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第一話~月の影~

遠くの方でわたしを呼ぶ声がする。

それはどんどん近づいているはずだが、肝心の声の主の姿は見えない。

きょろきょろと辺りを見回すが、目に入るのはせわしなく行き交う侍女たちと、競い合うように咲き誇る花々のみ。


と、そのとき。


「見つけた!」


濃緑に生い茂った生垣の隙間から勢いよく飛び出たのは、わたしの主。


「もう、探したんだから」

「シャクヤクを一輪取ってきてって言ったのは翠珠(スイジュ)様ですよ」


主である翠珠様は、ここ「蒼の国」国王である蒼王の第4妃。

しんと静まり返った湖のようなエメラルドグリーンの瞳を持つ彼女は、その水面を震わせるかのごとくクスクスと笑った。


「そうね、そうだったわ」

銀糸のような自分の髪の毛にまとわりついた木の葉を、翠珠様は乱暴に払う。

わたしは慌ててそれを止める。

「いけません、髪の毛が傷んでしまいますよ」

「気にしないの、どうせ蒼王様のお渡りもないんだから」

屈託なく笑う翠珠様の言葉に、わたしは思わず言葉に詰まる。

翠珠様がこの後宮にお越しになったのが一年と半年ほど前のこと。

その間、王のお渡りは一度もなかった。



そんなことはない、いつか……と答えるのが正解だろうか。

いやきっと翠珠様を困らせてしまうだけだ。


言葉をどうにか紡ごうとまごつくわたしに、翠珠様はふっと笑う。


「優しいね、真珠(シンジュ)は」

それだけ言うと、翠珠様はくるりと踵を返して歩き出す。

その後ろ姿は満足げなようにも、悲しんでいるようにも見えた。





「真珠」という名とつけてくれたのは、翠珠様だ。

この世界のどこかにある【海】という場所に生まれる生物が抱いている宝石の名前らしい。

そんなものが本当にあるのかどうか、わたしは知らない。翠珠様も見たことがないという。

けれど、いつか見れたらいい。翠珠様と一緒に。




「ところで」

わたしが声をかけると、翠珠様は手を止めてこちらを見る。

翠珠様が居住している翠苑宮(スイエンキュウ)に戻った彼女は、水をなみなみと注いだ瓶の中に、先ほど庭園からもらってきたシャクヤクの花びらを一枚一枚ちぎって入れているところだ。

「それは何をしているのですか?」

「いい質問よ、真珠。今日はね、花影宮(ハナカゲキュウ)椿(ツバキ)様とその妹君が遊びに来てくださるでしょう?」


椿妃。蒼王の第3妃にして、後宮の中でもひときわ大きな庭園を持つ花影宮の主だ。

人付き合いを嫌う翠珠様が唯一親交を持つお妃様でもある。


「そうですね、花茶や茶菓子の準備はできています。…でもそれと何か関係が?」

「椿様の故郷では、お花を水に浮かべて飾る文化があるんですって。わたしの庭園で咲いた美しいシャクヤクを、椿様のふるさとの風儀でお見せするの」

そう言うといっそう楽しそうに、再び花びらをちぎり始めた。


翠珠様らしいお考えだと思った。

相手の話を聞いていないようでよく聞いている。そしてよく覚えているのだ。

きっと落ち着いた性格の椿様もお喜びになるだろう。



「椿妃様、いらっしゃいました」


侍女の声とともに、扉が開く音がする。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」

椿様は軽くドレスの裾を上げて、翠珠様に挨拶をした。

そのお召しものはわたしたちが見慣れたドレスのような裾の膨らみがなく、身体の輪郭に合わせてすとんと落ちるようにデザインされており、前で左右の布を交差させ、その上から一本の太いリボンのようなものが締められている。

薄紫色のそのドレスは、椿様の漆黒の髪の毛によく似合っていた。


「椿様、よくおいでくださいました!さぁ、こちらに」

翠珠様はとても嬉しそうに椿様を迎え入れ、寝椅子へと座らせる。

「翠珠様、お元気そうで何よりですわ」

「椿様こそ……あら、妹君はご一緒ではないのですか?」

言われてみれば、椿様と一緒にいらしたのは侍女2人のみで妹君の姿はない。

花影宮の侍女に聞いた話では、昨日花影宮に到着されたはずだった。


「妹の富貴(フウキ)なのですけど、体調が優れないと言い出したので花影宮で休ませることにしたんです。せっかくのお招きですのに申し訳ありません」

椿様は心苦しそうに言う。そんな椿様の手を取って、翠珠様はふわりと笑った。

「お謝りにならないで、きっとここに向かう長旅で疲れてしまったのよ。」

「ありがとう……でも」

椿様はそう言うと、言葉を飲み込んだようにして黙る。

「でも、どうしたの?」

翠珠様は言葉の続きを待つ。すると椿様は少しだけ俯きながら話し始めた。

「花影宮に到着してから、富貴の様子がおかしいんです。何だか、富貴が富貴でないような気がして……すみません、妙なことを申してしまいましたわ」

椿様は困ったように笑顔を作るが、その顔は引き攣っており、話が冗談の類ではないことが見て取れた。

そして、同じことを翠珠様も感じ取ったようだった。

「聞いてもいいかしら、おかしいというと?」

「実は……」

椿様が言葉を続けると、翠珠様とわたしは彼女の言葉に集中した。椿様は言葉を選びながら、慎重に話を始める。


「いつもの富貴は明るく天真爛漫で、わたくしや侍女、従者に対しても細やかな気配りをしてくれる女性です。しかし、今日の富貴はどうも様子が変なのです。私と顔を合わせた途端、まるで別人のように振る舞い始めました。」


椿様はそのときのことを思い出したのか、顔をしかめる。


「そしていつもと違って落ち着かず、不機嫌な態度を取ることが増えました。普通ならば見せないような気配りの欠けた言動も目立ちます。さらに、何かに怯えているような素振りまで見せて……」


「それは心配ですね」と、翠珠様が口を挟む。

「何か、特別な原因があるのかもしれません。」


椿様は深く息をつき、再び視線を落とした。

「私もそう思います。ただ、この異変の理由が掴めず、本人に訊ねても返事は返ってこないので……どう対処すれば良いのか分からないのです。富貴の様子はどんどんおかしくなり、わたくし自身もどうして良いか困惑しています。」


翠珠様はしばらく黙って考え込んでいたが、ふっと明るい表情を取り戻し、椿様に微笑みかけた。

「お話を聞かせていただいて、少し見当がついたかもしれません。まずは、富貴様の状況をしっかり把握するために、何か心当たりがないか探してみましょう。」


「ありがとうございます、翠珠様。」

椿様は感謝の気持ちを込めて頭を下げた。

「もし、何かお手伝いできることがあればお知らせください。」

翠珠様は優しく頷いた。

「もちろんです。何か気になる点があれば、いつでも相談してください。私たちで解決策を見つけましょう。」

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