Alter.67 英雄とフェリシア・デラクルス
【今回の今北産業】
・慰霊祭が盛大に行われた
・盗賊団の頭領と小さな祝杯
・政治のお話(つまらない話)
陽煌の節 9/1 10:00
シュヴァルツ諸侯同盟領 北の都市トーレッド
モット卿の城 グスティの部屋
写真撮影から帰宅したグスティを出迎えたのは、物置のようになってしまった自室だった。
以前はただ就寝するだけの簡素な部屋が、今や見知らぬ誰かからの贈り物で満たされている。辛うじて種類別に整理はされているものの、どうしても重ねることのできない品々が、机の上を我が物顔で占領しているのは当然の帰結といえた。
「ただいまー……」
「おかえりなさいませ。ご主人様」
月明かりが差し込む暗い一室で待っていたのは、茶髪パッツンのショートボブ執事。ボストン型の黒縁眼鏡の奥には、深い闇を宿したかのような黒い瞳がグスティに視線を向けている。
「ご主人様、服をお預かりします」
執事の感情の抜け落ちたような声に、グスティは含み笑いをして軍服を脱ぎ渡した。
「勲章をこのように扱われるのはいかがなものでしょう」
軍服の胸元に付けられた会員ナンバープレートの下敷きになっている勲章に、何を思ったのか、執事はプレートを外してから丁寧に勲章を磨き始めた。
「あー……そんなプロパガンダの象徴、早く捨ててしまえれば最高なんだけどな。お前も邪魔だと思うだろ?そんな飾り」
執事の視線がグスティを一瞥した後、再び勲章に吸い寄せられるように戻った。
「そうおっしゃらないでください。それに階級だって異例の昇進でしょう?勲章持ちの特進なんて滅多にあることじゃありませんよ。余程大きな獲物をお狩りになれたようで」
この二週間で、グスティは二階級特進を二回も経験し、階級無しから一気に兵長へと昇進していた。これが本来なら有り得ない異例のことだと、彼自身も理解している。グスティはこの昇進を、軍上層部の政治利用だと捉えていた。
竜の巫女はそのカリスマ性と神秘性で上流階級からの支持を集めていた一方、グスティは見回りやスラムでの慈善活動を通じて、労働者階級からの高い支持を獲得していた。
今回の混乱で、こうした支持基盤を失いかけたトーレッドの上層部が、二人を取り込むことで治安の悪化を食い止めようとしたのである。
苦肉の策と言うか、国防のためならばあらゆる手段が正当されるのだと、グスティはこの時に実感するに至った。
「賢しい狐を一匹な。……まあ、階級なんてどうでもいいさ。その勲章のせいで、今じゃこんな不自由な生活を強いられているんだからな」
送られてきた荷物に辟易しながら、ズボンのベルトを緩める。ほとんどの功績を竜の巫女に擦り付けることには成功したものの、一部の証拠には言い逃れができなかったのだ。
そうして、神出鬼没と揶揄されたグスティは、軍内部で最も功績を上げた者に授与される『神龍勲章』を、永住権と共に押し付けられてしまう。
『神龍勲章』とは、豪華な銀の龍が装飾として施された視覚的な名誉の象徴だ。
しかし、グスティはその勲章に特に感慨を抱くことはなかった。どれほど「凄い」と称賛され、何か渡されたとしても、それが『安心』に換えられない以上、無価値に思えたのだ。
だが、目の前で大切に扱われる勲章を見ていると、少しばかり価値を見直さなければならないのかもしれない。
グスティはそう思って執事に訊いてみた。
「あんたは、その勲章を俺にもっとありがたがって欲しいのか? 」
その言葉を聞いて、わずかに目の奥に深い闇を宿す執事。怒りや悔恨を含んだ、粘性の感情がじっとグスティに向けられている。
「おいおい冗談だろ。笑いたきゃ笑って良いんだぞ」
グスティはそう言いつつ、視線を逸らすように机に置かれた新聞の一面を見た。
『ゴーレム技術顧問フェリシア・デラクルス、遺体は依然発見されず』
見出しにはそう書かれている。そして捜索は打ち切りとも。執事が先ほどまで読んでいたものだろう。自分のことが書いてあったものだから、気になったのかもしれない。
「ほー……うまくいったみたいだな。朗報だ」
ペラリと新聞をめくって、追加情報がないか探してみるグスティを前に、執事は眼鏡を外す。裸眼でも全く問題のない黒い双眸は、じっと彼を見つめていた。
「いつまでこのままでいさせるつもりでしょうか? 」
今ではすっかり執事が板についた彼女。メイクの仕方もあるのだろうが、まるで本当に別人だ。
「そりゃあ、俺の気が済むまでさ。捕虜の取り扱いにしては破格だろ?日頃好きに活動できるし、夜は与えられた部屋で寝泊まりするだけ。死人には少しばかり上等な気もするんだが?それともフェルはこの扱いが不満か?」
執事の姿をした男装の麗人、彼女はグスティが殺すべきだった女、テロリストの首魁であるフェリシア・デラクルスだった。
「これなら鎖に繋がれていた方がマシです。……貴方に女を男装させる趣味があったとは驚きました」
さらしで押さえつけられている胸をさすりながら、相変わらず何も見ていないような瞳でフェリシアはグスティを見ている。
「だとしたら人前に晒さないだろうな」
「私を辱めるためですか? 」
「違うの分かってて言ってるだろ……お前。部屋の荷物、贈り主ちゃんと見たか?」
グスティは隅に追いやられた富豪や豪商からの贈り物に視線をやる。どれも招待状が添えられており、返事が必要なものばかりだ。勝手に送りつけておいて返事を寄越せとは何様かと思いつつも、その全てを読み、ちゃんと“欠席”の旨を書いて送り返すあたり、彼もまた律儀な男だった。
「インビテーションカードでソリティアができますね」
「ああ。返事をするこっちの身にもなれってんだ……」
全員似たような構文で、お茶会への誘いをしてくるのにグスティはうんざりしていた。お茶会の目的は、我が家の次女や三女をメイドにどうか、という就職活動を兼ねた話がメインで行われる。このご時世、中流階級から、一般的に四人から七人の使用人がついて回るのが一般的とされていた。
そのため新しく階級の上がった軍人の下には、将来性を鑑み、中流階級の親が娘のため手紙を送るのが日常的とされている。
もちろん今すぐに、というわけではない。若い内から懇意にしていれば、いずれ偉い立場についた時に有利に働くだろうという、いわば先行投資のようなものだ。贈る側は気楽でいいが、贈られる側としては溜まったものではない。
「手紙だけの物もたくさんあるようですが?ほら、こちらなんてハートの便箋ですよ」
フェルはそう言って、良い匂いのする便箋の束をグスティの前に無造作に置く。手紙文化の弊害か、住所の割れている人間の下へは毎日のように手紙が送られてくる。それも都で一躍有名人となった軍人となれば、その数は一通や二通では留まらない。
「…………後で読む」
プレゼント以上に頭を悩ませるそれらは放置していた。いっそのこと全員の家の前で一通ずつ破り捨ててしまいたい気持ちに駆られながら、多忙を理由に放置を決め込んでいる。顔も知らない相手からの好意に彼は怯えていた。
「いっそ嫌われた方が良いんじゃないでしょうか。使用人だって、もうたくさんいるということにして」
フェルは簡単なことだと言って、グスティの部屋着を持ってくる。
「ここで安易に手札を減らすようなことはしたくないんだ。貴族との繋がりが必要な時が来るかもしれないだろ?そういうもしもの未来に、こういう手札は残しておきたいんだ」
「見ようによっては、クズ男ですね」
「あぁクズだよ。俺は俺の守りたいもの以外に興味はないからな。お前に執事の恰好をさせているのも、それが理由さ。暑苦しいだろうけど、もうしばらく我慢してくれ。男にも女にもなれるやつは都合が良いんだ」
そうグスティが言うと、フェルはわざとらしく不快な表情を見せた。それに彼は苦笑すると、部屋着に着替えてベッドの端に座る。
そうして最高級の半長靴を脱ぎ、靴下も脱ぐと、ボロボロになった足が現れた。長時間の訓練とその後の見回りで、蒸れと擦れが彼の足を限界まで追い詰めていたのだ。
フェルは冷たいタオルの入った桶を持ち込み、グスティの足を拭き始める。
「ひどい匂い……」
「……言うな。スパイだって似たようなもんだろ」
「帝国軍人は皆綺麗好きなので。一緒にしないでいただけますか」
「んじゃ、今脱いでみろよ」
「……変態」
フェルの言葉。そして訪れるわずかな静寂。
「……今の俺が悪いのか?」
「当たり前ですが?」
「だな」
冷たいタオルに目を瞑り、ため息をつくグスティ。その隙をフェルが見逃すことはなかった。
腰から引き抜かれた短剣が、グスティの喉元を撫でるように振り抜かれる。ぬるりと、魚に刃を入れるようにグスティの喉笛は音もなくぱっくりと開き、そこから鮮血が噴き出した。
呼吸をするように自然な動作で行われた残虐な行為に、グスティは硬直したまま目の前の赤い現実を受け入れることしかできない。
そしてフェルは続いて太もも、脇腹ときて、最後に仰向けに倒れたグスティの心臓にナイフを刺して引き抜いた。
綺麗な白のシーツを、倒れたグスティの鮮血が染め上げていく。
フェルは表情一つ崩すことはなく、まるで魚の下ごしらえでも終えたように短剣を納め、首と肩を回した。血だまりを作るのに五秒と必要としない、ベテランの動きだ。
「復讐はしたわ……みんな。安らかに」




