浮世と夢と迷子7
「やっぱりブランシュはここにいるのか!? まさか本当に擬似恋愛を……」
「その話はあとだ。幼い子どもたちが犯罪に巻き込まれているかもしれない時に、自らここへ来た大人を優先できないだろ」
詰めよってきたレオンハルトをルシアンがたしなめる。
その言い方で、サビーナは少し気持ちを立て直した。
(ルシアン様はきっと、ローラも巻き込まれている側だとお考えなのだわ)
もしもローラが悪事を働く気で忍び込んだのだとしても。それは家事と弟たちの世話で疲れた心にちょっとだけ魔が差した、くらいのものではないだろうか。少なくともサビーナにはそう思えた。
問題は彼女たちをここへ引き込んだ人物だ。
目的がわからないうちは、擬似恋愛にふけっている場合ではない。
「わかってるよ……。ただそうそう都合のいい魔術もないってことは、むしろお前の方が詳しいだろ。下手をすればこっちが警備魔術に引っかかる」
「だが警備も万能じゃない。特にここは客がほとんど魔族だからな。内部には案外ゆるいのは実証済みだ」
すでに作戦があるらしいルシアンの言葉を、レオンハルトが教師に宿題を言い渡される生徒のように待つ。
「最悪、客の命を奪うような悪質な計画を立てている可能性もあるからね……。地下階はスタッフルームだ、警備員が詰めている部屋もあるだろう。今日の警備データも保存されているはず。それにアクセスして調べることができれば、侵入の痕跡や不審な動きをする者もわかるはずだ」
魔術や警備員がスルーしたものをもう一度洗い直せ、ということらしい。
最悪の事態を想定した結果とはいえ、そのやり方には大いに問題がある。聞いている二人が冷や汗を流すなか、平然と続けた。
「怪しいと思う箇所をいくつか拾えれば十分だ。ありあまる魔力にものを言わせて探せばなんとかなるだろ。座学はいつもそんな感じで上位をキープしていたよな、一夜漬け王子」
「おもむろに若気の至りを暴露するのやめてくれるか。いやだからそれ、ハッキング……」
たじろぐ顔に、ルシアンがきれいに微笑んだ。
「君ほどの使い手なら、誰にもバレずに完遂できると信じているよ」
「俺の立場も少しは考えろ!?」
「べつに魔王の座に執着なんてないだろ?」
「そういう問題じゃねえ……ったく。データが取れたら携帯に送る。分析は任せたからな」
文句を言いながらも実行する気はあるようだ。レオンハルトが壁際へ向かって歩きだした。
そのまま人気のない階段を降りていく。スタッフルームに立ち入ることはできないが、地下階にも繋がっている直通階段だ。
ルシアンが携帯を取りだして待機する。
真剣な横顔を見上げて、サビーナが口を開いた。
「ルシアン様。お願いがあります」
~*~*~*~
植物が生い茂る広間では、モンスターたちが木陰で息をひそめていた。
その中を、小さなトロール人形がふわふわ浮きながら進んでいく。
モンスターは人形には目もくれない。彼らは二人組にしか反応しないように設定されている。
この場所は今、《ラーニング・ディストピア》になっている。
歩いているカップルに、モンスターが襲いかかってくるというイリュージョンだ。もちろん実際に危害を加えられることはない。
モンスターの身体のどこかにはハートマークが二つあり、そこを二人同時に触れれば倒すことができる。倒すとさまざまな種族の癖などが書かれた豆知識カードが手に入る。
他種族との恋愛を想定した景品のようだ。相手の癖を知ってうまく付き合おう、ということらしい。
しかし驚かされるわりに地味な報酬のせいか、人気はいまひとつだ。
誰にも見とがめられずに進めるので、今のサビーナには好都合だった。
だがそれは目的の人物にとっても同じなのではないか。
その勘を肯定するように、サビーナがこっそり後をつけている相手が立ち止まった。それからすぐに駆けだす。
「カミュ!」
駆け寄ってくるローラに横目を向けて、木陰に身を潜めていた人物が小さく舌打ちした。
「声をかけんなって言っただろ」
サビーナは――今は買ってもらったトロール人形に憑依している――小さな身体をさっとひるがえし、近くの木陰に隠れて二人を眺めた。
憑依の術は難しい。主人の許可と協力がなければ、サビーナには使えない。そのためルシアンに願いでて、ローラのあとをつけているのだった。
悪事をするかどうかよりも、単純に心配だった。
まわりに人がいないのを確かめてから、色白の美少女が木陰から出てローラに向き直る。
だが声が低い。どうやら女装をした少年のようだ。
「ねえ、変な遊びはやめて。早く帰ろうよ」
「まだだめだ。……お前こそなんだよその服、まさか盗んだんじゃねーだろうな」
「そんなことしないわよ。ちょっとレンタル衣装を借りただけ。すぐに返すわ」
ローラをいぶかしげに見たあと、うって変わって笑顔になる。
「信じらんねーよな。ただこの中にいるだけで、1時間で2万、2時間で4万。5時間ならボーナスもついて13万もらえるんだぜ? そんなジャケットより似合う服を買ってやるよ」
興奮ぎみの言葉に、ローラが表情を曇らせた。
「お兄ちゃん……もうやめて。そういうの闇バイトっていうんでしょ。おかしな奴らと関わらないで。せめてカインとアベルまで巻き込むのはやめてよ!」
(闇バイト……!? 二人は兄妹……)
容姿に全く共通点がない。弟だけでなく兄とも父親が違うのだろうか。
声を荒げたローラの手を掴み、カミュが木陰に引きずりこんだ。
「バカ、でかい声だすな。……はぁ。お前が無能なトロールじゃなきゃ、もっと詳しい話をしてやるんだけどな」
「なによそれ」
「……口止めされてるんだ。絶対誰にも言うなよ。これは闇バイトじゃなくて、貴重なデータを取るための実験なんだ。オレみたいな“特別な混血”の能力は未知数だから、もっと調べたいんだってさ」
本当は妹に話したくてしょうがなかったらしい。どんどん饒舌になる。
「お前たちにもオレの霧化をかけたから、ここへ入り込めただろ。本来なら自分にしかかけられないはずの変身能力が、もらった薬の力で強力になったんだ。こんな特殊能力持ちは、今のところ世界でオレだけらしいぜ!?」
ヴァンパイアの中には、全身を霧に変化させる珍しい能力の持ち主がいるという。カミュもその一人らしい。
しかしなんらかの薬でその能力をさらに引き上げたようだ。
得意げな表情に、ローラが顔を歪ませると俯いた。
「カミュのバカ……どうしてそんなにアホなの……」
「おい、オレはお前ほど成績悪くないぞ。……なんで泣くんだよ」
時々しゃくりあげるローラをしばらく手持ちぶさたに見ていたカミュが、大きく息を吐いた。
「わかったよ。そろそろ帰……っ」
その時。二人の姿を認め、近くの茂みからモンスターが飛びだした。
イリュージョンだとわかっていても、倒し方までは知らないらしい。とっさに妹を片手で抱きよせたカミュが、もう片方の手を襲いかかるモンスターへ向ける。
その手の平に、真っ黒な炎が浮かび上がった。
「だめ……!」
強い魔術、それも攻撃のためのものを使えば、間違いなく警備に引っかかる。
思わず木陰から飛びだしたサビーナは、その勢いのまま、モンスターの胸元にあるハートマークに体当たりした。
片方に触れただけでは倒せない。そのはずだったが……。
悲鳴を残し、モンスターの姿がかき消えた。床に豆知識カードが落ちる。
ぽかんとその場に浮かんでいるサビーナの前に、瓜二つの銀髪のトロール人形が、同じようにふわりと宙に佇んでいた。




