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サビーナの現実


(……っていう美しい思い出が……ガラガラと崩れていく音が聴こえる……)


 自室のベッドで仰向けになったまま、サビーナは呻いた。


 ルシアンの屋敷で家政使い魔として働きだし、二年目になる。

 卒業してからは仕事が一番の楽しみだった。召喚術を失敗した学生術者には、毎日感謝していたほどだったが……。


 腕に抱えた灰色の猫のぬいぐるみを、ぎゅうっと抱きしめる。

 これは憑依の術を行いやすくなるようにと、以前ルシアンに渡されたものだ。黒赤モザイク猫のぬいぐるみに似ている。

 深い溜息を吐き、灰猫の首元に顔を埋めた。


(あれって、キス……?)


 目を閉じてしまったせいで、はっきりとは分からない。

 憑依中は本体よりも五感が鈍ってしまう。もっと術の完成度を上げて、克服しなければと思っていた矢先だった。


 とはいえ、口に柔らかいものが当たった感触がうっすらと残っている。


(どうして? 私、結婚の報告をしたはずよね??)


(からかわれただけ? ……いいえ、そんな方じゃない。……と今までなら信じていられたのに……)


(なんだかいつもと全然違う雰囲気だったわ。まさか二重人格、ってやつなのかしら。……だったら結婚式には元の人格だけお呼びする、とか……? いやダメよ。もし式の最中に入れ替わったら大変だわ)


 考えれば考えるほど混乱していく頭に、ベッドで一人ジタバタもがく。


(……私、ルシアン様の何を裏切ったのかしら。結婚報告のどこかに、恩を仇で返すような内容でもあった? 全然わからない……)


 ルシアンを“恩人”と呼ぶ理由は、卒業パーティーで助けられたこと以外にもいろいろある。それは――、


「サビーナ~? もうお仕事は終わったのよね? 今から大おばあちゃんの家に行くから手伝って~」

「あ……、はーい」


 階下から母、アンナに呼ばれ、サビーナはサイドテーブルにぬいぐるみを置くと部屋を出た。

 台所で魔力を少し回復するエナジードリンクを一本掴み、アンナの運転する車に乗り込む。


「この車、大おばあちゃん家まで往復してもほとんど魔力を消耗しないわ~。素敵なご主人様と契約できて、本当に有り難いわね」

「……そうね」

 エナジードリンクの蓋を開け、複雑な気分でそれを喉へ流し込んだ。


 見た目は庶民的だが、この車は様々な最先端技術が搭載されている。

 ルシアンのつてで買ったものだ。試乗に使われたとか魔族割引だとかで、驚く程安く購入できた。


 お蔭で曾祖母の介護へも、こうして楽に行くことができる。

 他にも魔族同士の付き合いで貰った不要な食料や日用雑貨を譲られたりと、ルシアンはサビーナ一家の家計を地味に助けているのだった。


 市街地から離れ、鬱蒼とした森の中の小道を走る。

 獣道よりは多少ましなくらいの酷いでこぼこ道で、この車にかえる前は毎回タイヤの心配をしなくてはならなかった。


 しばらく走ると、田舎の森には似つかわしくない豪邸が姿を現した。

 厳めしい門扉をくぐり、広大な庭の片隅に停車する。

 隣にはワインレッドの高級車が停まっていた。


「やだ、またお義母さんが来てるわ」

 顔をしかめて言うのに、荷物に魔術をかけて軽くしながら返す。

「そういう日は私達の代わりに大おばあちゃんのことも見てもらったら?」

「あの人がそんな面倒を引き受けるわけないでしょ。まったく母娘揃って、マジックシルキーの“悪い癖”ばかり強いんだから……」


 嫁姑の間にはそれなりに大きな溝がある。こればかりは魔術で埋めようがない。


「あらいらっしゃい。……それじゃお母さま、また来るわね」


 サビーナ達が顔を出すと、曾祖母グレイスと高価なティーセットでお茶を飲んでいた祖母ファビエンヌが、猫足のアンティークチェアから腰を上げた。

 広げたお菓子やらスコーンやらを「お二人でどうぞ召し上がって」と言い残して去っていく。「そんなのいらないから片付けて行けよ!」という言葉を必死で飲み込んでいるのか、アンナの笑顔が引きつっていた。


 挨拶もそこそこに台所で食事の準備にかかるアンナを見送り、サビーナはまずお茶会の後片付けを始めた。


「タビーナ。いいお相手を見つけてもらえてよかったわねぇ」

「サビーナよ、グレイスおばあちゃん。……ええ、ファビエンヌおばあちゃんには感謝しているわ」


 一月ほど前、どこからかサビーナの縁談を持ってきたのはファビエンヌだった。

 相手は異種族、10歳年上で仕事も定まらないらしいが、それらを差し引いてもサビーナ一家にとって好条件のものだった。


「……だけど、あなたは本当にそれでいいの?」

 心配そうに言うアンナに、サビーナは笑顔を返した。本体なら嘘の表情も簡単に作れる。


「できればずっと今の仕事を続けたいもの。大おばあちゃんのこともあるし、この調子でいたら出会いも、婚活する余裕もないわ。だったら良い条件が来るうちに結婚しておく方が賢いでしょ」

「我が子ながら冷静ねぇ……。ま、上流魔族の素敵なご主人様と玉の輿、なんて夢を見ていられても困っちゃうけど」


 冗談めかした言葉に、サビーナは必死で顔面を固定した。

 いくらなんでもそこまで夢をみているわけではない。だが続けたいのは仕事よりも“ルシアンの傍にいること”だ。

 それを世間では報われない恋と呼ぶのだろうけど。


 だから今日のような“お戯れ”は、サビーナにとって毒でしかない。


 上流魔族が異種族、それも庶民と結びつくなどあり得ない話だ。

 淡い期待をして裏切られるよりも、程々の距離から見つめていたかった。先に自分が結婚してしまえば、いっそ気が楽になる。


「……さ、ご飯の前にお風呂に入りましょう」

「そうねぇ。そうしようかしら」


 テーブルの上をきれいに片付けたあと。雑念を振りきって、サビーナは浮遊の術を慎重に操ると、グレイスを浮かせて浴室へ誘導した。



   ~*~*~*~



「た、大変だ! 出た!」

「Gね!? 奴が出たのねっ!?」

「出るもんか、あんな虫を出没させたらマジックシルキーの恥。……幽霊が出たんだよ!」

「はあ~?」


 自宅の玄関を開けたとたん、恐慌状態で出迎えた父エクトルに、アンナが呆れ顔を返す。


「幽霊に怯えるマジックシルキーなんて、笑い話のつもり?全然面白くないわよ」

「そんなこと言ったって、怖いものは怖いんだ」


 マジックシルキーは色白で線の細い者が多い。

 さらに別の大陸に住む人々の目には、なぜか足元が透けた姿に映るらしく、彼らには長い間幽霊だと信じられていたそうだ。


「小さな影が家の中をうろつき、サビーナの部屋へ入っていくのを見た……」

「私の部屋?」


 震える父の言葉に半信半疑で階段を登り、部屋のドアを開けてぐるりと見渡す。しかしそれらしいものは見当たらなかった。


「サビーナ。どうしても怖ければ父さんが一緒に寝てあげ……」

「ううん、いらない。……スコーンをつまんだらお腹いっぱいになっちゃった、夕食もいらないわ。おやすみ」

「え? あらそう……」


 部屋を覗き込む二人を押しだしてドアを閉め、サビーナはまっすぐベッドに向かうと倒れるように横たわった。

 目の前にあった灰猫のぬいぐるみを抱き寄せる。サイドテーブルに置いたはずが、転がり落ちたのだろうか。


(なんだか疲れたわ。今日はもう、何も考えたくない……)


 ぬいぐるみを抱き枕にして、サビーナは眠りに落ちていった。


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