Alter.63 夜間遊泳
【今回の今北産業】
・どこもかしこも大変だー。
・撤退よりも前進し、戦って勝利することこそ、武人のほまれー。
・佐官は頭を抱える。
無能な仲間を切り捨てる、そんな考え方は大嫌いだが、今後それで身内が危険な目に合うかも知れないと考えた時、自分が後悔しないかと問われれば、間違いなくする。
あんな老人の差配で、自分の身内が危険な目に合うかも知れないと考えるだけで、虫唾が走る思いだ。そう考えた時、グスティの口から「それならお前が先に○ね」という言葉が洩れるのは、仕方のないことだった。
しかし、かといって助けられる命を助けないというのは、絶対に巫女様が嫌うところ。
力を持つべき者の責務として、彼女は全身全霊を持って助けられる命は救うだろう。そしてグスティがこの場にいながら、誰の命も救わなかったと知れば、必ず彼女は彼を糾弾する。
「アンタのその力はなんのためにあるの? 」
グスティには心の中の巫女様が、そう怒っているような気がした。
「そりゃ……なるべく身内が幸せになるために……だろうさ。それが俺のやりたいことで、守りたいものだ」
そう心の中で返事をする。グスティにとって本当に守るべき者達はトーレッドの民ではない。護身竜の村の人間だ。それを間違えてはならないと、彼は何度も心に反復する。
「アンタは楽な道に逃げようとしてる。そんなの絶対に許さない」
「楽な道なんかじゃない。見捨てるって選択は、ある意味ずっと後悔するかも知れないんだぞ」
心の巫女様にそう言い返す。グスティは護身竜の村で、仲間を見捨て逃亡した。
そしてその結果をグスティはずっと後悔していた。あの時もしも自分に戦う覚悟があり、人を殺す覚悟があったなら、こんな後悔もせずに済んだのかも知れない。
だからこそ、また逃げるのかと自らに問い続けてきた。
「今からアンタは帝国兵を追い返して、トーレッドの兵士も全員無傷で生還させて、将官の命も守る。それでもし今後私達がピンチになるようなことがあれば、またアンタが助ける。それが完璧でしょ? 」
もはや巫女様でも言わないようなことまで言い始める心の声。
そう、それは紛れもなく隠し続けてきた自らの恥ずかしい理想だ。帝国兵の命も味方の命も両方助ける。それを全て完璧にやり遂げ、未然に迫る危険を闇に葬り続ける……それが出来ればどれほどいいか。
しかし理想はあくまで理想であり、現実は目の前の帝国兵を屠る力しかこの手には無かった。それも、築く死体の山は数十、数百の話ではとどまらないだろう。多くの命が失われる。
そしてそれは誰かが願ったわけでも、頼んだわけでもない。彼がしているのは偽善に満ちた、ただのお節介であり、やる必要のない徒労かも知れなかった。
もしかすると、グスティの知らないところで秘密裡に合意がなされ、今にも戦争は止まるかも知れないし、夜になったから眠たくなって帰ってくれるかも知れない。
グスティはそんな妄想をしながらも、敵が止まることを願っていた。今から世紀の大虐殺に手を染めようとしている人間の思考とは到底思えない、余りに平凡な男。戦場では逆に彼のようなものが異物だった。
「俺は普通の人間だぞ…? なんで一般人が数千の人間を殺すなんて話になる? 」
おかしくなっている自らに再度問うた。
振るう力は最強であっても、扱う人間は凡庸な俗物なのだ。聖人君子などではない。
判断ミスもするし、準備を怠るようなこともある。
そんな自分が、咄嗟の判断で数千の人間を殺す選択をしてよいものか。加速する永遠のような思考の中で考え続ける。
しかし、答えは出なかった。
「目の前に歩いてくる奴ら、本当に死ぬ気なのか? 冗談じゃ済まないんだぞ……」
言葉にできない心の嗚咽。しかしそんなことは気にせず世界は時間を刻んでいる。決断はすぐそこに迫っていた。
改めて運命の糸チートを有効化するグスティ。欺瞞の糸はなおも白く、平野の向こうへ導いているように見える。その標を唯一の指針にすることがどれほど危険か彼は十分に理解していた。
振り返れば、緑や青の糸もあった。しかしそれらはトーレッドの中にあり、引き返せばこの場にいる兵士達を見殺しにすることは免れないであろう。
「もっと何かあるはずだ。上官を説得するとか、上官を置いて兵士達を逃がすとか……! 」
もしかすると、自分でなければ、あの茹でタコのようなお爺さんを言葉巧みに誘導できたのかも知れないし、チートを使って兵士達を全員戦場から離脱させることも出来たかも知れない。
しかしここに立っているのは紛れもない、自分自身だった。あの言葉の通じない老人を説得する言葉は持っていないし、兵士達を戦場から離脱させるような能力も持っていない。再度チートの購入画面を見てみたものの、そこには購入済みのチートや、値段だけが高いゴミしか売られていなかった。
「やれ。殺せ。敵はもう目と鼻の先だぞ。このまま動かず、トーレッドの兵を見殺しにする気か? あの村の時と同じように」
聞こえる何者かの声。それが自分のものであると信じたくなかった。
「殺すなんて選択肢……普通じゃないぞ」
彼は眼を瞑り、やがてゆっくりと開いた。平原の向こう側には、帝国兵が列をなして近づいてきている。ゴーレムを戦闘に背後には多数の異端核保持者の姿までも見えた。それも十や二十ではない。
本気でトーレッドを血の海に沈める用意が彼らにはあるように思えた。その恐怖が彼にチートの使用を促す。目の前に広がる恐怖を一掃する力がこの手にある。それだけで、この力を使おうとしてはいないか、冷静になり切れない頭で何度も何度も考えた。
しかし、彼の心は既に決まっていた。
「――絶対に、絶対に後悔するぞ。いいんだな、俺。……………いいんだな? 」
覚悟を決めたグスティは砂利を掴む。
結局最後の最後まで、自らの手で人を殺すことに躊躇いが残った。
ゴクリと喉がなる。彼は今から想像できない数を殺戮する。
本当ならば誰かに相談して、一年ぐらい議論に議論を重ねてから答えを出したいところだが……残ねんなことに彼の隣には相談できる仲間がいない。
倫理的に間違っているとか、道徳的に間違っているとか、もっといい方法があるかも知れないとか。
思考加速チートを使って色々考えるが、結局現状の課題を達成するのに、殺害という方法が一番であると考えている自分に彼は絶望した。敵が来るまでの数時間を、最大限に思考加速チートで加速した場合、その思考時間は数日にまで引き延ばすことが出来る。
そしてその時間を使って考え尽くしたが、平和な国で生まれた青年の出した答えは、結局目の前の敵を殺した方が、後々のことを考えれば効率的である、という大変残念な結果に。義務教育で習う平和学習とは一体何のためにあったのか。グスティは自らの頭の悪さを呪った。
そして頭の中で数日考えることで、諦めもついてしまった。
眉間に皺をよせた彼は、インビジブルチートで砂利を透明にすると、遠くから進軍してきている豆粒のような帝国兵に狙いを定めた。
「……すまん」
振りかぶると、敵の軍隊目掛けて彼は砂利を投擲した。
途中で不自然な空中軌道を見せた不可視の砂粒は、風に乗って一粒一粒が生きているかのように拡散する。そして途中その大きさは変容し、巨岩となって敵軍の頭上に降り注いだ。
拡縮チートによって砂利が巨岩になり降り注ぐその様子は、まるで不可視の流星群。降り注いだ星屑の下敷きになった兵士達は、自身に何が起きたのかを理解する暇もなく肉塊となった。
残された兵士達は、突然潰れた仲間の姿を見て天を仰ぎ見る。空は既に暗黒に飲み込まれ、何が潜んでいるのか分からない状態。兵士達は戦慄し、恐怖に怯えた。
「こ、攻撃だ!! 迎撃態勢!! 」
ゴーレムの背後で構えていた異端核保持者が数人、空へ向かって索敵をするかのように魔法を放ったが、それで分かったのは大きなナニカの存在だけ。それが巨岩であるなどと誰も知るよしもなかった。
逆に強い衝撃を与えて壊れた透明な巨岩は二次災害を引き起こし、それがまた大いに不安を煽る。帝国軍はパニックになっていた。
「同盟の異端核保持者の魔法だ! 見つけ出せええ!! 」
帝国軍の将は未知の攻撃を異端核保持者の魔法と断定して、隊列が乱れないよう口角に泡をとばす。しかし一瞬にして大量の死者を出した帝国軍の混乱を治めることは不可能となり、敵前逃亡をするものが続出した。
「これほど強力な異端核が同盟にあるなど聞いていないぞ!? 」
帝国の将は舌打ちをすると、すぐに撤退の準備を始めた。この北の大地を治めることが、同盟の頭を抑えることに繋がる。そのことを理解していた帝国の将は、安易に強行突破することを避け、慎重に事を進めることを念頭に置いていた。
「敵は透明な物体を落とす魔法を使って来る! 私の記憶にはない魔法だ! 新種の異端核が見つかった! 」
熱を帯びた敵将の声が戦場に響く。既に最低限の損害で戦場を切り抜けるために、全体で撤退を開始していた。
竜の巫女やガルシア少尉と戦うために用意されていた、対火性能や耐電性能の高い装備を持ったゴーレムは先に、前線基地に帰投する。
そして残ったゴーレム達が、背後に立つ異端核保持者やさらに後方の兵士達を守るように動いた。
このようなことも起こりえるだろうと想定された帝国の動きを見て、グスティは攻撃を仕掛けるタイミングが早すぎたこと悟る。敵が引き下がれないほどにひきつけたうえで攻撃すればよかったのだが、そんな余裕は持ち合わせていなかった。
「貴重な情報だ! 異端核保持者の姿を見ることが出来なかったことが心残りだが、今は新種の魔法を見つけたということで、成果としよう! 」
敵の新兵器を確認したと息巻く帝国の将、後退してまた対策を立てれば、例え同盟が協力な異端核を所持していたとしても、物量で勝ち切ることができる。むしろこれだけの損害で、危険な異端核の存在を知れた事を帝国の将は喜んだ。
しかしそんな彼の前に絶望が再び姿を現す。
「……へっ? 」
足が動かなかった。他に逃げようとする兵士達の馬もまるで、沙漠で足を取られるように足をばたつかせている。しかしこんな場所に沙漠はない。その認識がまるで暗闇に足を取られたかのような錯覚を生んだ。
「……これでしばらくは侵攻しようなんて考えないでくれ」
そう言いながら、黒い瞳を向けるグスティは、砂に足を取られた帝国兵に向けて再度砂を投擲した。投下された砂は無色透明に変わり、その数を増殖させる。そうして増えた砂はいたずらに積もって、敵兵の足を掴み、足取りを重くしていく。
それは戦場に突如として出現した無法の砂漠地帯。足を取られた者から、順に這い寄る暗闇に蝕まれ、ついには全てが闇の中へ飲み込まれてしまう真夏の悪夢。そこに脱出の希望を見出す者がいるとすれば、それは冷静に仲間を見殺しにした者達だけ。
善意を好む絶望砂丘を逃げ切った者達の背後には、苦悶の表情を浮かべた骸が宙に浮く。その奇景が示すのは、暗黒から均衡を望む傍観者からの初めての警句だった。
「苦しいだろうな」
砂に呑まれて溺れる帝国兵たちの末路を彼は眉を顰めて静観する。帝国は嫌いであっても、そこで働く兵士達が嫌いなわけではない。
彼らもまた命を扱う商人である以上、上の人間に従わなければならない。強い恨みを持って戦争に参加している人間もいるのだろうが、大多数がそうではないことも事実。国のため、家族のために連峰を越えてきたのだ。そんな彼らを無慈悲に砂の中へ消し去る自分は何様なのかと、グスティは自らに問うた。
「もう来ないでくれ……」
グスティは砂のついた手を払う。帰り際上層部への報告などに向かうことはせず、ただ今も暗雲とした雰囲気漂う兵士達の間を縫って、ゴーレムに乗りこんだ。
誰かがそれを止めるということもなく、グスティはエンジンをかけると戦場を後にした。
トーレッドから帰る途中に彼はコックピットの中でふと自分の手を見る。日に焼けた小麦色のゴツゴツした手。少し砂を触った痕跡がある以上には、特にそれと言って特筆することもない平凡な手だ。
彼は自らの手で大勢の帝国兵を葬ったという実感がまだ湧かなかった。これから先、ゆっくりと禁断症状のようにそれは忍び寄って来るのではないかと考えた時、彼の背中は悪寒で震えた。
「……もうやったんだ………次のことを考えろ」
外敵を倒しはしたが、トーレッドの内側で起きているテロはまだ終わっていない。
グスティは異常に汗ばむ操縦桿を、血が出るほどに握りしめて前に倒す。そうでもしなければ、この脆い心臓は簡単に破裂し、自身が何者であるか見失うような気がしたからだ。
正気を疑うのはもう遅い。賽は投げられたのだ。
次回:テロ終戦
第一章中編:護身竜の村奪還作戦【本泥棒編】完




