王国の裏事情 下
「……陛下は慣例を持ち出してロレッタ王妃との結婚を強行した。
エメライン様との結婚をなかったことにして、既に王太子になるだろうと目されていたトラヴィス殿下も王族の籍から抜こうとするから、貴族たちは大反発さ」
ロレッタのことには触れず、ロードリックは国王とエメラインのことを話し出した。
エメラインはアッカーソン公爵家というズメイでも古く有力な家の娘だ。聡明で魅力があり、名門出身のエメラインはまだ若かったが、完全に貴族たちを掌握していた。
その彼女が廃されれば、国内が酷い混乱に陥るのは目に見えていた。
何より長く後ろ盾としてオスニエルを支えてきたアッカーソン公爵家に恩を仇で返すような行いである。かの公爵家に所縁がある貴族たちの怒りと反発は強かった。
さらに貴族としての教育すらろくに受けていないロレッタを王妃にしようとしたために、他の貴族たちも苦い顔をして反対に回った。
エメライン自身は何をしていたかというと、その頃は妊娠中であまり動き回れなかったそうだ。
「お腹にいたのはヴィンセント殿下?」
「そうだよ。陛下がロレッタを連れ帰った時には臨月で、出産予定日が迫っていた」
「そんな時に。エメライン様かわいそう」
「本当にねぇ。妊娠中に浮気なんて陛下はクソ野郎だよ」
当時のことを思い出したのか、ロードリックの口調が荒れる。
父は母一筋であるので初心な乙女よりも潔癖だ。他人に目移りするオスニエルが理解できないのだろう。
前世の悲惨な恋愛経験しかないノエルもあまりオスニエルの気持ちが想像できなかった。
「陛下はなんでそんなに番にこだわったのかな? もしかして、番だってわかる人だったの?」
そこがもっとも不思議な点だ。
番が感知できない人間が、そこまで番に執着するとは思い難かった。
「いや、陛下は番がわからないよ。本人が番に憧れているのさ。王家の竜人は特に番に対する執着が強かったらしいから、そのせいかもね。
まぁ、なんにしても夢見がち過ぎる。恋愛小説に憧れる少女だってもっと現実的だよ」
「その陛下憧れの、番と結婚してる人がそれを言う?」
「それとこれとは別」
ロードリックとユーファミアは番である。
前世の両親もまた番だった。当主のみならず、ブラックウッド家は番と結婚している者が多い。それは番がわかる獣人だからこそ起こることだ。
人間であるオスニエルが、本当かどうかわからない番にそこまで執着するのは異常だった。
よっぽどエメラインへの不満があったのか、それともロレッタが魅力的だったのか。国王オスニエルを知らないノエルにはわからなかった。
エメラインを廃し、ロレッタを王妃にすることに強い反発を示した貴族たちをオスニエルが説得することにしたそうだ。
流石にそこは強行してはまずいとわかっていたらしい。主要な貴族たちが王宮に招集された。
エメラインもヴィンセントを出産した直後で体調の整わない中、参加したそうだ。
そして始まったのは話し合い、ではなく、よくわからない見せ物だった。
「ロレッタ王妃がハンカチについた匂いで持ち主を判別するってのをやりはじめたんだ。
どうも本当に番かどうか疑われているから反対されてると思ったようでね」
「ええ? そういう話じゃなくない? 王妃に相応しい人を廃して、王妃が務まらない人を王妃にしようとしてるのが問題になってるんだよ」
ノエルは思わず突っ込んでしまった。
その場面で必要なのは獣人や番の証明ではない。エメラインを廃する理由だとか、ロレッタが王妃に相応しい振る舞いや実務能力を備えているかどうかだ。
百歩譲って、これから王妃に相応しくなるためにしっかり勉強しますという宣言でもいい。
しかしオスニエルはそのズレに気づかず見せ物を続けた。
「三枚ハンカチを用意して、その中から陛下のものを当てるってのをやってたよ」
「はあ? 三枚それぞれの持ち主を当てるんじゃなく?」
「そう。お粗末なことするよ。よくあんなことを人前でできるもんだと呆れた」
ノエルも呆れて果てて言葉が出なかった。
ロレッタの味方であるオスニエルの持ち物を当てるだけなら、決められた匂いでもつけておけばただの人間でも当てられる。
そんな茶番をオスニエルとロレッタは大勢の貴族の前で演じたのだ。
求めてもいない証明をされた貴族たちは呆れとともに「それでは証明にならない」と抗議した。
「うちのじい様がね、懇切丁寧に実演してやったんだよ」
「おじい様が?」
「そう。陛下にすべて用意させた物の持ち主を当てて『本物の獣人ならこれくらいのことは簡単にできる。そちらの女性がやった程度のことで獣人と言われるなら世間のすべての人が獣人と判定されるだろう』って諭したの。
それから、貴族たちが問題にしているのは番の真偽ではなく、ロレッタが貴族としての振る舞いすらおぼつかないことだと指摘した」
じい様とはノエルの祖父のことだ。やはり父たちと同じく獣人で、ノエルが生まれた頃には隠居し、領地で暮らしている。
あちらでは一族の若者たちをビシビシ鍛えて過ごしているそうだ。
ノエルには甘い顔しかしないが、耳に痛いことも遠慮なく言う率直な性格をしている。
だから、その時も醜態を晒すオスニエルを諌めたのだろう。
「以前の陛下だったら素直にじい様の話を聞き入れてたんだろうけど、むきになってるのか『実務能力がなんだと言うんだ! 番がどれだけかけがえのないものか、政略結婚をしたお前たちにはわかるまいな!』って反発しちゃってね」
「おじい様とおばあ様も番だったよね」
「そうだよ〜。言ってないだけでうちは番だらけだから番の良いところも、悪いところも一番わかってるのにね」
多分、外見でわかりにくい獣人であり、番と結婚しているからこそ祖父が進んでオスニエルを諌めたのだ。
彼はそれを理解しないどころか知りもしなかった上に、政略結婚を蔑むような発言をしてしまったオスニエルへの貴族たちの心象は最悪になった。
昔はそうでもなかったが、今では大半の貴族が政略結婚である。
それが最善とは言わないが、貴族たちはそうやって国を支えて来たのだ。それを軽んじる発言を国王がしてしまったのだから、当然と言える。
うまく貴族たちを納得させられなかった上に、無駄にロレッタが獣人ではない可能性を印象付けてしまったオスニエルはたちまち不機嫌になった。
その矛先は諌言をした祖父ではなく、エメラインに向いた。
生まれたばかりのヴィンセントを化け物だと罵り、そんな子供が生まれたのはエメラインが番ではなかったからだと屁理屈を並べ立てたそうだ。
「そこでエメライン様が切れた」
「むしろそこまでよく耐えたね」
「愛情深い方だからねぇ。現実を見て正気に戻ってほしいと願っていたんだろう。でも、子供のことを悪し様に言われて我慢ならなかったんだね。凄かったよ。
『その女を王妃になさりたいなら好きにすればよろしいわ。名誉を差し上げましょう。しかし、本日を以てあなたはすべての貴族から信頼を失いました。もはや誰もあなたに従う者はいません。名誉の代償に権力を手放して頂きます』って、迫力満点。陛下より威厳があったね」
「か、かっこいい!」
ロレッタを王妃とし、権力を手放すか。番を諦めて国政に口を出せる立場に止まるか。
エメラインや貴族たちに選択を迫られ、オスニエルはロレッタを選んだ。
彼は国王である。完全に国政から締め出されることはないと高を括ったらしい。
流石にほとんどの貴族を敵には回したくなかったようで、エメラインと王子たちを王族から外すことも諦めた。
オスニエルはロレッタと華々しい結婚式を行い、二人の出会いは小説や演劇で広められた。
国民の支持があれば、貴族たちも二人を無視できないと考えたのだ。目論見通り、番の国王夫妻の誕生を国民は歓迎した。
それに浮かれたオスニエルは宰相から次々に頼まれる外向きの公務をどんどん引き受け、夫婦で国民の前に姿を現した。
「その間にエメライン様と宰相閣下が貴族たちを纏め上げてしまってねぇ。いくつも新しい法令が施行されて、陛下の実権は完全に剥奪されたよ」
まさに電撃のように素早く、鮮やかな手並だったとロードリックは讃えた。
宰相はエメラインの幼馴染だそうだ。ズメイにおいてアッカーソン家と共に双璧を成す公爵家、オルブライト家の当主でもある。
どれだけ国民に愛されていても、その二家の権力に対抗することは難しい。
味方してくれる貴族も、ロレッタの父親ということになっている男爵を含めた下位貴族ばかりで、オスニエルは手も足も出なかった。
エメラインの宣言通り、オスニエルは『国民に人気の、番と結婚した国王』という名誉を残し、すべてを奪われた。
その後、国王は再起を図って動いたそうだが、ことが起こる前にすべて阻止された。
エメラインと宰相の二人にとって、オスニエルも幼馴染のひとりなのだが、情に流されることはなかったらしい。
失敗する度にオスニエルから人が離れて行き、今では国王という地位に目が眩んでいるだけの無能な者しか側にはいないそうだ。
「陛下は最後の抵抗で王太子を指名してないけど、もう第一王子のトラヴィス様の即位の準備が進んでるんだよね。
貴族たちの大半がトラヴィス様を支持してるし、対外的にも王位継承者扱いされてるし」
「あれ? ロレッタ王妃との間に王女様がいたよね。その方を指名してないんだ」
「そんなことしたら王女が暗殺されるよ。陛下だって流石にそれくらいはわかっているさ。
あの方にできるのはもうトラヴィス様に譲位することだけだね。それだけやってくれたら平穏な老後が保証される」
「もう即位式の日程は決まってる?」
「再来年くらいを予定してるよ」
オスニエルとロレッタとの間にはヘンリエッタという王女がひとり生まれている。ズメイ王国は女性にも継承権が与えられるし、特に長子相続と決まっている訳ではないが、王女はまだ五歳だ。
二十五歳でしっかり地盤を固めきったトラヴィスがいるのに、幼い王女の後ろ盾になって対抗しようなどどいう奇特な貴族は誰もいない。
トラヴィスはすでに息子がひとりいて、現在第一王子妃が第二子を妊娠していた。
その子が無事に生まれたら、ますます王女の存在意義はなくなる。それはオスニエルに関しても同じだ。
番に焦がれ、手に入れた代わりに権力を失ったオスニエルは今何を思っているのだろう。
「それがあるからエメライン様はノエルに縁談を持ちかけたんだよ」
「えっ?」
オスニエルに思いを馳せていたら急に自分の話になり慌てる。ロードリックはにこにこ笑っていた。
「即位式の前までにヴィンセント殿下の婚約者を決めておきたいのさ。『化け物王子』と避けられてる内にね」
「なんで?」
「ヴィンセント殿下は姿を恐れられているだけで資質を見れば王位に相応しい方だからね。
陛下と王妃という厄介事が片付いたら、一枚岩になっていた貴族たちはそれぞれの思惑で動き始める。ヴィンセント殿下を担ぎ上げて王位を狙う輩が現れてもおかしくない」
これも慣例だが、王位継承は竜人が優先されるというものがあるそうだ。今はすっかり廃れ、忘れられているが、誰かが思い出して主張し始めるかもしれない。
まだ誰もヴィンセントに気づいていない今のうちに、婚約者とその実家で周りを固めてつけ入る隙を無くしておけば、今後兄弟で対立することはなくなる。
「……私の前にもお見合いしてるし、私はヴィンセント殿下を守る候補のひとりってことね」
「ノエルが本命だよ。君は少し前まで跡取りだったから。百年ぶりに誕生した竜人で、なるべく王室から出したくないヴィンセント殿下の相手には選べなかったんだろう」
ノエルを本命だと断定する父の根拠がわからず首を傾げた。
「なんで私?」
「今では稀な獣人だからね。殿下を理解してくれそうだし、何よりブラックウッドの娘だから」
「うちの血筋が重要なの?」
「そう。うちは今まで王族と直接婚姻を結んでいないからね」
そう説明されてますますわからなくなる。怪訝な顔をしていたのだろう。父が丁寧に説明をしてくれた。
エメラインはヴィンセントを人から恐れられる姿に産んでしまったことに、強く責任を感じている。
とは言え病気ではないから外見を変えることはできない。
そこで、代わりに次世代ではキメラが生まれないように対策をすることにしたそうだ。
「エメライン様は血が濃過ぎることが原因ではないかと予想したみたいだね。だから国内の貴族でも血が遠く、身分も高い我が家のノエルが本命なのさ。
現に王太子妃殿下は他国から嫁いでいらっしゃっただろう? あの方の国は十数年前に建国されたばかりの新興国だからねぇ。お母上の初代女王陛下も、お父上の王配殿下も平民の出だし、確実に血は遠いよ」
そう説明されてノエルはようやく納得できた。ズメイ王国は大陸最大版図を誇る大国であり、ずっと安定して豊かだ。
昔から王族が外に嫁ぐことはあっても逆は滅多になく、ほとんど国内の高位貴族が王の配偶者になってきた。
数少ない高位貴族ばかりから選んでいたら当然血は濃くなっていく。
近い血族と結婚を繰り返すと遺伝する病を発症することもあるらしい。だから、エメラインがキメラの生まれた原因をそう考えるのも理解できた。
しかし、ノエルが受け入れられるかは別だ。
高位貴族に限らなければ王族から血の遠い令嬢などいくらでもいる。別に身分が高いだけのノエルでなくてもいいはずだ。
ヴィンセントはあまりにも前世の婚約者と似すぎている。
ノエルが生まれ変わったようにヴィンセントも生まれ変わった可能性もないとは言えない。
もしそうならなるべく関わり合いになりたくなかった。
「嫌そうな顔をしているね。そんなにヴィンセント殿下が気に入らなかった?」
「気に入らなかったというか……」
ヴィンセントとの邂逅は一瞬であったので、悪印象を受けるほど接していない。ノエルが彼を忌避するのは前世に原因がある。それを父親に説明するのは躊躇われた。
「ま、エメライン様は強要してくる方ではないから。ノエルが嫌だったら断りなさい」
「えっ! いいの!?」
「いいよ。ただ、エメライン様も全力で外堀を埋めにかかるだろうから、逃げるんなら迅速にね」
「それ強要してくるよりたちが悪くない!?」
「ははは、頑張れ」
完全に他人事といった様子のロードリックはソファーから立ち上がると、すっかり静かになったブリジットを抱き上げる。これから夕食なのに、尻尾が気持ち良すぎて眠ってしまったようだ。
父はノエルに微笑みかけて、子供の頃から変わらない大きな手で頭を撫でる。
「さ、話はこれでおしまいにしよう。疲れてるところ悪かったね。ブリジットも寝ちゃったし、今日はノエルも部屋で夕食にする?」
「うん、そうする」
「わかったよ。ふふっ、本当に疲れていたんだね。可愛い」
急に目を細めて笑う父に何かと思ったら、ブリジットという枷を失ったノエルの尻尾がぶんぶんと振れていた。抑え込んでも止まらず、羞恥で顔が赤くなる。
自慢の尻尾は困ったことにノエルの感情をわかりやすく表現してしまう。隠し事ができないため、恥ずかしくって堪らない。
来た時と同じようにノエルは尻尾を隠して父の書斎から退散した。
◇◇◇
翌日、ノエルの元にはエメラインからの手紙が届いた。今後は週に三日、ヴィンセントに会ってほしいという内容だ。
もしヴィンセントが本当に前世の婚約者の生まれ変わりだとしたら、関わるべきではない。
しかし、昨日、息子の話をそれはもう楽しそうにしていたエメラインの顔を思い出すと断りの返事をしたためるペンが止まる。
きっと彼女はノエルを責めたりはしない。でも残念に思うだろう。
未だ白紙の便箋にため息を吐いて席を立つ。
気分転換をしようと窓を開けた。強く吹き込んだ風は暖かく、降り注ぐ日差しは濃い。もうすぐ夏が来るのだ。
(前世で婚約したのは、秋だった)
眼下に広がる青葉一色ではなく、黄色や赤の美しい紅葉の季節にノエルはヴィンセントと初めて会い、新年を祝う夜会で殺された。
ノエルはぼんやりとかつての自分の記憶に思いを馳せていた。




