第2話 ―蒼緒― Stray Dog Carnage
2/19 深夜2時ごろに、こちらの節を追加いたしました。
2/23に若干の修正をしました。
――時は、銘治。
統京府、西の郊外に広がる深い森林を越えた先に、ひっそりと隠れるようにして赤レンガ造りの古びた洋館が建ち並ぶ。帝國陸軍・第一師管・特務機攻部隊兵営および兵舎だ。
そこで生活及び課業に努めるのは、歳若い少女たちだった。
少女だけの特殊任務部隊、――それが特務機攻部隊だった。
年齢は十四歳頃から、古参は五十路を迎えた者もいるというが稀だ。それに過去には一〇歳で入隊した者の記録もある。……が、多くは十代半ばから二十代前半の女性兵士だった。
屋外の訓練場に射撃音が木霊する。
射撃位置から約六間――一〇・九メートル――ほど先に同心円の輪が描かれた標的が立っていた。ろ九九式自動拳銃から発射された鉛玉がそれを見事に貫――
――貫かない。標的の向こうに盛り上げられた土にいくつもの弾頭がめり込んでいた。
「……う〜ん?」
蜂蜜色の髪を揺らし、少女が頬を掻いた。――篠蔵蒼緒。部隊に配属されてひと月半の新米兵士だ。銃に安全装置をかけ、防音耳套を外す。……と、背後から声をかけられた。
「射撃が苦手な私だって、もうちょっと当たるぞ? 蒼緒」
苦笑する声に振り向くと、そこには長い黒髪をなびかせた少女が立っていた。肩には自動小銃がかけられている。隣の長距離射撃場から戻って来たのだ。
――二ノ宮衣蕗。蒼緒の幼馴染みであり、かつ戦闘のパートナーであるが、それだけではない。
二人は同じ十六歳だった。だが衣蕗が年相応なのに対し、蒼緒はやや幼く見える。蒼緒自身それを少し気にしていたが、悩んだところで成長が早まるわけはない。というかこのまま身長も止まりそうだ。
「貸してみろ」
蒼緒は全弾撃ち尽くしてスライドオープンしたままのハンドガンを渡した。
衣蕗はそれを受け取ると、自分の持っていたライフルを間仕切りに立てかけ、長机にあった予備弾倉と入れ替えた。
「身体は半身で、脚は肩幅に。……で、銃把を握った右手はやや押し出すように、添えた左手は引き寄せる感じで、引き金は絞る感じで……」
リズム良く撃つ。全弾ターゲットに当たっていた。とは言え、本人も認めるように、そこまで集弾は宜しくない。
彼女が控えめに苦笑いしながら同じくスライドオープンしたままの銃を、蒼緒に返す。――と。
「衣蕗じゃあまりいい先生とは言えないわね」
そう言って何者かが、隣のボックスに立つ。――と思った次の瞬間には全弾撃ち尽くしていた。隣のレーンは倍の十二間――二一・八メートル――ある。
「一つ穴……嫌味だな、雪音」
そこには自らの拳銃嚢からハンドガンを引き抜いた花總雪音が立っていた。ふっと銃口から立ち昇る硝煙を吹いてみせる。
腰まで伸びたゆるく波打つ金髪が美しい。おまけに顔も美しい。彼女は蒼緒たちより二つ歳上の十八だったが、二年ほど先輩でもある。年功だけでなく自他共に認める銃の名手だった。
衣蕗と雪音は〈吸血餽〉――ヴァンプドール――だ。特務機攻部隊の主戦力だが、その名の示す通り人間ではない。
「それならお前が蒼緒に教えてやれよ」
「……散々教えたわよ……。ていうか蒼緒はあなたの〈花荊〉でしょう」
その言葉に衣蕗がむすっとして拗ねる。
「……ごめんなさい、衣蕗ちゃんも雪音さんも……」
蒼緒は自分の不甲斐なさに肩を落とした。少し前までただの民間人だったとは言え、身長もなければ腕力も射撃能力もない。ないない尽くしだ。
「まあ、人間得意不得意があるしね。蒼緒ちゃんも頑張ってるんだし……」
そう声をかけて来たのは雪音のパートナー――〈花荊〉である白藤紗凪だった。黒髪で前髪を綺麗に切り揃えた日本人形のような可愛らしい子だ。
〈花荊〉――はなよめ――とは戦闘における〈吸血餽〉のパートナーだ。一人の〈吸血餽〉に対し一人の〈花荊〉がいて、二人一組で戦闘に当たる。また、彼女たちは主人である〈吸血餽〉に付き従い常に行動を共にする事が義務付けられていた。――が、彼女らの役目はそれだけではない。
紗凪がにこりと笑う。
蒼緒は紗凪が好きだった。同じ〈花荊〉同士という事もあるし、突然始まった慣れない軍隊暮らしの中、色々と気にかけてくれている。それに彼女も兵士と言うには小柄だった。なんだか親近感が湧く気がした。……まあ射撃の腕は蒼緒よりずっと上手かったが。
「だから、蒼緒ちゃんもあんまり落ち込まな――」
そう紗凪が優しく言いかけた時、ラッパが響いた。午前の課業の終了を告げる音だ。
「やった――! お昼だ――――――――!」
「って蒼緒が落ち込むわけなかったわね」
満面の笑みで両腕を上げる蒼緒に、雪音が呆れる。紗凪も困ったように笑みを浮かべた。だが共に咎める素振りはない。むしろ蒼緒の醸すこのゆるりとした空気にほっと息をついていた。
しかしながらもう一人の同僚は別だ。さぞかし呆れているだろうと思って衣蕗を振り向くと、案の定むすっとした顔をしていた。
「蒼緒、お前――」
(あ、やばい。怒られる)
なにせ衣蕗は定規を充てたみたいにピッと伸びた背と同じように、真っ直ぐで生真面目な性格をしている。大事な訓練を疎かにするなと大目玉を食らうやつだ。
「衣蕗ちゃん、ごめ――」
怒られる前に謝っておこうと思ったが、不意に手首を掴まれた。
「まったく。昼餉は後回しで医務室へ行くぞ」
「え? 待って待って、今日のメニューはライスカレーなんだよ? 食べ損ったらどうするの???」
「って、真顔で言うな! というか食い気ばっかり出すな!」
そのままぐいぐい引かれて行く。あ、これ本当に食べ損なうやつだ。
昔から色気より食い気と言われて来た蒼緒は、何より三度の飯が大好きだった。つらい軍隊生活において頑張れるのも特機の食堂の評判がいいからだ。やだやだと駄々をこねようかと思った時、ぼそりとつぶやかれた。
「ばか。血豆。潰れたままほっとくと化膿するぞ」
振り向かずにそう言う。声音はなんだか照れくさそうだ。
……衣蕗は生真面目で時々気難しいけれど、言い方が不器用なだけで本当は優しいのだ。
蒼緒はそっと微笑んだ。ちょっぴり強引だけれど、掴まれた手首がなんだか嬉しかった。
「……心配してくれたんだ?」
ちょっとだけ茶目っ気を含んだ声で聞く。すると案の定、口をへの字に曲げて言う。
「一応相棒だからな」
渋々という態度は崩さないものの、手首は離そうとしない。不器用さと優しさがくすぐったかった。
「ちょっとぉ! 衣蕗のライフルはどうするのよぉ!」
後ろから雪音が声を上げる。
「雪音が片付けておいてくれ!」
「もう!」
雪音の怒った声に、二人して笑った。
*
果たしてライスカレーには間に合った。ギリギリ。
一方で、衣蕗は食事は摂る必要がない。……が、蒼緒のためとは言え、強引に医務室へ連れて行き悪いと思ったのか、昼餉に付き合ってくれた。いつもはさっさと間稽古に行っちゃうのに。
食堂で横並びに座った。蒼緒が満面の笑みで口いっぱいにライスカレーを頬張っていると、そんなに美味いのか? と苦笑するので、冗談で一口すすめてみた。
……が口に含んだ途端、砂でも噛んだように思いっきり顔をしかめた。食べなきゃいいのに、と言うと、あんまりに蒼緒が美味しそうにするから気になったんだよ、と拗ねる。
そんなところも可愛かった。そう言うと照れて怒るから言わないけれど。ちょっぴり気難しいのだ、幼馴染みの女の子は。
そう言えば、ちゃんとした洋食なんて軍隊に入る前はついぞ食べた事がなかった。
これからも、蒼緒はともかく衣蕗は一生口にする事はないのだろう。何せ彼女は――
〈吸血餽〉――ヴァンプドール――なのだから。