん、嘘である。しかしフェルの黒い瞳には、黒い意志がゆっくりと育ちつつあった。目の前にいる男に好きなようにされている現実と、信頼していた仲間への裏切りが、彼女の心に深い影を落とす。
「同士が金に靡いたと聞いて、随分と落胆しているようだな。裏切られたことがそんなにも不思議か?」
「私の部下を馬鹿にするつもりですか? 」
フェルの声が、怒りで震える。しかし彼女自身もう誰に怒っているのかもよく分かっていなかった。裏切られた部下かもしれないし、不甲斐ない自分にかも知れない。あるいは単純に目の前の軽薄そうな男の顔を見てかも知れなかった。
「まだ現実から目を背ける気か?フェリシア・デラクルス。お前は優しいというより……甘いみたいだ
な」
「黙りなさい……」
「───そんな風だから内部で腐っていくんだ」
「黙れ……!!」
彼女の表情は怒気を孕むというよりも、どこか暗澹としていた。吐き出すように呟いたその言葉は、何かを言い返さなければ二度と唇から言葉を紡げなくなる、そういった気持ちから漏れ出た悲鳴にも聞こえた。
「お前は他より優秀過ぎたんだろう。だからお前は部下の無能さを理解できていなかった。できない人間の側に立って物を見ようとしなかった。違うか?」
「部下の責任は私の責任……です。……それだけは憶えておきなさい」
そんな弱り切った彼女の恫喝にも、グスティは薄ら笑いを浮かべるだけだった。
「泣けるほどに部下思いだな。……裏切られたとしても、部下は部下か。なる、ほど……。謝罪しよう。お前の部下は立派に職務を全うして死んだ。公式記録にも、そう残しておいてやろう。健闘した相手へのせめてもの恩賞だ」
公式記録に……歴史に汚名を残すことはなくなった部下に安堵する自分に気がつき、フェルは下唇を噛む。
「……どういうつもりですか?」
グスティは、彼女の目を真っ直ぐに見据えた。
「公式には俺たちは敵対する軍人同士なわけだが、俺個人はどちらの味方でもないというのが真実ということだ、フェリシア・デラクルス」
ワイングラスに酒を注いで彼女の前に差し出す。その酒は地下水路に置いてあった帝国産の酒だった。
「俺は、知っての通りお前たちに滅ぼされた護身竜の村の生き残りだ」
「ええ。だからこそ、あなたは私に恨みがあるのでは?」
「それは帝国軍人の責任じゃない。俺は帝国を憎んでも、帝国兵を憎むことはしない。それは捕虜の扱いで分かってもらえているだろう」
フェルは、一瞬だけ、その冷たい瞳に微かな動揺を滲ませた。そこまで割り切れるものなのか、という疑念が彼女の心に重くのしかかった。
「……死人という扱いとはいえ、ある程度の自由を与えてもらっていることには感謝しています」
「そいつはよかった。って言うのも、そもそも俺は村の人間であって、この同盟に従属しているつもりは欠片もないってことを知って欲しかったんだ。だから俺は同盟の人間でも帝国の人間でもない。ここまでは問題ないか? 」
「同盟の兵士として働いている人間の口から出た言葉とは思えない発言です」
「うん。まあ、話し合いの前に帝国に殺されかけたんだ。この格好はその結果だと思ってくれ。……分かって欲しいのは、いずれにせよ俺達がまた村で暮らせるようになれば、そこが同盟領だろうと帝国領だろうと関係ないという話さ」
「……貴方、自分の言っていることを理解しています? 」
「もちろん。フェルが俺達の村を取り返すことに手を貸さない事も十分理解してる」
「じゃあなぜ私にそんな話を?」
「俺の立場を理解してもらったうえで、捕虜として解放された後のフェルの話がしたいからなんだ」
「貴方には関係のない話では? 」
「いいやあるね。まあその前にフェルが軍法会議で生き残れるか、だけどな」
「……」
フェリシアはグラスを手に取るが、口をつけようとはしない。グスティはそれを見ても気にすることはな
く、自分のグラスを空にした。
「運がよければまたスパイとして別の土地に飛ばされるか、それとも別の任務が与えられるのかってところか」
「失敗した私を、軍がどう判断するか……です」
フェルは仕事のミスはしていないのだが、自分の思い描いた結果になっていない時点で、それは失敗だと思っているようだった。
「あー……帰ったらそのまま獄死ってこともあるのか」
「……」
フェリシアの顔に、僅かながら不安の色がよぎった。グスティはそれを見逃さず、柔らかい声で続ける。
「あ、そうだ。生活に困ったら、俺にぜひ雇わせてくれよ。階級はないし、部下とかは寄せ集めになるけど」
「どういうつもりですか?」
フェリシアは、警戒心を隠さずに問い返した。
「自分で動かせる軍隊が欲しいんだ。まだ構想途中の絵空事みたいな話だけどな。私兵を作ろうと思ってる。用途は………断続的な世界平和のため……なんてね」
グスティの予想外の言葉に、フェルは言葉に詰まった。その顔には、驚きと呆れが混じり合う。
「驚きのあまり言葉も出ないって顔だな。まあ世界平和って言っても、俺にとっての世界は護身竜の村だけさ。護身竜の村さえ平和であれば後は世界全てが地獄におちたっていい」
世界平和に傭兵を用いると宣言した男の顔を見て、フェルは唖然としていた。そして同時に、それは世界
をより混沌としたものに導く、悪魔の囁きのようにも感じた。
「……呆れを通り越して、正気を疑っている顔です」
「しばらくは捕虜でいる時間もあるだろうし、その間に見るものも色々あるだろうさ。それで判断してくれ」
「本気なの?」
「俺からしてみれば、裏切り者がいるような軍にいる方が正気を疑うけどな」
グスティの言葉がフェルの胸を黒く染めていき、それが彼女の目から漏れ出るような暗い瞳で、フェルはグスティを見ていた。
「それに傭兵ってのも気楽でいいもんだぞ。ビジネスライクで金を稼ぐって共通認識がある分、無理やり徴兵された奴らよりもモチベーションも高いからな。ぜひ検討してみてくれ」
そう言って、グスティは懐から紙で折り畳まれた封筒を一通彼女に手渡した。中には契約書類と、帝国金貨が十枚入っている。帝国金貨一枚で、帝国兵士の給料の半年分に当たる金額だった。
「故郷に男や家族がいるなら送ってやれ。これくらいの額ならいつでも用意できる」
「……何者なんですか、貴方は」
貴族ですら簡単には出せない金額に、フェリシアの瞳が、初めて明確な動揺と困惑を映した。
「帝国と同盟、両方に不信感を持つ一般護身竜の民だ」
そう言って、グスティは自室の部屋の扉を開けた。
「長話をして悪かったな。どうぞ、捕虜は寝る時間だ」
そう言って困惑するフェルを隣の部屋に返す。モット卿に頼んで、グスティは隣に捕虜の部屋を用意してもらっていた。
そうして彼女が隣の部屋に帰るまで見送ったグスティはコーヒーを淹れると、未だに賑わう夜のトーレッ
ド祭を眼下に望んだ。
「………角砂糖四個は入れ過ぎたな」
いー、と顔を顰めて甘さに悶絶しながら、改めて新聞を開いた。
グスティの夜はまだ始まったばかりだ。
次回:新聞
手直ししていないお話が積まれているけど、いざ投稿しようとなると手が止まる不思議。
どんだけ修正しても納得がいかないのでとりあえず投稿。




