星に願いを
ノエルに視点が戻ります。今回はちょっと短めです。
思わずめり込ませた拳を腹から抜いたノエルは無言でバルコニーへ逃げた。通り魔の犯行である。
「ノエルったら。殴って解決するってちょっと野蛮だよ?」
「ごめん。臭い上うるさくなっちゃったから我慢の限界で……」
「うるさくなったの君が追い込んだからでしょ。まあ、僕も頭おかしすぎてドン引きしてたから気持ちはわかるけど」
気絶してぐったりとしたガブリエラを支えているのは、隠密の黒装束に身を包んだロードリックだ。
ここにいるのはヴィンセントとノエルとロードリックのみ。
コンスタンスに疑念を抱いたノエルが提案した入れ替わりと待ち伏せという単純な作戦は、呆気ないほどうまくいった。
当人のノエルは窓を盾にするように立って匂いを遮断した。
先程までは怒りで匂いを意識せずにすんでいたが、距離が近すぎて鼻が限界を訴えている。
吐き気が込み上げ、息を止めた。
「殿下。これ、どうしましょうか」
「独房へ。兄上たちの暗殺未遂だから処刑確実だろう。監視は多めにつけてくれ」
「かしこまりました」
「早く連れて行ってくれ。ノエルが限界だ」
「そうでした。じゃ、失礼」
吐き気と戦うノエルを見て、ヴィンセントがロードリックを急かす。
父はひょいとガブリエラを担ぐと堂々と扉から出て行った。窓に掴まりうんうん唸っているノエルにヴィンセントが近寄る。
「大丈夫か?」
「すぅ、はぁ。なんとか、大丈夫、です」
ヴィンセントは気持ち悪さに前屈みになるノエルの手を引いて、悪臭の根源たる室内から遠ざける。
雨は止んだばかりでバルコニーは濡れていたが、外の方がずっとましだ。
なんとか手すりに掴まったノエルを、ヴィンセントは献身的に世話を焼いた。
背中を摩り、寝巻き同然の薄着を心配して、隠してあったいつものマントを肩に掛けてくれる。
「ヴィンセント様、ありがとうございます。でも私、寒いの平気なので……。風邪ひいちゃいますよ。自分で着てください」
「自慢じゃないがぼくも寒さには強い。これまで風邪どころか病気ひとつ罹ったことがない」
そう言って笑ったヴィンセントも、トラヴィスと入れ替わったためにノエルに負けずに薄着である。
夏が近い季節にもかっちりと厚着しているヴィンセントしか知らないため、新鮮だった。
普段から見えている顔だけではなく、両腕の大きさや長さが違うところや、体型の左右が不均等であることまで見てとれた。
手袋をしてないから、黒く鋭い右手の爪がはっきり見てとれる。
その姿は自然に悖る歪さだった。
けれどもノエルにはすべてが調和した新しい生き物に見える。だからこそ、あの発言が許せなかった。
「何を怒っているんだ」
不思議そうに首を傾げるヴィンセントが不満で頬を膨らます。
「ヴィンセント様はもっと怒った方がいいです! 化け物なんて言われて流しちゃいけません」
「なんだ、そんなことか」
隣に立ち、手すりに肘をついたヴィンセントは晴れやかに笑った。
「君にとって化け物でなければ誰になんと言われようと、どうでもいい」
「くふんっ!」
寛いだ表情のヴィンセントから不意打ちを受けて変な声が出てしまった。
そう言ってくれるのは嬉しいが、そういう問題ではないのだ。
「そうじゃなくてですねっ! 化け物なんて言葉、言われ慣れないでください! 特にさっきのあれはすごく自分勝手でしたよ! 理想の王子様じゃなかったから化け物、なんて……」
「ああ、あれか……」
彼女自身の証言から、ガブリエラは自我をぐちゃぐちゃに壊されたあとにミカエラの記憶を積み上げて完成した存在であるらしい。
本人とは違うが、あの言葉はミカエラの記憶から生まれたものだ。
一方的に想いを寄せ、理想と違うと拒絶する。
ヴィンセントはそれに振り回され続けたのだ。もっと怒ってもいい。
しかし、ヴィンセントは表情を曇らせるだけだった。
「……彼女は、何者なんだろうな」
その言葉にノエルも眉を下げた。
「……何者でしょうね。調べれば、わかるでしょうか?」
「どうだろう。普通、王族の侍女になる者は身元がはっきりしているが……」
ヴィンセントは口篭る。
言いたいことは伝わっていた。
ミルメコレオの王族の数は多く、強い者が王位に就くという伝統により、守られていない。母親の出自次第ではどんな階級の者も近づける。
しかも、彼女の場合は本当のコンスタンスを壊して、レスリーにしてからミルメコレオ王宮に潜入したのだ。
身分を誤魔化すくらい簡単にできただろう。
家族どころか、ガブリエラが本当の名前かすらわからない。
すべてを壊され、ミカエラの記憶に狂わされた彼女は、何もかもを失って死んでいくのだ。
そして、この百年そんな女たちがたくさん生まれ、死んでいった。
ミカエラ本人ではなく、妄念を未来へ運ぶために。
あまりに酷かった。
ミカエラやレスリーにされた女たちは最後に何を思っただろう。
そして、すべてを始めたミカエラは『自分』を作ってから処刑台に至って、何を思ったのか。
もう知ることはできないが、ノエルはやるせなかった。
彼女たちは酷い匂いを放っていたが、あれはぐちゃぐちゃに壊され、なんだかよくわからないものにされた女たちの残滓が悪臭となったのかもしれない。
「……だからだったのかもしれないな」
「はい?」
唐突にヴィンセントが漏らした呟きにノエルは首を傾げた。
こちらを見たヴィンセントは「前世の記憶だ」と続けた。
「こんな惨い行いを止めさせるために、ぼくたちは前世の記憶を持って生まれ変わったのかもしれない」
「ああ、なるほど。……きっと、そうですね」
若くして死んだ者の死を嘆いてくれる双子神なら、きっとひとりの女の妄念に数多の犠牲が出続けることも悲しんだに違いない。
それを止めるために二人の記憶があったなら、振り回され、苦しんだあれこれも許せる。
むしろ記憶がなかった場合、どうなっていたか想像すると怖い。あってよかったと初めて前世の記憶に感謝した。
名前も知らない彼女たちも、いつか生まれ変われるように星空に願う。獣人というだけで、特別な力を持たないノエルにはそんなことしかできなかった。
今度こそ、人生の最後まで自分のままで生きられるといい。
「さて、そろそろ行かなければ。体調は大丈夫か?」
「はい。万全とは言えませんけど、徹夜くらいは余裕です」
ヴィンセントが寄りかかっていた手すりから離れ、ノエルに手を伸べる。
差し出されたのは人の形をした左手だ。
ノエルはどちらの手も好きだが、ヴィンセントからすると、異形の手で触れるのはまだ怖いのだろう。その気持ちを大事にしたいと彼女は差し出された手を取った。
二人の夜はまだ終わらない。
レスリーは監禁先で取り調べを受けているが、完全に壊れてしまって、サディアスの名前ばかり呼んでいるそうだし、ガブリエラもあの様子だ。自白など期待できない。
随分国を引っ掻き回してくれた彼女たちの後始末をするため、二人もできることをしなくてはいけなかった。
まずは隠密たちの手引きでこっそり執務室に戻り、今も徹夜で働いているトラヴィスに先程のことを報告すべきだ。
「では、行こうか」
ヴィンセントはノエルの手を引いて、部屋へ戻ろうとする。ノエルは足を止めた。
「……バルコニーから行きません?」
室内はまだ悪臭が残っている。
先程は我慢したが、できればもう二度と戻りたくなかった。
幸い、寝室は二階だ。これくらいならノエルでも怪我ひとつなく飛び降りられる。
「わかった」
「えっ……。ひゃあっ」
一瞬だった。
一瞬の内にヴィンセントはノエルを左手だけで抱え上げるとバルコニーから飛び降りる。
動きが早すぎて反応できなかったノエルは呆然とした。
それに構わず、ヴィンセントはノエルを抱き上げたまま、スタスタと歩き出す。
「……あの、自分で歩けます」
「濡れてしまうぞ」
「それくらい気にしませんから」
「遠慮しなくていい」
「遠慮とかではなく」
このままトラヴィスの元まで運ばれる訳にはいかないと抵抗する。
しかし、ヴィンセントはがんとして譲らず、結局ノエルが降ろされたのはトラヴィスの執務室にあるソファーの上だった。
非常に恥ずかしい思いをしたのは言うまでもない。
次が最終話になります。




