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今世の家族と困る呼び出し

 遥か昔のことである。

 始まりの世界は青い海と赤茶けた大地だけがあったそうだ。生命の気配は微塵もなく、何も変化がないまま何千年もそのままだった。


 そこに現れたのは旅をする二柱の神だ。双子の神で、兄の名はナーサティア、弟の名はダスラといった。

 二人は生まれた時から様々な世界を見てまわっていたが、海があり、大地も広がり、さんさんと太陽に照らされながら植物すら生えていない世界は初めてであった。

 それを寂しく思った彼らは、まず、旅する間に集めた植物の種をばら撒き、かつて見た生き物を創ることにした。


 そうして一週間が経ったある日、双子神はふと気づいた。

 順調に大地は緑で覆われたし、たくさんの生き物を生みだせたが、世界は広く、ほんの少し賑やかになった程度だ。

 たった二人で世界中に満ち溢れるほどの生き物を生み出すのは大変すぎた。


 双子神は悩んだ末に、作った生き物のいくつかに彼らと近い知能と姿を与え、手伝って貰うことにした。

 次の一週間、彼らは作った生き物たちの一部を作り変えた。神のように二足で歩き、器用な指を持ち、高い知能を備え、言語を操る彼らを双子神は『獣人』と名づけた。

 獣人たちの働きもあり、その後の生き物作りは順調に進んだ。

 さらに一週間をかけて世界は充分なだけ、生き物が満ちた。


 生き物を作り終えた双子の神は、すっかりこの世界が気に入り、空の一番日当たりがよく見晴らしのいい場所に家を建て、定住することにした。

 ただ、彼らは元々旅人である。時々地上に降りては自分たちの作った世界を見て回るようになった。


 地上に残された生き物たちはどうなったのかというと、神の力を借りずとも少しずつ数を増やしていった。

 特に獣人たちはその知能を活かしてそれぞれ国を作り出し、世界をより多様で賑やかなものにした。

 そのひとつが、ノエルの住むズメイ王国である。




 部屋の中に色とりどりのドレスが何着も並べられている。

 下着姿のノエルはふっさりとした尾を揺らし、真剣にそれを吟味していた。


「これにするわ」

「ええ〜、地味じゃないですか〜?」

「地味な方がいいの!」


 悩んだ末に出した結論に彼女の侍女から文句が出た。

 ノエルの遠縁に当たる、リサという名の少し年上の女性である。灰色の髪と琥珀色の瞳をした、しっかり者だった。


 リサから苦情の出たノエルが選んだドレスは紺色のものだ。

 スクエアネックにベルスリーブの裾がふんわりと広がるシルエットのデザインは今年の流行である。襟元や袖口に繊細な白いレースが縫い付けられていて大変可愛らしい。

 本当はフリルやレースはもっとふんだんにあしらった、華やかなものが流行っているのだが、ノエルにはこれくらい控えめなほうが抵抗なく着られる。


 リサはぶつぶつ言いながらドレスに合う小物を選び出す。

 ノエルはそこにそっと普段履き慣れた踵の低い編み上げブーツを紛れ込ませた。秒で見つかり、脇に避けられる。


「どうせ見えないんだから、いいと思うの……」

「いけません」


 ノエルのささやかな抵抗をリサはぴしゃりと却下して、別の靴を選び出した。ビーズ刺繍が施された華奢な靴は、比較的踵が低い。

 なんだかんだ言いながら、普段ドレスなど着ないノエルを気遣ってくれているようだ。リサは優しい上、できる侍女である。


 ノエルは決して複雑な構造のドレスや、丁寧な刺繍が施された靴が嫌いな訳ではないのだ。そう、これさえなければ、とコルセットを摘んだ。


「……これ、なくてもよくない?」

「駄目です。淑女の嗜みですよ」

「ぐぇっ!」


 リサはノエルにコルセットを身につけさせると容赦なく紐を締め上げた。思わず呻き声が出る。


(……なんでコレ、百年経ってもあるのよ)


 ノエルは恨めしくコルセットを睨んだ。

 百年経って、ドレスのデザインは少し変わったが、コルセットはあまり変わっていない。

 窮屈な癖にナイフすら防げない脆弱な防御力。この装甲の存在意義をノエルは問いたかった。


 嫌で仕方ないが、これからに必要だからと我慢する。リサは手際良く彼女を装い、控えめに化粧を施す。

 ノエルは完成した自分の姿を姿見で念入りに確認してひとつ頷いた。


「うん、完璧!」

「そうですかぁ? もっと派手にしなくていいんですかぁ?」

「いいの! リサ、ありがとう」

「どういたしまして」


 紺色のドレスを纏った彼女は灰色の髪と榛色の瞳という色彩も手伝って程よく地味だ。

 柔和な顔立ちもこれといった特徴がなく、対面した相手に強い印象を与えない。完璧な没個性ファッションだった。

 きっと今日会う相手の記憶に欠片も残らないに違いない。

 そんな彼女をリサが胡乱な眼差しで見ている。


「お嬢様……。本当に、ほんとーによろしいんですか? 今日お会いになるのは第二王子のヴィンセント殿下でしょう?」

「いいの!」

「側室に降ろされたとは言え元王妃のエメライン様からのご招待だと伺いましたよ」

「大丈夫!」


 そろそろ出発時間が近づいているのに、リサは高貴な人物からの招待に相応しい格好をしろと圧力をかけてくる。

 ノエルはゆるゆると首を振った。

 

「私なんてどんなに着飾っても地味なことは変わらないわ」

「そんなことはございません。お嬢様は最高に可愛らしいですわ」


 真面目な顔でリサはノエルを賞賛した。その視線は今はドレスの下に隠れた尻尾のあたりを凝視している。

 リサが可愛いと思っているのはノエル本体ではなく、尻尾だろうという言葉を口走りそうになって、寸ででやめた。言っても仕方のないことである。


 ふさふさのノエルの狼の尻尾はリサのみならず、邸の者全員に可愛いと評判だ。

 ノエルにとっても自慢の尻尾はリサの手により施された念入りなブラッシングと丁寧に塗り込まれたヘアオイルのおかげで常にふかふかの艶々である。極上の手触りに撫でれば誰もがうっとりするに違いない。


 しかし、生えている場所が場所なので、邸以外では服の下に隠している。

 見せるのも触らせるのもブラックウッド家の身内のみ。前世も今も、ノエルの尻尾は家族と仲間のものである。


 当然、これから会う相手にも見せるどころか教えることすらするつもりはなかった。

 本日、ノエルは側室のエメラインに呼ばれ、第二王子と面会する予定だ。

 彼の名はヴィンセント。忌々しいことに前世の婚約者と名前も立場もすべて同じだった。



 ◇◇◇



 前世の記憶を思い出したあの日から十五年。ノエルは十八になっていた。

 記憶が蘇った直後は混乱し、大いに戸惑った。

 しかし、生まれたのは前世からひとつ爵位が上がっているだけで同じ家。名前も同じなら容姿もほぼ同じ。


 そもそも前世の記憶が追加されただけで、今の記憶は失われていない。

 余計なものが増えて、ちょっと精神が成熟しただけだ。ノエルは自然に今の自分の生活に馴染んでいった。

 前の人生に後悔はあるが、それはもうどうしようもないことだ。


 同じ家に生まれたことで前世の家族のその後を知れたのは僥倖だった。

 家に残る記録や日記によると、前世の両親は長生きをして、兄は前々から親しかった女性と幸せな家庭を築いたようだ。


 育てて貰った恩を返せないまま死んでしまったが、家族は彼女の分まで幸せになってくれたなら何よりである。

 おかげで心残りは少しだけ薄まった。


 前世について割り切ったノエルは気持ちを切り替えて新しい人生を歩み出した。性格は少し変わってしまったが、まだ三歳である。

 変化の多い年頃にそれほど違和感を生まれず、優しく大らかな家族と使用人に囲まれ、のびのびと育てられた。

 家の事情で侯爵令嬢でありながら社交場にはほぼ顔を出さず、父の手伝いをしながら好きなように過ごしていた。


 そんな彼女の元へ、王宮からの招待状が届いたのは一週間前のことだ。

 差出人は側室のエメライン。第二王子のヴィンセントと会ってほしいとのことだった。


 エメラインとは成人になる十五歳の年に参加した夜会で一言挨拶を交わしただけで、第二王子のヴィンセントとは顔を合わせたことすらない。

 ただ、あまり良くない噂がいくつか彼女の耳にも届いていた。


 断固断りたかった。二人に含むところはないが、王子は前世の婚約者と同じ名前で立場も同じで、思うところがある。

 それに、ノエルは体質的に人が多い場所が苦手だ。

 エメラインが指定した面談の場は離宮である。大勢の人が行き交う王宮を通らなければ辿り着けない。


 しかし、エメラインは王の妃のひとりで、ヴィンセントは王子である。ただの令嬢でしかないノエルに拒否権はない。

 誠に遺憾ながら「謹んで招待をお受けします」と返事を出して、当日を迎えたという訳である。


 この呼び出しがエメラインのどんな意図によってなされたのか、ノエルは知らない。ただ、この一回こっきりですませてほしいと思っている。


 そのためエメラインやヴィンセントに好印象を与えない装いを選んだ。会話も失礼にならない程度の最低限に努めるつもりである。

 自身だけではなく、家族にも負担をかける王族との付き合いなど、前世だけで十分だ。


「お嬢様、そろそろお時間です」

「うん、わかった」


 リサに促され部屋を出る。時々会う使用人たちに挨拶をしながら、玄関へ向かって歩いていた。

 普段の彼女とは違う装いと令嬢らしい楚々とした所作に使用人たちはみな不思議そうな顔をする。気恥ずかしさにむずむずした。


「ひえっ!」


 そんな気持ちも、突然尻尾を掴まれたことで吹き飛ぶ。

 気配もなくドレスの中に侵入し、ノエルの尻尾を掴む小さくも力強い手。姿は見えないが、この不意打ちは妹のブリジットである。


「ブ、ブリジット!? 尻尾を離して!」

「いやなの。おねぇたまのちっぽもふもふするの」

「ブリジットお嬢様! ノエル様はこれから外出しますから、もふもふは帰ってからにしてください!」


 ドレスがもぞもぞと動き、愛らしい声の返事がある。

 恐らく尻尾にしがみついて頬ずりをしているブリジットは、現在三歳の大変可愛い盛りである。

 母に似た愛らしい顔立ちをしているが、その行動は活発過ぎるほど活発だ。世話役の使用人たちはだいたい振り切られ、今のように単独行動を許してしまっている。


 ここ最近は専らノエルのドレスにこっそり入って尻尾をもふることに嵌っていた。

 ノエルとしては突然尻尾を掴まれると毎回とても驚くので、できればやめてほしい。

 しかし、両親や彼女の再三の注意は一切無視されている。


「おねぇたま、おでかけしないの。ブリジットといっしょなの」

「今日はとっても偉い方に呼ばれているからどうしても行かないといけないの。さぁ、ドレスから出て……」

「いやなの。まだもふもふするの」


 イヤイヤ期がなかなか終わらないブリジットは誰に対しても反抗的である。

 ノエルが説得を試みている間もリサがなんとか捕まえようとしてくれているのだが、するりするりと回避されていた。

 ドレスの中で動き回られるノエルからすると、恥ずかしいわ尻尾が引っ張られて痛いわと散々である。


「あら、ノエルちゃん。どうしたの? 今日はお出かけじゃなかったかしら?」

「母様助けて!」


 混乱する場におっとりと現れたのは、姉妹の母親であるユーファミアだった。

 ノエルよりも小柄で、大きな娘がいるとは思えないほど可憐で若々しい母は、その見た目に反して家庭内におけるヒエラルキーの頂点にいる。

 イヤイヤ期のブリジットも最終的にユーファミアの言うことは聞く。


 救世主の登場にノエルはすかさず泣きついた。

 涙目のノエルとモゾモゾ動くドレスの膨らみと格闘するリサを見て状況を察した母はにっこりと笑った。


「ブリジットちゃん、出てらっしゃい」

「いやなの」


 きっぱりと断るブリジットにユーファミアの笑みが深まる。


「まぁ、じゃあ今日のおやつはわたくしが食べちゃいましょうか。料理長特製のプリンらしいわよ。二つも食べられるなんて嬉しいわぁ」

「ぷりん!! ぷりんはたべるの!」

「じゃあ出てらっしゃい?」

「ゔ〜」


 唸り声を上げながらもそもそとブリジットはドレスから出てきた。

 ノエルと同じ灰色の髪と榛色の瞳の愛らしい幼女はその可愛さが台無しになるほどむくれている。

 ブリジットは名残り惜しげにノエルから離れ、ユーファミアの隣へ移動した。


 ずっと奮闘していたリサはこれからノエルに同行するのにすでに疲労困憊になっている。

 それに対してブリジットはまだまだ元気だ。三歳児の体力は無限である。


「ノエルちゃん、行ってらっしゃい。ほら、ブリジットちゃんも行ってらっしゃいって」

「いってらっしゃーい」

「行ってきます。ブリジット、帰ってきたらもふもふさせてあげるからね。だからドレスに入るのはもうやめようね」

「いやなの」

「あらあら」


 断固とした拒否にノエルは無表情になる。母はおっとりと笑っていた。

 前世のきょうだいは兄しかいなかったから体力が無限で疲労困憊になるまで遊ぶことになろうとも、勝手にドレスの中に侵入されて恥ずかしい思いをしようとも、妹はとても可愛い。

 しかし、イヤイヤ期はとても大変だった。

 これから度々世界観の説明みたいなものがありますが、さらっと読んでいただけるとありがたいです。

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