卒業パーティー
サビーナは平凡なマジックシルキー族の娘だ。
どこにでもある庶民向けの魔術学校を卒業し、同族の大多数と同じく家政使い魔として働いている。
ただ少し周囲の同族たちと異なるのは、魔王宮に勤める上流魔族と契約していることだろうか。
そのルシアンと契約した経緯も少々変わっていた。
今から三年ほど前。サビーナとは縁もゆかりもない、魔族の子息や令嬢が通う魔王立学院。
その卒業パーティーの余興のさなか、気付いた時にはサビーナの意識はぬいぐるみの中に閉じ込められていた。
本当はポップセイレーン族の歌姫を召喚するつもりだったらしい。
しかしどこかのご令息魔族が相手の意向も確かめず、実力に見合わない術を使った結果……。
演奏家が後方に控えた舞台の上には、歌姫の代わりに、なぜかモザイク柄の猫のぬいぐるみが立ちすくんでいたのだった。
術者が泣きそうな顔でうろたえ、失敗に気付いた卒業生たちが白けた顔で舞台から目を逸らしはじめた時。
「こんな可愛い猫に歌をプレゼントしてもらえるなんて嬉しいよ。せっかくだからリクエストをしてもいいかな?」
そう言って卒業生の輪の中から進み出てきたのが、ルシアンだった。
舞台へ上がり、状況を把握できずにいるサビーナの隣でしゃがみこむと、横向きに倒れた耳元で歌のタイトルを囁く。
それはサビーナも今まで何度か歌ったことがある、誰でも知っている卒業式の定番ソングだった。
サビーナはやけくそで歌った。
幸いにも本体から離れ、こういった物に憑依して活動する場合の演習も学んでいる。感情を乗せるのは無理でも、声を出すことはできた。
ぎこちなく必死な歌声に、我に返った指揮者が演奏を開始する。
隣から歌声が混ざってきた。驚いて見上げれば、立ち上がって歌うルシアンが優しく微笑み返す。
それで少しリラックスしたサビーナは、無感情な歌声ながらも心を込めて、最後まで歌いきることができたのだった。
演奏が終わる頃には、盛大な拍手とアンコールの声に包まれていた。
ただしルシアンの名前を熱烈に叫ぶ学生たちが舞台の前に押しかけたり、泣きながら拝みはじめたりと、ちょっとした騒ぎに発展しかけたので、にわかバンドはその一曲で無事解散となった。
「巻き込んでごめん。術を使った生徒は謹慎させ、厳しい処分をさせるつもりだ」
「あの、そこまでなさらなくても。元の身体に戻れるなら、私はそれで十分です」
誰もいなくなった舞台袖で、深々と頭を下げたルシアンにサビーナはどぎまぎしながら答えた。
演奏が終わってだいぶ経つ。なのにサビーナの鼓動はまだ早鐘を打っていた。
(こんな大勢の前で注目されながら歌ったのなんて初めて。それも、こんなにきれいな男の人と……)
顔を上げたルシアンと目が合い、鼓動がさらに跳ねる。
「必ず無事に送り届けると約束するよ。……君はマジックシルキーだね」
「はい、そうです。まだ学生ですが……」
「もし君さえよければ、卒業後は僕の所で働いてもらえないかな?」
「えっ!?」
「仕事に慣れたら今の家を出る予定なんだ。だけど家事を任せる者はそれなりの歳でね。信頼できる人をもう一人雇おうと思っていたんだ」
魔王宮に就職が決まっているという。エリート中のエリートだ。
サビーナの成績はせいぜい中の上。上流魔族の使い魔は分不相応に思えた。
「どうか僕を救うと思って、契約してくれないか」
「そ、そんな。救うだなんて。どうして私なんかにそこまで……」
「人を見る目はあるつもりだよ」
戸惑う心を溶かすように、ルシアンが穏やかな声で微笑む。
「君がいい。サビーナ」
(――きっと、救われているのは私の方だわ)
ゆっくり考えてくれればいいよ。いつまでも待ってるから。
そう言うと、ルシアンは学園の傍にある美しい湖にサビーナを案内した。
しばらく散策した後、そのほとりにある喫茶店で二人は穏やかな時間を過ごした。
本体への返還魔術が発動する頃には、サビーナの心は固まっていた。