私に恋情がないと断言された完璧婚約者の真の姿
「で、あるため文献上、魅了の効果を受ける際は対象者の元々持つ恋情がクリスタルを持つものへ向き、
恋情を持っていた相手に対しては逆の気持ちになる、ということになります」
王城の一室で、文官は淡々と事実を述べた。
その言葉を聞いて、私は「はあ」としか声が出ず隣に座る母は気づかわしげにこちらを見た。
母の反対隣りに座っている父の反応はわからない。
その日、どうやって家に帰ったかよく覚えてない。
ただずっと、文官の言葉が頭を巡る。
そうして行きつく答えは、結局ひとつだけ。
まあ・・・、ないよね恋情・・・
私、エルティナ・テールバンとアラン・クラハドールが婚約を結んだのは、私が10歳、彼が11歳の時だ。
代々宰相として活躍するクラハドール侯爵家の嫡男であるアランの嫁として選んだのが、同じ第一王子派であり、政治的にも家格的にも問題がないと判断されたテールバン伯爵家の長女である私だった。
初めて顔を合わせた時、私はアランの濃紺の瞳が印象的で目が離せなかった。
よく見ると紫がかったような深みのある青色のその瞳が、彼の整った容姿を更に良く見せてると感じた。
あまりに見つめすぎて、それが恥ずかしかったのかそれまで無表情だったアランが少し照れ笑いを見せたとき、私の心は高鳴りが止まらなかった。
婚約を結んでからは、月に一度のお茶会と定期的な手紙のやりとりをし、お互いの誕生日にはプレゼントを送り、誕生パーティーを開けばパートナーも務める。
優秀なアランは会話の中で出てきた私の好きなものを覚えてくれていて、それをプレゼントしてくれた。
どちらかと言えば寡黙なアランだが、私の話はしっかり聞いてくれているし、アランが主で話すときは聡明さがわかる言葉の使い方や話題で、でも私にもわかるように話してくれるので聞き入ってしまう。
基本的には無表情なアランだが、時折笑ってくれるとあの時みたいに心が高鳴ってしまう。
抜かりはない、完璧な婚約者としての役割を果たしている。
当たり前に続いていた日常が、完璧なものだったと気が付いたのは16歳になる年に貴族学園へ通いだしてからだ。
私たちの婚約は周りに比べ少し早かったが、その頃には同じ年頃の貴族たちも婚約者が決まる者が増える。
貴族でありほとんどが政略結婚だ。とはいえ、年頃の男女だ。そこには理想があり、期待がある。
それ故に、不満も生まれる。
やれお茶会をすっぽかされただの、手紙を送っても返事が来ないだの
プレゼントが贈られないだのセンスがないだの。
まだまだ少女である私たちはカフェでお茶を飲みながらそんな話に花を咲かす。
「エルティナ様はアラン様にはないのかしら?そういうの」
「そうねぇ・・・学園に入学しても変わらずだから・・・」
「いいわねぇ」
なんて、口をそろえて羨まし気に友人に言われるのは一度や二度ではなかった。
不満はない。それなりに信頼関係を築いている。
・・・でも、本当に幸せかどうか別だけどね。
といった言葉は、決して口には出せなかったけれど。
そんな日常に、異質なことが起きたのは、学園に通いだして2年目の時。
アランはひとつ上の学年で、上級学年と呼ばれる学園生としての最終学年であった。
同じ学年には、第一王子や騎士団長の嫡男や魔術師団長の次男等、将来国の中枢を担っていく者が揃う学年でもあった。
王子を中心としたその人たちは幼馴染であり、王子の側近や護衛でもあり学園内でもよく一緒に過ごしており、目立っていた。
またそれぞれの婚約者と仲が睦まじくそういった意味でも憧れる者は多かった。
もちろん宰相子息であるアランも第一王子の幼馴染兼側近として、他の人たち同様に学園に通う人々の憧れの人物として存在していた。
その王子たちの中に、ある時から一緒に過ごすようになっていった女性がいる。
メイベル・ディーダ男爵令嬢
貴族の爵位では一番低い位置にある男爵の令嬢が、この国の権力の最高位の集団の中に当たり前にいることが異質であり、正しく貴族のあり方を学んできた生徒たちは眉をひそめた。
なぜそのようなものが近づけたのか、なぜそのようなものが傍にいることを許しているのか。
あまりに身分が高い王子はじめその側近たちに直接そのようなことを聞ける者はいない。
唯一、その婚約者がそれを聞くことが出来たが、軽くあしらわれているという話だ。
「この学園の理念にあるだろう、身分問わず交流をし見識を広めると」といったことを盾にされれば、強く出られないようだ。
あんなに仲が良かった婚約者を蔑ろにし、当たり前のように男爵令嬢をちやほやしている未来の国の重鎮たちを見て、
国の行く末を心配する貴族は一人や二人ではない。
私はというと、思うところがないというわけではない。
ただ、アランの私に対する行動は何一つ変わらないのだ。
変わらず月に一度のお茶会はあるし、他の方で聞くようなすっぽかしもない。
学園で顔を合わせるようになってから手紙のやりとりはなくなったが、その代わり週に1度は学園で昼食を一緒にとっており、男爵令嬢が現れてからもその習慣は変わらない。
何も変わらないから、苦言を呈す必要もない。
そもそも、爵位こそ侯爵家と伯爵家で大きな差がないように聞こえるが、相手は代々宰相となる名家、対してうちは国中の伯爵家の中でも中の中ともいえる平凡な家格だ。
何かあったとしても、こちらが意見できるようなものではない。
日が経つに連れ、王子たちと男爵令嬢の距離は近くなる。
最初の頃が友人としての距離を保っていたと思えるほど、人目も憚らずベタベタする様子が見て取れた。
このままどうなってしまうのだろうか、漠然とした不安と猜疑心が蔓延し始めた学園だったが、我が国はバカではなかったようだ。
流行りの歌劇演目のように、「この状況をどう対処するかが成長するための試練」といったことを言って放置はしなかった。
ある日から第一王子をはじめとする男爵令嬢を取り巻いていた子息達は、各家の事情という理由で学園に来なくなった。
そんな日が数日続いたあと、今度は男爵令嬢とディーダ男爵が騎士団によって捕らえられたというニュースが出た。
国の発表では、遠い国で取れる貴重なクリスタルを媒介として魅了の魔術を、王子たちにかけていた。
男爵は他国と通じており、国家転覆を狙ったものとされており、娘を利用し王子たちを操ることで王家や国の中枢への不信感を煽っていた。
その先どうするつもりだったかはわからないが、王家への求心力を弱めることで国を乗っ取ることに成功した国があるのは世界史の授業でも習う話だ。
その騒動が表沙汰になった時には、男爵一家の処刑が決まっていた。
画策した他国が詳しくどこの国のことで、その国とはどうなったか詳細までは出ていないが少なくとも戦争までは発展させないという。
このニュースで国は騒然とし、学園に通っていた者達は納得した。
王子たちの変わりようを近くで見ていたのだ。それが魅了の魔術が原因であると聞けば合点がいく。
そして、アラン・クラハドール侯爵令息の評価が上がった。
王子たちの変貌ぶりを宰相である父を通じて正しく伝え、そしてその原因を魅了の魔術ではないか、と最初に疑ったのだという。
自身も魅了の魔術の影響を受けていたのだ、その際の状況がおかしいと感じ魔術師団へ相談をしたことで、今回の事件発覚に繋がった。
冷静沈着で物事を見極める目がある。
そして、魅了の魔術の影響を受けつつも、強い意志で婚約者を慈しみ続けた。
学園内で私と昼食をとっているところを見ている生徒は多くいる。
時には同じ馬車で帰宅するところを見ていた者もいた。
その変わらなかったアランの行動が、彼の評価に繋がっている。
慈しみ・・・ねえ・・・
「そりゃ嫌われているとは思ったことないけど・・・」
「エル、その、気にすることないのよ・・」
あの王城での報告を受けた翌日、母に呼ばれ屋敷の日当たりの良い場所に作られたサロンでお茶をしていた。
事件の詳細についてまでは、公表はされていない。
魅了の魔術を受けたものがどういった解呪を受けているのか、それがどのくらい人体に影響を及ぼしているのか。そもそも何が原因であったのか。
だがしかし、魅了を受けた王子と側近たちの婚約者には子細説明する必要があると重役会議で決まり、男爵たちが捕まってから3か月程経った昨日、私たちは王城へ呼ばれたのだ。
魅了の能力を宿したクリスタルに魔力を流すことで、クリスタルを保有しているものが魅了の魔術を一定時間まとう。
その状態で対象者に近づくことでそのまとった魔術が対象者を魅了する。その人の中にある良い感情がクリスタルを持つものに向き、その反動が元々その感情をもっていたはずの相手に向く。
現在、影響を受けたものは解呪を受けている。影響を強く受けている者ほど時間がかかっているとのことで、アランはもうすぐ通学出来るほどになるだろうとのことだった。
その日、王城へ呼ばれていたのはテールバン家のみだ、他の婚約者たちは既に説明を終えた後だと聞かされていた。
それをわざわざ言う必要があったかは置いておいて、私が重役でも魅了の影響を受けた方々の婚約者と、影響を受けなかったアランの婚約者は別で呼び出したい。
なんせ、魅了の影響を受けた原因が原因なのだ。
他の婚約者の方々は、婚約者の変貌ぶりに安堵したのだろう。自分が愛されていたからだと証明されたのだ。
先日、魔術師団子息の婚約者の伯爵令嬢と学園ですれ違った際の、なんだか気遣わし気なそれでいて余所余所しい雰囲気の視線の理由がわかった。
出来ることなら彼女には貴族令嬢らしくもう少し感情を抑えて頂きたいと思ってしまった。
私は、愛されていたわけではないことが証明された。
それで優しい母は昨日の話で私が落ち込んでいるのではと心配してくれているのだ。
「・・そうね、私からすればわかっていたことだしね」
「エル・・・」
「アラン様はいつだって完璧だった。非の打ち所がないくらいに、ね。
でもそれは婚約者として必要なことをしていただけ、そこに私への愛情があったなんて思ってないわ」
アランは婚約者としての行動が完璧だった。
けど、その行動原理はおそらく「婚約者として義務だから」でしかなかったと思う。
それに気が付いたのはいつだっただろう。
元々、私が婚約者に選ばれたのは本当に政略的な観点でしかない。
歴代宰相を務めてきた家として既に必要な権力はすべて有しているのが、クラハドール侯爵家だ。
これ以上権力が集中することを望まない、その上アランは幼い頃から神童と言われるほど優秀。
だから私が婚約者として選ばれたのだ。
家格が低すぎず高すぎず、派閥上も問題ない。兄が2人もいるので基本的に家督を継ぐ事態も起きることはない。
私自身もそれなりに値踏みされただろうが、特に癇癪持ちだったとか我が儘放題だったそんな子どもでもなかった。
そんな当たり障りのない人物だったからこそ、アランの婚約者として選ばれたのだ。
恋愛物語のような、君が好きだから、といったトキメク理由はない。
婚約して、その気持ちが生まれたのはきっと私だけだろう。
初めて会った時の胸の高鳴りがそのまま恋情になった私とは違い、アランはずっと変わらない。
嫌われていないだろうし、ある程度の情はあったと思う。
「けどそれが恋だなんて、自惚れられるほどお花畑ではないのよ。なのに、さすがにそれを他者に言われるなんてね」
私はふっと息を吐きながら笑い、そして紅茶を一口啜った。
母は痛まし気にこちらを見、言葉が出せずにいる。
「ごめんね、お母様。気を使わせてしまって」
「いいえ、いいのよ。だってあなたは私の娘なんだもの。お父様も、ディダもシバルもあなたを心配してたわ、いつでも私たちを頼ってね」
父や兄たちの名前を上げ、明るく声をかけてくれる母に心が暖まる。
「ありがとう、お母様」
優しい家族に囲まれて、幸せだ。
世間を騒がせたその事件の続報を、とある新聞社がスクープとして報じたのは事件から半年近く経つ卒業パーティーを1週間後に控えたある日だった。
その新聞の見出しは「魅了の魔術の真実 愛情の裏返しの裏切り」
穏やかではないその見出しだが、内容は先日私たちが事件関係者として内密に伝えられた魅了の魔術にかかる原因そのものだった。
「どういうことだ!!!!」
その新聞を手に、憤りを顕わにしたのは父だ。
新聞を受け取った家令が慌てて朝食を食べている食堂へその新聞を持ってきたため、その内容は家族全員すぐ知ることとなった。
「なにこれ・・・この話、家族以外には内密にって王城の文官から言われたんだよね?」
父が勢いでぐしゃぐしゃにした新聞を受け取り内容を読んだ長兄ディダが苛立ちを孕んだ声で呟く。
父は怒りで震えており、母は青ざめて震えている。
2人以外では唯一直接この話を直接聞いた私が、兄の呟きに答える。
「ええ・・、ここまでの詳細な話は王城でも陛下や大臣クラスの役人しか知らない話なのでって・・・」
「それがなんで新聞に載るの?」
次兄シバルも眉間に皺をよせ、新聞に目を落としている。
「なんでって言われても・・・」
「普通に考えたら、うちと、クラハドール侯爵家以外のどこかの家族が漏らしたんだろ」
「あーやっぱりそういうことになるよねぇ」
父母が未だになにも言葉に出来ないようであるため、兄たちが会話を続ける。
「この話が王城で出回っていることはない、普通俺みたいな平文官ではあの魔術の詳しいところは知らない話だよ。
俺はたまたま、エルが関わってたから聞いただけ。同僚達はアラン様を評価していたしな、魅了の魔術に屈しない強い心を持ってる方が義弟になるのはいいなとも言われたくらいだ」
そう言うのは、ディダだ。文官として、王城で働いている。
「騎士団でも同じだよ。近衛やってる第一騎士団はわからないけど、少なくとも王都周りを担当してる第二騎士団では聞かないな」
第二騎士団で働くシバルは眉間に皺を寄せたまま腕を組んで不服そうな態度を隠さない。
そして、ずっと黙っていた母がやっと声を出す、とても弱弱しくだが。
「あなた・・・」
母の声に、父がふぅーと息を長く吐く。怒りを吐き出しているのだろうか。
「このようなことが出回るのはおかしなことだ。まずはクラハドール侯爵へ連絡を取ってみる。あちらにしても不利益になり得る記事だ、なにもしていないということはないだろう」
家の大黒柱として、冷静な判断だ。
父がクラハドール侯爵へ連絡を入れてくれるなら、それでよいだろう。
「エルティナお嬢様、そろそろお時間ですが・・・」
「あら、本当ね」
家令から声をかけられ、顔をあげると少し開いた食堂のドアから、私付きのメイドの顔が見えた。
学園に行く時間になっても私が食堂から戻らないのを心配して、様子を見に来たのだろう。
「エル、学園へ行くのか?」
「休んでもいいのよ・・?」
こんな記事が出たのだ、学園での私がどんな目で周りから見られるか想像がつく。それを心配しているのが家族からひしひしと感じる。
私だって、不安がないわけではない。
けれど、今行くのをためらうと次に学園に行くきっかけが困ると感じた。
「大丈夫です。それにどんな時でも堂々としてなさいと、侯爵夫人に教えて頂いているのです。それってこういう時のためですよね」
私が微笑んで答えると、みんな眉を下げて黙り込んだ。
学園に到着すると、想像通り周りから遠巻きに見られていることを感じる。
校舎まで歩く道でも、廊下でも、教室でも。
直接声をかけられるわけではないが、こちらを見ている視線を感じる。
完全に腫れ物扱いね。
それもそうだ、真実の愛で魅了の魔術を跳ね除けている。なんて持ち上げていたのだ。
それが蓋を開けてみれば、愛があったのは魅了の魔術にかかった方で、愛がないからただ助かっただけ。
この事実を知っては、誰もが私の扱いに困るだろう。
「勝手よね。自分たちで良いように囃し立てといて理想と違ったら腫物扱いって」
「まあ、そうね」
「エルティナは一度もそんなこと自分から言ったりしてないのに」
「それは・・わかってたことだから」
「はあ、なんでこの奥ゆかしい現実主義を好きにならないのか、私にはわからないわ。宰相家にはぴったりの嫁なのに」
「ミリア、それ褒めてる?」
「とっても」
唯一腫れ物扱いしないでいてくれたのは、幼馴染のミリア。
同じ伯爵令嬢で領地も王都のタウンハウスもご近所さんで、幼い頃からの仲だ。
サッパリとした性格がどこか自分と似ていて、気があう親友。婚約者の話も良くしている彼女は、私とアランの仲もよくわかってくれている。
1人でもこういった友人がいてくれているのは有難い、彼女がいるから心が折れずに学園にも来られそうだ。
「それにしても、ひどい記事よね。愛があった方は美談になるかもしれないけど」
「王子が巻き込まれた痛ましい事件を少しでも美談にするための記事でしょう。私たちのことが詳しく書かれているわけではないし」
「この事件の過程も、あなたたちのことも学園にいる人たちは全員知ってる話よ。あれだけ堂々とあの男爵令嬢を侍らせていたんだから。
ただでさえ私たちの世代は王子がいるから子どもの人数も多いのよ、そこから親世代に伝わるのなんて当たり前じゃない。
つまり貴族にはほとんど伝わる話。それがわからないほど、エルティナはバカじゃないでしょう」
「ええ、まあ・・・」
どんな貴族であれ、王家と縁づくことを嫌がる者はいない。
王家から子どもが生まれるニュースを聞けば、我が子を同じ世代に、と考えるのはよくあるものだ。
高位貴族は子どもを介して、側近や婚約者を狙う。
下位貴族も貴族学園に同じ世代で通えば、箔がつく。運が良ければ、接する機会が生まれるかもしれない。
そういう理由で、王家の子どもがいると貴族の子どもも増えるのだ。
ちなみに来年には第一王女が貴族学園に入学予定。
つまり学園には例年に比べて多くの人数の貴族が通っており、そして皆、王子とその側近たちの一挙手一投足に注目している。
この国の行く末を見極めるために。
「今日、アラン様はお休みなようよ」
「え、確かめたの?」
「休み時間にね、私の婚約者が教えに来てくれたの、エルティナが気にしてるかもしれないからって」
「相変わらずあなたの婚約者は私にまで優しいのね」
「未来の侯爵夫人によくしといて損はないからね」
「ふふ、それでも有難いわ。実は記事のことでどう動くのか確認した方がいいかと思って、迷ってたの。助かるわ」
「彼のお節介も役に立ったみたいでよかったわ」
ミリアの婚約者は一つ上でアランと同じクラスだ。
同じ伯爵家で、外国とも取引をするような大きな商会の運営している。
ミリアを大切にし、ミリアが大切にしているものを自分も大切にするというほどミリアを溺愛しており、それで私も良くしてもらっている。
「それで、これに対してどう動くの?」
「お父様が、クラハドール侯爵へ確認を取ってくれるそうよ。お忙しい方だからすぐに返事がもらえるかわからないけど、こういったことで遅れを取るような家ではないから心配はしてないわね」
「それなら安心ね。代々宰相の手腕があるからこそ、国が安定してるって言われてるくらいだものね。こういう時も不安はないか」
私はにこりと笑って、ミリアの言葉に答えた。
そう、不安はないのだ。ないはずだ。
クラハドール侯爵からは、こちらで対応しているのでそちらは通常通り過ごしていて構わないといった連絡をもらった。
侯爵家が対応をするなら、それでなんとかなるだろう。と少し気が和らいだ。
それでも数日経っても、腫れ物扱いは変わらないし、あの日以来、アランが学園に来ていなかった。
その上、明日の卒業パーティーで、入場時のエスコートが出来そうにないと連絡が入る。
「・・・ねえ、エル。もしもあなたが本当に辛いなら、無理して結婚することないのよ?」
サロンで母とお茶をしている際、アランから手紙が来て明日のエスコートの断りの文字を見ていた。
せっかくの卒業パーティーなのにと、肩を竦めたからだろうか、母に突然そんなことを言われた。
あまりに予想外な発言に私は目を丸くする。まさかそんなことを言われると思ってもなかった。
「エルはずっと気丈にふるまっているけど、寂しいし悲しいと思っているのは伝わるわ。魅了の魔術の影響調査や事後処理といってここ最近はお茶会もしていなかったでしょう?
あなたは侯爵家に時々行っているけど、アラン様にはお会いしていないっていうし、学園にも来ていない。事件で大変だったとは思うけど、あなたへのフォローは殆どなかったじゃない」
「だからって伯爵家から婚約解消するというの?そんなの・・」
「あちらの方が家格は上だけど、事情はあちらだってご存じよ。その上であなたの気持ちを考えたら、無理は言えないわ」
「・・・そう」
考えてもみなかったことを言われて、色々な考えが巡る。
思えば、もう7年も婚約をしていて、一度も婚約がなくなるとは考えたことがなかったのだ。
もうすぐアランは学園を卒業し、文官として王城へ入り、将来宰相になるべく仕事を行っていく。
そして、私の卒業を待って、結婚する予定で準備を進めようとしていたところだ。
結婚をしたら、私はクラハドール侯爵家に入って、侯爵夫人から本格的に家の取り仕切りや侯爵の補佐としての領地運営を学ぶ予定で。
宰相として忙しくする侯爵を、侯爵夫人が家や領地のことを把握することで支える。
侯爵家で歴代続いてきたその形を、私もアランを支えることで続いていく。
そんな未来をずっと想像していた。それが揺らぐなんてこと、ありえなかった。
だから、今この状況になってもそんなことまで考えは回らなかった。
そう、そうね。
「いいえ、婚約解消はしないわ。だって、そんなこと考えたことがなかったんだもの」
「エル・・」
「無理はしてない。今までだって、アラン様からその気持ちがあるとは思ったことがない。それでも私は彼と結婚して生きていきたいと思っていたのよ。
事件のせいで、それが第三者から証明されてしまったから、現実を突きつけられて少し悲しくなってしまったけどね。
でもそんなこと関係ないのよ。だって彼に恋情とかあってもなくても私は彼を支えて生きていきたいとずっとその未来だけを見て生きてたのだもの」
それでもいい、と思っていたのは、事件の前だって同じだ。
いつかもわからない時から、アランの気持ちは私の気持ちとは同じではないだろうな、とぼんやり思っていた。
だけど所詮は政略結婚。愛を求める方がお門違いなのだ。
アランは完璧な婚約者でいてくれた。何年もずっと。
その姿はきっと完璧な夫でいてくれるだろうとも思えた。
そこに恋情はなくとも、家族の情くらいは生まれていくのではないか。くらいの期待は許されるだろう。
何年も一緒に過ごしてきたのだ、彼が非情な人ではないと私はよく知っている。
「そう、エルがいいならいいのよ」
「ありがとね、お母様」
翌日の卒業パーティーは、ミリアとその婚約者が連れだって入場する際その後ろからそっとついて入場した。
卒業証書の授与や優秀者の表彰等を行う卒業式は、卒業生のみの参加だが、卒業パーティーは在校生も全員参加となる。
父兄の参加は基本的には認めておらず、子どもたちだけでのびのびと社交を楽しむのが目的だ。
もちろん教師の目はあるため、羽目を外し過ぎることは許されないが。
そのため、パートナーの有無は任意だ。
アランからのエスコートがないことを知ったミリアが、婚約者との入場をやめようとしてくれたが、彼女の婚約者も卒業生だ。
せっかく最後の学生同士のパーティーとなるのだから、そこに私が割り込むなど出来ない。
結局優しい2人を盾に、入場させてもらうこととなったが。
おかげで1人で入場してもあまり目立たなかった。
アランが目を引くので、こういった場では視線を感じることが多かったが基本的に私は地味で目立たないタイプだ。
こんなに大勢の人が集まる場で私1人でいてもそう目立たない。
理事長の挨拶でパーティーは始まった。
今年の注目はなんといっても第一王子の卒業だ。
先日、第一王子の立太子が決定した。立太子の儀が卒業から2か月後に行われる。
それと共に、婚約者である公爵令嬢と婚姻の儀も同時に行われると発表された。
王太子と王太子妃が確定するその嬉しい報せが国から公示されたのはあの新聞の記事が出た次の日のことだった。
「幸せそうね」
「そりゃそうでしょうよ。あんなお膳立てみたいに2人の愛が国民に伝わってからの王太子と王太子妃決定の報せよ。誰かの犠牲があるとも知りもしないくらいに幸せよ」
「ミリア・・・棘を隠して、誰かに聞かれていたら大変」
「ずっと誠実でいた親友の婚約者を否定されたら、棘も刺したくなるでしょう」
「もう・・、でもありがとう。私のために怒ってくれて」
「エルティナが割り切りが良すぎるからね。そういうところが侯爵夫人には向いてるのかもしれないけど」
「誉め言葉として受け取っておくわね」
誰もが見惚れるほど優雅にホールの真ん中で踊る王子とその婚約者を横目に、私たちは顔を見合わせてふふっと笑う。
ミリアの婚約者は今、友人達と話をするため離れた場所にいる。
私たちはまだパーティーが始まったばかりで人気の少ないバルコニーからホールの中を眺めていた。
私の方は、何度も隅から隅までアランの姿を探してしまう。
「アラン様がいなくて心配?」
「・・・・ええ、エスコート出来ないとは連絡きたけど、出席しないとまでは聞いてなかったから」
「滅多な理由がなければ休まないわよね。貴族にとって、今日この日は一種のステータスだし、しかも成績優秀者で表彰が決まってたのに卒業式もいなかったみたいだしね」
「うん・・・」
「エルティナ嬢、ミリアを借りてもいいかな、王子たちのファーストダンスも終わったからダンスに誘いたいんだ」
ミリアの婚約者がバルコニーに顔を出す。
その姿に私はにっこり笑って肯定する。
「もちろんよ、疲れるまで踊ってきて」
「疲れるまでは、私が嫌よ」
なんて言いながらも、ミリアは嬉しそうに婚約者の手を取る。
私も空になったグラスを返そうとホールに戻る。
騒めきが起こったのは傍を歩いていた給仕に空のグラスを渡した、その瞬間だった。
騒めきに誘われて、視線をホールの中央へ向けると第一王子が公爵令嬢の前で片膝をついて、胸ポケットにさしていた卒業生の証である赤いバラを差し出していた。
それと共に、私はアランが学園側に繋がる扉からホールへ入ってきたのを見逃さなかった。
声をかけたいけど、ホールにいる全員がじっとホール中央の王子たちをみている今の状況で動くことができなくてどうしようと思っていた時、王子の声がホールに響いた。
「ヴィアレット、私は君を愛している。君には一時期冷たい態度をとってしまった。
でもそれは、魅了の魔術による反動だと言われたよ。君への愛が、君へひどいことをした原因となったことをどうか許してくれ。
これから王太子となり、そしていつか王となるとき、君には一番近くで支えてもらいたい。
そして一緒に国を良くしていこう」
「クリス・・・・もちろんよ、私の方こそあなたを愛しています」
そうして差し出されたバラを目を潤ませながら受け取る公爵令嬢に、それを見ていた生徒たちはわあっと声を上げた。
私の付近に立っていた、私がそこにいると気づいた生徒たちは遠慮がちだったが。
これでいいのだろう。
これから国のトップとなるお方と国母となるお方。
この方たちが仲睦まじい夫婦になることは、国として幸せなことだ。
それを国民として喜ばなければいけない。
今回の事件は、2人の絆を確たるものにしたエピソードとして語り継がれるだろう。
その陰でうっかり恋情がないと証明された人のことなどいつしか誰の記憶からも薄れていくはず。
私はただそうなるまで、腫れ物扱いを受け続ければ良いだけだ。
そう思った瞬間、私の目からポロっと水分がこぼれてきた。
「あ、あれ・・・?」
平気だと思ってた割り切ったと思っていた。
それでもやっぱり、羨ましいという思いが、ないわけではない。
自分が愛した分だけ、愛を返してもらうなんて理想をもってないわけではない。
涙が次から次へと溢れてきてどうしていいか自分でも戸惑ってしまう。
とりあえずこの場を離れよう。
そう思った瞬間、目の前に人影が現れる。
顔を上げると、そこには濃紺の瞳が心配げにこちらを見ている。
「エルティナ・・・」
「アラン様・・・」
「・・・すまない、これを。そして少しだけ待っていてくれ」
「え?」
アランは差し出したハンカチを私の手に握らせ、くるりと体を反転させて
未だ周りからの祝福を受けている王子と公爵令嬢の方へ近づいていった。
「クリス王子、よろしいでしょうか」
「おお、アランか。やっときたのか」
「はい、根回しに少々時間がかかりまして」
「根回し?」
「この場で、王子ならびに卒業パーティーに出席している学園生へ事件の再調査結果をご報告させていただく許可をとってきました」
「再調査だと?それをこの場で報告するのか?」
「はい、本来ならば関係者のみに詳細が伝えられるはずでしたが、どこからか情報が漏れ大々的に知れ渡ることになり、それに気が緩んだのか先ほど王子もこのような公の場でそのことについて発言しておられましたので、特に問題はないかと」
いくら新聞に報じられたからと言って、この詳細を公にしてよいと関係者に許可が出たわけではない。
その甘さを指摘された王子は少しバツが悪そうにアランから目をそらす。
「それにこういう事態となりましたので、この場で再調査結果を報告しそれによって誤った情報を正しい情報へ伝え直すことが必要だと、国王陛下ならびに国の重役会議に出席の大臣方からも許可が出ました。」
「そうか・・ならば報告を許可する」
「ありがとうございます」
アランは王子に一礼をし、脇に抱えていた書類を広げた。
「先日学園内で発生した魅了の魔術を用いた事件について、再調査結果をご報告します。
まず、先日ある新聞社によって、機密情報であったはずの魅了の魔術の発動方法とその動力が公になりました。
そこで公になった内容は、確かに初動調査で魔術師団が魅了の魔術について調べた際、文献上記載されている内容と一致しています」
新聞の内容を裏付けするような発言に、皆が感嘆の声を漏らす。
王子と公爵令嬢もどこか満足気だ。
その雲行きが怪しくなったのは、次のアランの説明だ。
「ですが、その記述は媒介を使用せず自分自身の魔力のみで魅了の魔術を発動された場合の事象になります。
そして魔術師団が中心で調査を進めた結果、今回の事件のようにクリスタルを媒介として発動した場合はそれとは異なるということが判明しました」
その後のアランの報告では、魅了の魔術を自分自身で発動した場合、術を更に大きくさせるため対象者の感情が媒介となり反動が起きるとのこと。
今回の場合はそもそも魅了の魔術はクリスタルに込められており、男爵令嬢はそこに自分の魔力を通すことで発動させていた。
すでにクリスタルという媒介が存在しており、対象者の感情は必要ないということが再調査でわかったそうだ。
それはつまり・・。
「よって、今回魅了の魔術の影響の大小にそれぞれの恋情で左右されることはないというのが魔術師団の出した結論であり、これを陛下はじめとした大臣の皆さまも認めております。なので、以後新聞に記述されていた内容と今回の事件を並列して口にすることはないようにとのお達しです」
「そ、そうか・・・」
王子はさすがに動揺を隠せないようだ。
それもそうだろう、先ほどの初動調査と今回のことを並列に愛の告白をしていた張本人なのだ。
「また、魅了の魔術の影響を受けている最中は、一種の幻覚作用を受けている状態となり、そういったことから術者以外の人間に攻撃的な態度を取ることが増えるという結果もでておりますのであわせてご報告致します。
私からの報告は以上となります」
「ああ、報告御苦労・・・それにしてもお前はなぜこの子細を?俺も聞いていなかったのだが・・」
「最初から魔術の利用を怪しんでいたのは私です。その上で初動調査の結果が不本意でしたので、更なる調査への協力をクラハドール侯爵家として惜しみなく行っただけです」
「そう、不本意か・・・」
「はい、勝手に婚約者への愛を否定されましたので」
騒めきが続いていた会場が、急にシンと鎮まる。
アランはそれを気にするでもなく、王子に「御前失礼します」と声をかけ、真っすぐと私の方へ向かって歩いてきた。
「待たせて悪かった。帰ろう、エルティナ」
「え、あ、帰るのですか?アラン様はいらっしゃったばかりでは・・・」
「そうだが、この報告とエルティナに会うために来たんだ。報告が終わったので問題ない。それにエルティナは体調が優れないのだろう?」
「そ、そんなことは・・・」
「先ほども険しい顔をしていた。無理をすることはない、それにゆっくり話がしたいんだ」
「そうですか・・・」
アランに真っすぐと見られてそう言われてしまえば、否と言うことは出来ない。
なんだろう・・アラン様はこんな方だったろうか・・。
今まで感じていた完璧な婚約者とブレていないはずなのに、どこかいつもよりも柔らかさを感じた。
そうしていつものようにスムーズにエスコートをされ、馬車止めに向かう。背中には会場中の視線をひしひしと受けながら。
馬車止めに止まっていたクラハドール侯爵家の馬車に乗り、馬車は走り出す。
この後迎えにくる予定の我が家の馬車が困らないように言伝もアランが手配してくださる。
馬車が進みだして、2人きりの馬車の中は静寂に包まれる。
その静寂を先に破ったのは、アランだ。
「エルティナ、その、色々すまなかった」
「いえ、私はアラン様に謝られるようなことに心当たりはないのですが・・・?」
「事件が発覚してから、君と会ったり連絡を入れることを殆どしてこなかった。最初に魅了の魔術のことを知った時、君に会わせる顔がなかったんだ。
なにをどう説明しても言い訳をしているようにしか聞こえなかっただろうし、そもそも私が魔術の影響を受けていなかったと口で説明したところで証明出来るものでもなかったから」
「アラン様は、影響を受けてなかったのですか・・?」
「殆どね。君にも侯爵家に入ってから話す予定だったんだが、歴代宰相を務めている我が家は何かと狙われやすい。
だから幼い頃から様々な魔術を跳ね返すための訓練もしている。また最近では魔術を受けないために侯爵家独自で作った魔道具を肌身離さず持ち歩いていたからね」
「そ、そうだったのですね・・・それは今私に話してくださってよかったのですか?」
「ああ、父に許可はもらっているよ。本来このことは侯爵家の者しか知らないことだから内密にね。特に魔道具のことは広く知られるわけにはいかないんだ」
「わかりました」
「ありがとう。・・・あの男爵令嬢から魅了の魔術を当てられた時、すぐに何か術をかけられそうになっていると気が付いたよ。
そのことはすぐ父に報告し、まずはそれが何の術なのかどこまで影響範囲があるのかを探っていた。証拠もなければ捕まえられない。
そして調べていくうちに、彼女単独ではなく男爵家が関わっていて他国まで・・というのがわかってきたので事件解決・・と、思ったんだけどね」
ふう、と溜息をつくアランの姿は珍しいと思った。
よく見るとうっすらと目の下に隈も出来ている、お疲れなのだろうか。
「魔術師団がまず出してきた魅了の魔術の見解が、対象者の恋情を媒介にしている。ということに戸惑ったんだ。
私が殆ど影響を受けていないということを証明するためには魔道具の話をしなければいけなくなるが、それは侯爵家としては避けたい。
今回のように何も知らず術者が寄ってきた際に泳がせるために、この魔道具を秘匿することは必要なことだ。
かといって、この見解が広まることで、君に誤った認識をしてほしくなかったんだ」
「誤った認識・・ですか・・?」
「ああ、その・・・俺が君のことを・・好きではないということは・・・」
恥ずかしそうにいうアランは、一人称が俺になっていることをきっと気が付いていないだろう。
その姿があまりにもこれまでのアランとはかけ離れていて、私は胸が高鳴るのを止められなかった。
「あ、アラン様は・・・・もしかして・・・」
「・・・はあ、もしかして、って言葉が出るか。でもそうだな、俺は今までそういうことを口にすることもなかったから」
「え、えっと・・・」
「エルティナ」
アランは私の隣に座っていた座席から腰を上げ、私の前に跪く。
まるで先ほど、ホールの中央で跪いた第一王子のように。
「エルティナ。俺は君のことが好きだ。
はじめは確かに政略で結ばれた婚約だ。しかし君と一緒に過ごす中で、君の穏やかでそれでいてきちんと地に足のついているその考え方に魅力を感じたんだ。
侯爵家に入るための勉学やマナーを身に着けるための努力を惜しまず、様々なことに興味をもって臨む姿にそれに恥じない人間でありたいと俺自身も思えた。
エルティナ、俺と結婚してこれから先も一緒に生きてくれ」
あまりにも真っすぐなその瞳に、私は目をそらせなかった。
恥ずかしさに顔の温度が急上昇しているのを感じるが、それでも目だけは逸らせない。
「私は・・・魅了の魔術の話を聞いてからも、アラン様がどんなお気持ちでも、結婚するつもりでした。
例え、アラン様が私のことを好きではなくても、アラン様はいつも私を尊重してくださっていましたし、嫌な思いをしたことはありません。
でも今日、王子たちの姿を見て、羨ましいと思ってしまいました。やはり自分と同じ気持ちを同じだけ返してもらえることを望まない程出来た人間ではなかったんです。
だから、その、今アラン様からそのように言っていただけて、とても嬉しく思います・・・。
私も、アラン様が好きですから」
そういうと、アランは目を丸くしてそうして蕩けるような笑顔を見せた。
そんな笑顔を初めて見て、今度は私の方が目を丸くしてしまった。
驚いていると膝に置いていた私の手を握り、安堵の溜息をついた。
「よかった・・・・」
「私がお断りすると思ってましたか・・・?」
「少し、ね。母上にも言われていたんだ、この話が広まってしまって辛いのはエルティナだろうと。
テールバン伯爵家はエルティナを大切にしているのはわかっていたし、君が希望すれば解消を申し出てきてもおかしくないと。
そうなったときに、侯爵家としても否という気はないとも言われたよ。母上は君のことが大好きだからね」
まさか、侯爵夫人がそこまで言ってくださっているとは思っていなかった。
「だから、そうなる前にどうしてもあの話を覆したかった。確かに私は術の影響が殆どなかったが0ではなかった。
男爵令嬢と会話をしている時はどうにもぼんやりしていたのは確かだ。だけど、だからといってエルティナに対しての感情は変わらなかったから、どうにも魅了の魔術との因果は感じなかったんだ。それで色々調べていくうちにクリスタルの媒介に行きついたんだ。
ただ、それを証明するための材料を集めるのが中々大変でね。魔術師団の最初の見解を覆す必要もあったから色々時間がとられてしまって、エルティナへ説明する時間もとらなかったこと、本当に申し訳ないと思ってる」
「いいえ、それはいいんです。でも、そのすごくお疲れな様子ですが、睡眠はとられてますか?」
「あー、実はなるべく早めに、と動いていてかなり良いところまで進んでいたんだけど、そのタイミングでどうしてか関係者のみが知っているはずの最初の見解が新聞に出てしまって、どうにか卒業までにと調査完了と根回しを進めていたからね」
私の手を握ったまま、アランは私の隣に座りなおす。
足を組み、ふっと笑みを浮かべたが、先ほどまでの蕩けるような笑顔とは別でどこか黒さを感じる。
「新聞のことは父上が調査して大体のことはわかっているんだけど、決め手に欠ける証拠しかなくてね。
不本意だけど、今後のことも考えたら新聞のことを咎めてしまうよりも、正しい見解を大々的に発表する方がよいということになったんだよ」
「そうだったんですね、でも確かにあの場でアラン様が報告したことは貴族中に伝わるはずですし、良いかもしれませんね」
「平民にまで知れ渡ることはないけどね。ごめん」
「いえ!貴族学園に通っていない方々は実際に目撃しているわけでもないのですから、それよりも王太子と王太子妃が幸せであることが伝わっている方が、平民の方々は安心しますよ」
「・・君は辛い思いをしたのに、本当に優しいね」
「っ・・・!」
また蕩けるような笑顔でそんなことをいうから、落ち着いていた顔の温度がまた上がる。
「エルティナ、顔が真っ赤だよ」
「なっ、あ、アラン様、なんだかお人柄が変わってます!!」
「そう?私も反省したからね、今まで言葉にしてこなかったことで、君を不安にさせてしまっていたと思ってね」
「も、もう十分ですから!」
「私が十分ではないからなあ」
そう言ってアランは私の肩を抱く。そのため体が密着して、距離が近い。
近すぎて、私の早くなった鼓動がアランに聞こえてしまいそう。
「ティナ」
家族すら呼んだことがない愛称を、優しい声で呼ばれまた更に鼓動が早くなる。
顔を上げるとすぐに大好きな濃紺の瞳が目に入ってきて、そのまま視線を逸らせない。
「ティナ、好きだよ」
そういって頬にアランの手が添えられたのと同時に、アランの顔が近づいてくる。
あまりの近さに目を閉じると、唇に暖かさを感じる。
優しく甘い口づけは、永遠にも感じた。
それからのアランは、本当に人柄が変わったとしか言えなかった。
元々完璧な婚約者だったけれど、それは行動の面でそうでありこんな甘い雰囲気を出す人ではなかった。
その雰囲気はこの時だけに限ったものではなく、その後会うたびに、結婚してからも続いた。
2人きりの時に限らず、一緒に出席するパーティー等でもその調子だ。
かつて魅了の魔術によって婚約者への恋情がないと証明されたはずのその人は、とにかく夫人を溺愛していると誰もが噂をする完璧侯爵となっていった。
初投稿です。
最後まで読んでくださってありがとうございます。