プロローグ
当作品は、同人誌で出していた創作百合漫画「吸血鬼の花嫁ーヴァンプドールのはなよめー」の小説リメイク版となります。そのうちゆるーいラブコメアクションになります。
完成済み(10万字程度)で毎日1話ずつ投稿していく予定です。
2/23に加筆修正しました。
――それは美しい少女だった。
腰まである黒髪と、深い赤暗色の瞳。すらりと伸びた長い手足。
青白い月が雲の輪郭を浮かび上がらせ、緩やかな流れの川面を輝かせては、川縁に佇む少女の肌を青く白く照らし出す。白磁のような肌は、なお白く見えた。それでいて艶やかな長い黒髪は、今にも闇に溶けてしまいそうだった。
彼女は、幼い頃に見た西洋人形のようだった。人形店の店先に飾られていたそれは、白磁の肌に、黒々としたまつ毛に縁取られた、精巧な細工の施された硝子の瞳をしていた。引き込まれそうなほど大きな瞳が花火のように輝いて、とても綺麗だったのを覚えている。
彼女もまた大きな瞳をしていた。大きくなってもビスクドールを思わせるその印象は変わらない。
けれど今はその瞳をわずかに伏せ、美しい容顔を曇らせていた。
その背は、子供の頃に見た丸まった背のように、とても小さく見えた。拠り所を失くした迷い子のように。
……ねえ、でも、私が一人にさせないから。
そう告げたいのに、あまりに淋しそうで、胸が詰まって言えなかった。代わりに、その手を取った。風が吹いた。彼女の黒髪と自分の蜂蜜色の髪が揺れる。
彼女の手は氷のように冷たかった。川の冷気に冷やされたか、それとも人ならざるが故の冷たさなのか。
〈吸血餽〉――ヴァンプドール。
市井の人々にとってそれは恐怖の対象だった。
それは美しき妖の名だった。匂い立つ花のような容顔で、うら若き少女を誘い誑かし、無慙に生き血をすする。
けれど彼女は、そんな恐ろしいものには見えなかった。
むしろ、小さな子供のようだった。――一人泣く迷い子のように。
その手を取ったら、もう二度とここへは戻れない。それはわかっていたけれど、細いその指を離すなんて出来なかった。
*
土臭い草いきれが周囲に満ち、視界を緑が覆う。
それから二ヶ月間半後、蜂蜜色の髪の少女は山の中にいた。短機関銃を肩に担いで。
(……重い。死ぬ。死んじゃう)
短く切り揃えた蜂蜜色の髪が、汗で頬に張りつく。小柄な少女にはサブマシンガンですら、大きく見えた。青磁色の大きな丸い目が疲労でふにゃりと細められる。
おまけに装備はそれだけではない。予備弾倉が三つに自動拳銃とその予備弾倉、各種予備弾、その他銃清掃用具に飯盒や携帯口糧、止血帯など、重量はかなりのものになる。ついでに軍服の外套も重い。
それらを背負っての行軍は、仲間についていくだけでもやっとだ。
(いや、全然ついていけてないけど……!)
最早仲間の姿は見えない。
懸命に山を登るが、膝はガクガクするし、汗は滝のようだし、息も絶え絶えだ。
まさか幼馴染みの手を取っただけでこんな事になるとは。いや、彼女を一人にするつもりはないけれど。
――その時、銃声がした。
動悸で更に息が上がりそうになるのを必死で抑えて、……ついでに脚が震えそうになるのをこらえて、少女は懸命に山を登った。
――それは巨大な獣だった。
〈狼餽〉――ウェアウルフ。
身の丈は四尺――一・二メートル――はあろうか。長い耳に長い尾、遠目には狼のような見た目だが、熊のように大きい。おまけに第二、第三の目が開く。どす黒く濁った目をしたそれは明らかに異形の存在――化け物だった。
獣は太い幹の木々を棒切れのごとく容易く薙ぎ倒し、一点を目指すように山を駆け下りる。咆哮を上げ、怒り狂っていた。
それもそのはずだった。巨体のあちこちから鮮血が噴き出している。しかしながらその傷もわずかな間で塞がってゆく。脅威的な回復力だった。
山の中腹には人里がある。化け物がそこへ行けば幾人が犠牲になるだろうか。決して行かせてはならなかった。
そう思った少女の前に異形の獣が飛び出して来る。脅威的な足の速さだった。少女の足がすくむ。サブマシンガンを構えるが、弾が出ない。
「!?」
あっと思い出し、安全装置を解除してフルオートで弾を撃ち込んだ。けれど恐怖で照準すら定まらない。幾発かは当たっているようだが、怒り狂っている獣相手では足止めにもならなかった。
咆哮を上げ、少女の身体ごとサブマシンガンを弾き飛ばす。少女は草むらに突っ込むが、その身体を獣が押さえつけた。岩のようだった。もがいてももがいても少しも身体が動かない。恐怖が心臓を締め上げる。
「…………!」
悲鳴すら上げられなかった。
吼え、獣が大きな口を開けた。二重になった歯列が少女の頭を喰い潰そうと迫った。少女は死を覚悟した。
その時、獣の前に何者かが飛び出した。
鉄紺色の外套が翻る。軍服だった。
――けれどそれを纏うのは屈強な男ではない。鉄紺の外套よりなお深い色をした艶やかな黒髪が蝶のように舞う。
「蒼緒を離せ――――!」
――人ならざる者のように、美しい少女だった。
その声は怒りを含んでいた。
ろ八九式改自動小銃を構え、ゼロ距離で撃ち込む。金色の薬莢が弾け飛び、少女の足元におびただしい数の空薬莢が落ちる。そのすべてが顔に、首に、命中していた。獣が咆哮を上げる。
……が、獣は怒りで我を忘れ、鮮血を吹き出し黒髪の少女に飛びかかった。木の幹ほどもあろうかという太い腕が眼前に迫る。しかしながら少女は動じていなかった。間一髪でそれを避けると、ライフルを捨てた。腰に下げた日本刀を掴み、鯉口を切る。その瞬間――
白刃が閃いた。
腕をその場に残したまま、獣の動きが止まる。
刃の棟はすでに鞘の鯉口にあった。
少女が鯉口を覆った手の上に棟を滑らせ、納刀する。美しい所作だった。
次の瞬間、納刀の音に導かれるよう獣の首が落ちていた。
少女が小さく息を吐いた。
あっという間の出来事だった。そして振り返り、蜂蜜色の髪の少女に手を差し出す。
「大丈夫か? 蒼緒」
「う……うん、ありがとう。……び、びっくり、した」
蒼緒と呼ばれた蜂蜜色の髪の少女の手が震える。その震えを止めようとしてか、きつく手を握られた。
「もう大丈夫だ。安心しろ」
「うん……」
力強い眼差しに、少しずつ安堵が広がる。――が、安心したせいか足から力が抜けてよろめいた。それを彼女が抱き止めてくれる。
「……トドメは今日も衣蕗に持って行かれちゃったわね」
ふと、背後から声がかかる。
振り向くと、緩く波打つ金色の髪を払いながら、もう一人の少女が獣道を駆け降りて来るところだった。
彼女もまた目を引くほどに美しい。化け物の首が落とされているのを目視して、アサルトライフルの銃口を下げ、負革を肩にかけ直した。
衣蕗と呼ばれた少女が、彼女に問う。
「どうする? 森の中だし、着火剤は使えないぞ?」
「……何も知らない新人兵士さんに、優しい先輩が教えてあげましょうか?」
「もったいぶるなよ」
金髪の少女が微笑む。
「……埋めるのよ」
「…………まじか」
巨体を見上げていると、さらにもう一人、少女がやって来るところだった。蒼緒と同じく、やや小振りの軽機関銃を構えている。――が、倒れた巨体を見てほっと息をついたものの、ただならぬ様子の蒼緒を見て、目を丸くした。
彼女は黒髪の前髪を綺麗に切り揃え、まるで日本人形のようだ。小柄で可愛らしい。
「蒼緒ちゃん!? 大丈夫?」
「だ、大丈夫。……死ぬかと思ったよぉ」
気の抜けた声でふにゃりと蒼緒がそう言うと、彼女もまた深く安堵したようでほっとため息をついた。……が、黒髪の少女が釘を刺す。
「紗凪、安心するのは早いぞ。……こいつを埋めるそうだ」
そう言うと、紗凪と呼ばれた少女が顔をみるみる青ざめさせた。
「え? に……日没までに終わるかな?」
「ど……どうだろ?」
「さっさと終わらせるぞ――」
「……じゃあ、あとはお願いね、衣蕗」
「はあ――――――――!? 逃げるな、雪音っ!」
巨体を前に森の中で少女の叫び声が響き渡る。抗議の声と共に腕を振り上げると、外套の腕章の金文字が光った。
――帝國陸軍・第一師管・特務機攻部隊。通称〈野犬殺し〉。
それが少女――二ノ宮衣蕗の所属する部隊の名だった。
*
蒼緒と呼ばれた蜂蜜色の髪の少女――篠蔵蒼緒は彼女の姿をこっそりと見た。
今日は怪我をしてないようで、ほっと胸を撫で下ろす。けれど、それと同時にじわりと胸が熱くなる。安堵だけではない。夜の事を思うと、いたたまれない気持ちと、微熱が胸を波立たせるのだった。
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