新・私のエッセイ~ 第200弾 ~ 『代表作』とは・・・ニ度とめぐり会えない【たからもの】
・・・ぼくの、新しいスタイルのエッセイも、
これで、通算200作目になりました。
まぁ、
いろいろな個人的事情などにより、みずから削除してしまったものも、いくつかありますが。
ここでいうところの「新しいスタイル」といいますのはね、
「旧・私のエッセイ」では、作者であるぼく自身の呼び名を、ある時期を迎えるまでは・・・
ちょっと堅苦しい「私」としていたのに対し、
新しいエッセイでは、最初から、親しみやすい「ぼく」で統一させていただいておる・・・といったところですか。
いちいちウザかった、「皆さん、おコンバンワ!」という、冒頭のご挨拶が消えたのも、特徴のひとつですね。
いきなり、エッセイ本題に突入するようになりました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・皆さんにとって、
いわゆる『代表作』とは、いかなる意味合いを持つものなりしか・・・!?
なんか、
どこぞの「禅問答」くさい感じもしますけど、
きっと、皆さんにとりましても、
吟味して選んだからには、何か特別な理由がおありなのかと。
ぼくの場合はですね・・・
それが、記念すべき「処女作」だった、ということもあったのですが、
どちらかといえば、
『あとづけの論理』から、あらためて、そういう流れになった・・・ということなんです。
??????
ご説明しますネ。
あの作品をお読み下さり、
さらに、ぼくと美絵子ちゃんに関する、「本物の歴史」「お互いがたどってきた、真実の人生史」というものまで、ご存じの先輩方や、古くからの読者の皆様にとりましては・・・
ぼくと彼女の「関係の変化」「立ち位置の変化」「お互いの気持ち・心境・印象の変化」といったことまで、おそらく知ってくださっておることと思います。
あの代表作の執筆の開始当初は、
ぼくはまだ、その時点では、美絵子ちゃんの現状はおろか、彼女の「生死」すら判明していない状態でした。
・・・ついでにいえば、
美絵子ちゃんの、美しく成長した姿は、一度、1989年のお盆に見てはいたが・・・
その落ち着いた、変声期以降のオトナの魅力を有したお声を、ぼくはまだ知らないでいたんです。
・・・もちろん、彼女のお仕事の内容もね。
それらをこうして、知ってしまった、いまのぼくには・・・
もう、ニ度と、同じ『たからもの』は書けません。
そういった意味で、ぼくにとりましては、とっても貴重な、特別で別格なタカラとなっています。
追伸:
余談になりますが、こんなお話も。
ぼくはいま、大量の言語を、同時並行で学び、
すさまじい勢いで、「復習」「暗唱」「音読」「スピーキング練習」「リスニング」「ディクテーション(= 書き取り)」をルーティーンで回しつつ、
一日、最低3言語学習をノルマにして、ほぼほぼ毎日こなしてはおりますが・・・
言語ひとつあたりの、
『新鮮なリスニング』というものは、残念ながら、
悲しいことに、ニ度とかないません。
??????
またも、「ハテナ」って感じでしょうか。
つまりね、こういうことなんですヨ。
「たとえば、ハンガリー語を勉強するにあたって、はじめてリスニングに挑んだときの、語彙も例文も、まったく未知の状態での、あの新鮮な気分でのリスニングは未来永劫できない。」
ってことなんです。
ハンガリー語じゃ、なかなかわかりにくいので、
ブラジル・ポルトガル語に置き換えますとね・・・
「ボサノバ」が好きな人が、
これまでポルトガル語の単語の意味をまったく知らずに、純粋な「メロディ」として聴いていた、お気に入りの名曲が・・・
いざ、きちんと、ブラジル・ポルトガル語を学びはじめて、ヘタに単語の意味や歌詞の内容がわかるようになってしまうと、
ニ度と、「新鮮なBGM」として聴くことはできなくなる、という意味なんです。
・・・ちょっとクドイ、嫌なエッセイでしたかな。
まぁ、
たまにはいいじゃありませんか♪
m(_ _)m