固定資産がラビリンス
かっちりしたスーツの上からでも体格のよさがわかる男が、笑顔で名刺を差し出した。
「鑑定士のタオでぇす! 本日はよろしくお願いしますわねっ」
「あ、はい……よろしく」
見た目とギャップのある口調に面食らいながら、エクトルが名刺を受け取る。
「ではさっそく拝見していきましょうか。お手をどうぞ」
「はいはい」
グレイスの手をとり、タオがゆっくりと玄関へ続く階段を登る。
エクトル、アンナ、サビーナの三人もあとに続いた。
「あ~ん、すごぉい……こりゃバッキバキのラビリンスハウスだわ」
「うわ。前に来た時より闇が深まってるな」
「そうなんです? 成長しちゃってるのねぇ」
玄関を開け、中を見回したタオが感嘆する。
後ろから覗き込んだエクトルが、もともと青白い顔をさらに蒼ざめさせた。
「このモヤモヤした闇、瘴気っていうんですよね。吸うと身体に悪影響があるんでしょうか?」
「そうねぇ。もっと濃い中に長時間いれば、疲労感や絶望感なんかがわいてくるかもしれませんけど。このくらいなら深刻な影響はありませんわよ」
不安そうに質問したアンナが、タオの返事に安堵の息を吐く。
「それでも念のため簡易結界を張って進みます。皆さん、なるべくアタシの傍から離れないようにしてくださいませね」
振り返って言うタオに、三人が頷いた。
ラビリンスハウス。
その名の通り、建物内が迷宮化した家のことだ。
土地に局地的かつ強力な魔力のひずみが生まれることで、その上に建つ家などが影響を受け、中が複雑な迷路になる珍しい現象である。
家自体が意思を持ち、家主と認めた者には好きなように使わせる。
しかしそれ以外の者が立ち入れば迷宮でさまよわせ、ひどい場合は玄関や窓を消し、中に閉じ込めてしまうものもいる。
ここはグレイスが所有する別荘だ。
そのためグレイスと共にいれば、迷宮に閉じ込められる心配はない。
とはいえ長く使われていない場合は特に、不測の事態に対処できる専門家を連れていくのが鉄則だ。
ラビリンスハウスは査定をするのも一苦労なのだった。
「瘴気は入口付近だけで、中はきれいですね。これなら減点対象にはならないわ」
「ああ、よかった。……意外とシンプルな間取りで、それぞれの部屋が広いわ。これならリフォームもほとんど必要ないかもね」
「何か事業に使われるんでしたっけ?」
「ええ、保育所にするらしいわ」
明るい室内をぐるりと見渡して言うアンナの言葉に、タオが驚く。
「んまぁ。ラビリンスハウスを保育所に? それはまた思い切ったアイデアねぇ」
「私も聞いた時は唖然としたわ。経営者がチェンジリングトロールなのよ。“さらってきた子供に逃げられたくないなら、ラビリンスハウスで暮らせ”っていう先祖の言葉からの発想なんですって」
「なるほど……チェンジリングトロールはその伝統のせいか、小さい子の面倒見はいいって聞きますものね」
部屋の状態を調べながら返すタオの横で、アンナがサビーナに視線を向ける。
「経営者はこの子の結婚相手のご親族なの。評価額通りの金額を払うとおっしゃったそうだけど、たぶんもっと安く譲ることになるでしょうね」
「あら、おめでとうございます。……でもダメよぉ、そこはきちっと払ってもらわないと。あとでゴタゴタ揉めるのイヤでしょ」
「私だってそうしたいわよ。でもここを早く手放したがってる義母が、どうもはっきりしないことばかり言って……」
「別荘の維持は金銭的に負担になるうえに、厄介なラビリンスハウスだものねぇ。家主と認定される手順も面倒だし、そりゃあ円満に譲渡できそうな相手がいれば、さっさと渡しちゃいたい気持ちはわからなくないけど~」
当事者とはいえなんとなく口を挟めないまま、ぼうっと二人の会話を聞くサビーナの肩に手が置かれた。
振り返れば、普段とは別人のように凛としたグレイスがいた。
変化に気付いたアンナとタオが慌てて口をつぐむ。
「さっきから何をお喋りしているの? ――さあ、旦那様ご一家がいらっしゃる前にピカピカに磨き上げなくちゃ。無駄口を叩いている暇はないわよ」
そう言ってキビキビと掃除魔術を操りはじめる。
グレイスの指示のもと、マジックシルキー親子三人はタオの査定が終わるまで、誰も使わなくなって久しい別荘を隅から隅まで掃除した。
~*~*~*~
「やっぱりグレイスばあ様、そろそろ危ないかもなぁ……」
車を運転しながら、エクトルがぽつりと呟く。
「だからいろいろちゃんとわかる日もある今のうちにって、ことを進めているんじゃない。……なんだか騙してるみたいで心が痛むけどね」
助手席でアンナが小声で返す。
後部座席ではサビーナの肩にもたれ、グレイスが穏やかな寝息を立てていた。
エクトルの言う“危ない”は命よりも、認知機能の話だ。
状態が悪化すれば、契約ごとは難しくなる。厄介な財産は今のうちに整理しておきたい、が家族の総意だ。
かといって、ただ売却をすすめるだけではグレイスは頷かない。以前エクトルがそれを匂わせると怒って追い返されたという。
だがひ孫の結婚相手の親族ならば売ってもいい、とファビエンヌに答えたそうだ。
「ははっ、それにしてもばあ様の忠誠心は本物だな。危うく掃除だけで魔力が空っぽになるところだったよ。まあそれくらいでなきゃ契約相手の屋敷と別荘を、自分の家を売ってまで丸ごと買い取ったりしないか~」
「笑いごとじゃないってば……」
グレイスが小さく呻いて身をよじる。サビーナは自分の首元に目をやった。
ペンダントの鎖に、グレイスの髪の一部がからまっている。
それをほどいてペンダントトップを元の位置に戻し、ふと思い出して服のポケットから名刺を取り出した。
「素敵なペンダントね。婚約者さんからのプレゼント?」
別荘の床を魔術で磨いていると。いつの間にか隣に立っていたタオが、じっとサビーナの首元を見ていた。
柔らかい声とは反対に鋭い視線を不思議に思いつつ、首を横に振る。
「これは契約しているご主人様からいただいたものです」
「まっ……! どんだけぇ……」
「?」
「サビーナさん。あなたにはこっちを渡しておくわね」
そう言って懐から名刺を取り出し、サビーナの手にのせる。
「もしもマリッジブルーになった時は、いつでも相談してちょうだい」
『家相、恋愛・不倫相談、人生相談、悪癖改善、なんでも承ります。
ラブカウンセリングフォーチュンセラピスト・フーフースイメイ師 タオ』
どうやら副業で占い師をしているらしい。
(今は占いよりも、もっと現実的な対処法を知りたいんだけど)
明日は仕事だ。今度こそ胸中を確かめたうえで、以前のルシアンに戻ってもらうよう手を打たなければ。
対向車のヘッドライトを受けて輝くペンダントをぼんやり眺める。
現実的な対処法を考えていたはずが、気付けばサビーナの頭を占めていたのは別の悩みだった。
(……似合ってないとか、安っぽいとか思われたらどうしよう)
昨日買った服を頭の中で反芻する。
(服なんて久しぶりに買ったな……。だってここのところ、本体で呼び出されるんだもの。すぐ仕事着に着替えるからって、みっともない恰好はできないわ。あと数着買い足してもいいくらいよ。次は買う前に、魔力ネットで魔族の方々の服装を調べて……)
そこまで考えて、はっと我に返る。
(だめだめ! こうやって未練がましくルシアン様のことばかり考えているから、ブルーになるのよ)
サビーナは意識して昨日のオーギュスとのデートを反芻することにした。
何気ない会話、一緒に見たイリュージョン、買い物やウィンドウショッピング、ごく普通のカフェランチ。
どこにも悪い点は見つからない。婚約者との関係は順調だ。
(そういえば、初めてペンダントをしていったけど。何も言われなかったわね)
案外細かいところに気が付くオーギュスにしては珍しい。
(ただ気付かなかっただけかしら。まぁ話題にするほどのことでもないか……)
サビーナの頭の中はいつの間にかまた、服の着回し方でいっぱいになっていた。