魔族の本音~コンフォート・パニック4~
レストランを出て二階へ降りる。
自動ドアをくぐった先は、美しい海辺だった。
雲ひとつない青空から降り注ぐ日差しを受け、輝くエメラルドグリーンの海。
波打ち際を水着姿ではしゃぐ人々。浅瀬から顔を出した人はシュノーケルマスクをつけていた。白い砂浜ではビーチバレーを楽しむ集団もいる。
少し先の海では時折、上半身が馬で下半身は魚のカラフルな生物、レインボーシーホースたちが華麗なジャンプを披露した。
ここはもちろん本物の海ではなく、屋内プールらしい。
空間全体に大規模なイリュージョンがかけられているのだった。
規模だけではなく質も高い。何かが触れた感覚に足元を見ると、小さなカニがサビーナのつま先に乗っていた。
小さく声を上げると、何事もなかったように横歩きで離れていく。
「びっくりしました……」
「映像に合わせて触覚を刺激する魔術だね。手が込んでる」
カニを目で追う様子に笑顔を返したルシアンが、いきなりサビーナを腕の中に抱き込んだ。
驚くサビーナの背後で、ボールが転がる音がする。
誤って飛んできたビーチバレーのボールからかばわれたのだった。
「ごめんなさ~い」
水着姿の女性が駆け寄ってくる。
華やかな水着と高価なアクセサリーに負けない美貌。魔族だろう。
「気を付けて」
「はい……あ、待って!」
ボールを拾って手渡し、サビーナを連れて立ち去ろうとするルシアンを女が呼び止めた。
「あなたは魔族よね? 私もよ。もしよかったら、この後のソワレで……」
「悪いけど」
サビーナの肩を抱き寄せ、追ってきた女に横顔だけで振り返る。
「もう相手は決めているんだ。ソワレに参加する気はないよ」
(ソワレ??)
名残惜しそうな顔の女を置いて、部屋を出ていくルシアンを見上げる。
「魔族の会員限定のイベントだよ。俗にいう、合コン? 俺は今後もそんなのに参加するつもりはないから」
念押しするような口調に、サビーナはどう答えていいかわからず俯いた。
~*~*~*~
「サビーナ。結婚までの時間を半分、俺に分けてほしい」
食事を終えた頃。
真剣な瞳で言うルシアンに、サビーナはぽかんと口を開けたまま数秒固まった。
「……どういう意味でしょうか」
なんとかそう返すと、
「君とまたここへ来たい。既婚者にはこんなこと、頼めないだろ?」
やや視線を下げてため息を吐く。
「両親は古い考えのままなんだ。家柄の釣り合う、愛情のない相手と結婚させる気でいる。だけど俺は、愛してもいない人と結婚するくらいなら独身でいたいと思ってるんだよ」
初めて聞くルシアンの心情に、サビーナは驚いた。
上流魔族であるルシアンはいずれ、その両親が勧めるような相手と結婚するはずだと勝手に思い込んでいた。
「ただ、リスクも理解しているからね。もし好きな人と結婚できたとして、のめり込みすぎて社会生活に支障をきたす状態になっても困る。予行練習ができるならしておきたい。だからこの施設と、サビーナの力を借りたいんだ」
(えぇと、つまり……結婚までの間、“偽物の恋人になれ”と……?)
理由はある程度、理解できた。しかし一番の疑問は……、
「どうして私なのですか」
(なぜって、使い魔だからよ。他人に頼むのは面倒な内容でも、最悪、契約の強制力を使えば命令に逆らえないんだから。命じれば他人に言いふらすこともない。それ以外の理由があるわけないじゃない……)
頭は冷静にそう言い聞かせる。
だが心のどこかで、サビーナはルシアンの返事に期待している自分を自覚した。
もしも“都合のいい使い魔”以外の理由だったなら。
もしかしたらまだ、間に合うのかもしれない。
勝手な思い込みから諦めて、選んだ道を。今なら引き返せるのかも――。
知らず、縋るようにルシアンを見つめるサビーナに返ってきたのは、どこにも隙のない完璧な微笑みだった。
「君への信頼を回復させたいんだ。だから強制する気はないよ。ただこの件を引き受けてもらえないのなら、契約を続けるかどうか見直すことになる。そのつもりで答えを聞かせてほしい」
~*~*~*~
二階の廊下を進んで反対側まで行くと、いくつか部屋が並んでいた。
そのうちの一つを選んでルシアンがそっと扉を開く。
中は真っ暗で、正面の大きなスクリーンでは映画が上映されていた。
「ここは好きなイリュージョンを自由にリクエストできる部屋なんだ。映画は少し古いものしか選べないようだけどね。サビーナの好きなものをリクエストするから、考えておいて」
顔を寄せて小声で言うのに、頷き返す。
映画が終わるまで、席にはつかず壁際に立って待った。
その間もずっと、ルシアンと片手を繋いている。
サビーナの心はどこかふわふわしながらも、不思議と静かだった。
映画の主人公が、両想いになった相手とキスをする。
明るい音楽がフェードアウトして、エンドロールが終わると部屋が明るくなった。
映画を見ていた人々が退室した頃、近寄ってきたスタッフにサビーナはリクエストを伝えた。
「これはこれで楽しかったけど。なんだか仕事みたいになってなかった?」
「そうですか? でも今、一番やりたかったことなので」
どことなく疲れた顔で部屋を出るルシアンに、サビーナが笑顔を向ける。
「ルシアン様の盛り付け方、面白かったです」
「……どうせセンスなんてないよ」
「そんなことはありませんが……意外に豪快で……ふふっ」
「わざわざ専門の学科を選ばない限り、魔族の男は料理を習わないんだ。だから現役の家政使い魔に笑われても、全然へいき」
言いながらもどこか拗ねたような調子に、サビーナは堪えることなく笑った。
触覚まで連動できるイリュージョンにリクエストしたのは、料理教室だった。
料理人が調理の過程を詳しく解説する映像をスクリーンに映し出し、キッチンや調理器具、食材をイリュージョンで出現させる。
予想通り本物の調理に近い感覚で、少し複雑なレシピもしっかり覚えることができた。
しかし初心者のルシアンには難しかったようで、完成したものを見せあうと雲泥の差だった。細かいところまで一切補正などしない、驚くほど高性能なイリュージョンだ。
「またここで新しいレシピを覚えたいです」
「了解。……次はもう少し簡単なものにしてもらえると助かるな」
家政使い魔らしいやる気を見せるサビーナに、ルシアンが苦笑した。




