王国の裏事情 上
夕闇が迫る空に一番星が輝く頃、ノエルはやっと邸へ帰って来られた。
行きとは違い、すっかり疲れきっている。同行したリサも同じくらい疲労の色が濃い。
「リサ、あとは他の子にやって貰うから今日はもう休んでいいよ」
「しかし……」
「あとはご飯食べて寝るだけだから大丈夫」
「……わかりました。申し訳ございません」
「気にしないで。ゆっくり休んでね」
「ありがとうございます。それでは失礼させていただきますね」
リサを下がらせ、ノエルはひとりで自室へ向かう。
晩餐に出る気力もないし、今日は自室で夕食を摂ろうかと考えていると「ふぎゃっ」と踏まれた猫のような叫び声が聞こえた。
驚いて振り向くとブリジットを小脇に抱えた父のロードリックが立っていた。
「うー! うー! もふもふー!!」
小脇に抱えられたブリジットは暴れている。多分またドレスに侵入しようとしたところをロードリックに捕まったのだろう。
気配もなく現れ、涼しい顔で暴れる娘を押さえ込む父はノエルを見てにっこり笑った。
「お帰り、ノエル。お疲れ様だね」
「ただいま、父様」
「悪いけど、着替えたら書斎に来てくれる? 今日エメライン様と何を話したか聞きたいから」
「うん、わかった」
「ちっぽーーー!!!!」
荒ぶるブリジットを抱えたまま書斎へ向かうロードリックを見送って、ノエルも自室へ戻る。
待ち構えていたメイドたちに手伝われて堅苦しいドレスを脱ぎ、気楽なワンピースに着替えた。ドレスと違って尻尾が出せる構造のものだ。
メイドに髪を梳いて貰っている内にノエルは服の下で乱れた毛並みをブラシで整える。
常に尻尾の手入れができる便利なこの服は要するに尻に穴が空いている。この格好で邸の外に出たら痴女だ。
(いや、邸の中でも痴女かも……)
ブラックウッド邸には家族だけではなく、かなりの数の使用人が働いている。
みなノエルの尻尾を可愛いと褒めてくれるが、ふわふわの毛で見えないだけで尻を露出してる件まで許してくれているかはわからない。
それに、よく考えるとノエル自身が恥ずかしくなって来た。彼女はコソコソと尻を隠しながら父の書斎に向かった。
「いらっしゃい、ノエル。さぁ、入って」
ノックをする前に扉が開き、父に迎え入れられる。相変わらずブリジットは小脇に抱えられ、唸っていた。
それを横目で見ながらノエルは入室し、二人掛けの広いソファーの片側に寄って座った。空いた場所に尻尾を伸ばす。
ロードリックがブリジットを離した。小さな影が目にも止まらぬ速さで尻尾に飛びつく。
「もふー、もふもふー!」
毛皮に顔を埋めて上機嫌のブリジットは大変可愛らしい。
しかし、これほど尻尾に執着しているのを見ると将来が心配になる。これから先、尻尾以上にブリジットの心を掴むものは現れるのだろうか。
「さて、じゃあ今日のことを話しておくれ」
そんな心配をしていたノエルだったが、対面にゆったりと父が座ったことで意識を切り替える。
涎を垂らして喜ぶブリジットから視線を逸らした。今は妹の将来の不安より報告が先だ。
ノエルは首を傾げて何から話そうかとエメラインとの会話を思い出した。
◇◇◇
「あなたにはヴィンセントの婚約者になっていただきたいの」
碧の瞳をきらめかせ、エメラインは率直に切り出した。あまりにストレート過ぎてノエルは動揺する。
「あの……。申し訳ありませんが、私は王子妃に向いていません」
「ええ! 十分承知していてよ。でも、安心なさって。ヴィンセントに必要なのは社交や教養だけあればいい普通の王子妃ではありません。一番大切なのはあの子を愛してくれることよ」
それならますますノエルには不適格だ。前世の婚約者を思わせる要素が強すぎるヴィンセントを愛せるとは思えない。
自分を否定する言葉を口にしようとしたノエルをエメラインが「お待ちになって!」と制止した。
「まずわたくしの話を聞いてくださる? そもそも今日お返事をいただくつもりはないの。できればじっくり時間をかけて決めてほしいわ」
「はぁ……」
そう言われてノエルは口をつぐんだ。確かに何も聞かずに拒否するのはよくないだろうと話を聞くことにした。
まず、エメラインはヴィンセントの身体のことから話し始めた。
彼はノエルが思った通り、キメラだそうだ。
角は山羊、耳は産毛の代わりに鳥の羽が生えているだけで、あの下には人間の丸い耳があるらしい。牙や爪は当てはまる生物が多すぎてわからないが、顔を覆う鱗は王家の始祖たる竜人のものだ。
色々混ざってしまっているが、基本的にヴィンセントは竜人であるらしい。
獣人を大きく上回る能力を持つ彼はとにかく頑丈で怪力である。ただ、先祖たちのように竜の姿に変ずることはできないそうだ。
「ヴィンセントは真面目な努力家で頭脳明晰ですのよ。わたくし素晴らしい息子を持って母として誇らしいですわ。ただ……」
異種が混ざったヴィンセントの見た目は他者に恐れられた。
実の父親である国王すら生まれた時の一度以降、会おうとしない。それだけではなく、周囲にいる者はみなヴィンセントを恐れた。
乳母すら乳離れと同時に暇を願ったので乳兄弟と育つこともなく、彼に恐れず近寄る者は母親と兄のみ。
兄の結婚後は彼の伴侶と子供もそこに加わったが、どちらにしろ家族以外との交流はほぼ皆無だ。
「見た目は怖いかもしれませんが、あの子は穏やかで優しい子ですの。将来は兄の補佐をするのだと黙々と働いてくれています……。
でも、このままではあの子の人生が味気ないものになってしまうんじゃないかと心配で……」
その話を聞きながらノエルは、社交界に出ない彼女の耳にも届いた噂を思い出していた。
化け物王子――。
第二王子のヴィンセントは恐ろしい姿をした化け物で、夜な夜な人を襲って食べるというものだ。
彼が公式な場にまったく出席しないことから生まれた根も葉もない噂だと思っていたが、恐ろしげな姿形を見たことのある誰かが流したものなのだろう。確かにあの歯は骨すら噛み砕けそうな鋭さだった。
ただ、ノエルからすれば、彼の外見は歪ではあるものの、よく見れば恐ろしいものではない。少々獣や竜の特徴が強く外見に出ているだけだ。
むしろ前世の婚約者同様、王家の特徴が出た整った容貌をしている。あまりに瓜二つで驚きはしても、全体で見れば人に近い彼の異相に怯えはない。
「大勢の人に理解されずとも、ほんの少しの理解者がいてくれればと、まずはヴィンセントのお嫁さんを探していましたの。
ですが、その、ことごとく断られてしまって……」
「王家からの縁談をですか?」
「大抵の令嬢はヴィンセントを一目見ただけで気絶してしまうの!」
ノエルは開いた口が塞がらなかった。それが普通の令嬢の感覚なのだろうか。
世の中には『先祖返り』と呼ばれる二足歩行なだけの完全に獣の姿の獣人もいると聞いたことがある。
しかし、貴族にそこまでの獣人は滅多にいないので、ヴィンセントの姿は刺激が強過ぎるようだ。
「でも! でも、あなたはヴィンセントと会っても気絶しなかったわ!」
「えっ、それは」
「是非、是非ともヴィンセントのお嫁さんに! もうあなたしかいないの!」
「え、ええ〜……」
婚約者のハードルが低過ぎる。
ノエルは気絶しなかっただけで、エメラインの望む「ヴィンセントを愛する女性」ではない。一度落ち着いて考え直してほしいところだ。
「はっ、そうだわ。ヴィンセントの素晴らしいところをこれからお伝えするわ! 人は見た目ではないの! いえっ! ヴィンセントは見た目も美しいわ!」
「いや、あの……」
止める間もなくエメラインの息子の紹介という名の自慢話が始まった。
怒涛の話しぶりに口を挟めず、とっぷり日が暮れるまでノエルは解放して貰えなかった。
◇◇◇
「あっはっは!」
「笑いごとじゃないのよ」
遠慮なく笑うロードリックにノエルは口を尖らせる。
本当に大変だったのだ。リサなんてずっと立って控えていたからきっと足が浮腫んでいることだろう。
「ふっ、ふふふっ! エメライン様らしいなぁ」
「必要以上にお元気だったわ。噂とは全然違う、快活な方ね」
今は側室になっているエメラインは二十年ほど前までは王妃だった。何故王妃から降ろされたのかというと、国王の番が現れたからだ。
今はほとんど廃れているが、昔から既婚者に番が現れた場合、本人が希望すれば婚姻が無効になるという慣例があった。それが適用され、国王は番の女性と結婚し直したのだ。
既に二人の王子を産んでいたエメラインは王室を出る訳にもいかず、側室として留まった。
それに対する世間の反応はだいたい二つに分かれた。
「番が現れたというのに潔く身を引かない図々しい女」というものと、「王妃として立派に務めていたのに番と出会ったからというだけの理由で廃された不遇の女性」というもの。
前者は平民、後者は貴族に多い意見だ。両者が知る事情の差が意見の相違を生んでいる。
エメラインが王室に残ったのは国と王位継承者の王子たちのためで、国王に執着している訳ではない。そのところを知る貴族はエメラインに同情的である。
そうやって勝手に語られるエメラインと違って実物は活気溢れるやや親馬鹿な女性だった。
「国王に疎まれ、不遇を託っているなんて聞いてたからもっとこう……権限を持っておられないと思っていたけど、普通に色々なさっているようで意外だったわ」
「それは国民向けの建前だよ。表に出て来ないだけで王宮を取り仕切っているのは実質エメライン様だからね」
「えっ、ほんと?」
「ほんと。陛下なんて国民の前で手を振る置物になって久しいよ」
「ごふっ!」
あまりにも不敬過ぎる父の発言に噴き出す。しかし、その言葉から国王が公式行事以外の仕事をさせて貰えていないことがわかった。
曲がりなりにも最高権力者が非常に無残な有様だ。
「どうしてそんなことになってるの……」
「陛下が悪いんだよ。番を王妃にしようと意地になるから」
「んん? どういうこと?」
「王妃ロレッタが他国出身の元平民だって知ってる?」
「えっ? うちの国の男爵家じゃなかったけ?」
「そこは養子先。建前だと血が繋がってることになってるけど」
現在の王妃、ロレッタは隣国のミルメコレオで育った、裕福な商家の娘であった。しかし、その本当の出自はズメイ貴族だとされている。
彼女の父親はズメイの男爵で、母親はミルメコレオの平民。
ミルメコレオで出会った二人は将来を誓い合っていたそうだ。しかし、当時のミルメコレオ国内は内乱が激しく、男爵は帰国を余儀なくされた。
二人は離れ離れになったが、母親には恋の形見が宿っていた。それがロレッタだ、というのがノエルの知っている話である。
「美談っぽく言われてるけど、全然美談じゃないよね」
「わかる。内乱が激化してるならズメイへ連れて帰れよと思う」
「男爵なら他国出身で平民の妻でもそこまで問題にならないのにね」
「仕方ないんだよ。そもそもまったく関わりのない二人で、それはただの設定だから」
父が語るには、約二十年前、ミルメコレオ王国へ外交のために来訪していた国王オスニエルは現在の王妃ロレッタと夜会で知り合ったそうだ。
ロレッタの方が鼠の獣人で、オスニエルを番だと言ったらしい。オスニエルはそれを鵜呑みにした。
彼女を国内へ迎え入れるために作ったのがノエルが知っている話だ。彼女の両親はどちらも間違いなくミルメコレオの人間である。
「わざわざズメイ貴族ということにしたのはミルメコレオ出身だから?」
「そうだよ。少しでも印象を良くしようという苦肉の策だね」
ミルメコレオ王国はズメイと同じくらい歴史のある国である。しかし、王位継承に独特の風習があり、内乱が起こりやすい。
当然治安も悪く、犯罪が横行していた。最近も飲み続ければ獣人になれるとかいう怪しい薬が密かに出回っているらしい。
何かと物騒で、かつては戦争を仕掛けられたこともあるミルメコレオに対するズメイの人々の心象は最悪だ。
それを緩和させるためにズメイ貴族ということにする手は悪くはない。しかし、国王が動いたのに協力を取り付けられたのが男爵というのは、少しばかり残念なものを感じる。
「……陛下はよく番だって信じたね? 仮想敵国の平民だよ? 明らかに罠じゃない?」
「ロレッタ王妃は獣人だって申告したからねぇ。まぁ、自称だけど」
「……自称?」
ロードリックの言葉には含みがあった。ロレッタは獣人ではないということなのだろうか。そうなると番に関しても胡散臭くなってしまう。
獣人が番だと言った場合、疑う者はまずいない。しかし、人間はそうではない。
人間でも稀に番がわかる者はいるが、大半は一目惚れを勘違いした『自称番』で、トラブルの元である。
ロレッタの外見に獣人らしい特徴は見受けられない。それでもオスニエルは番だと信じたということは、獣人らしい能力が備わっているということだ。
「……陛下は慣例を持ち出してロレッタ王妃との結婚を強行した。
エメライン様との結婚をなかったことにして、既に王太子になるだろうと目されていたトラヴィス殿下も王族の籍から抜こうとするから、貴族たちは大反発さ」




