自殺禁止世界に於ける自殺の仕方。
自殺禁止令が発行されましたっ!
特に劇的な何かがあったわけではない。
恵まれていなかったなんて、とても言えない。
ただ、見てほしい人に見向きもされなくて。
ただ、友人たちの会話に流されるように曖昧な笑みを浮かべて。
ただ、先生の勧めるままに行きたかった大学を諦め相応の受験先を選らんで。
そうして自分の意見を圧し殺して歩む人生に意味を求めたけれど、それが少なくとも私には無味無臭で、無価値に思えてしまった。
ただ、本当に、それだけだった。
皆が授業に勤しむなか、私は屋上で雲ひとつない快晴を見上げて、心許ないフェンスを乗り越える。
下を向いたらきっと覚悟が揺るいじゃうからと、跨いだフェンスを振り返り、背中から地面に向けて倒れれば、肺を押し潰すような圧迫感に襲われて唇を噛み締め眼をぎゅっと閉ざした。
僅か数秒の筈なのに間延びした時間は、残酷な神様が最期に与える懺悔の時間なのだろう。ずっとずっと恐怖が脳裏を埋め尽くして、次いで後悔が溢れ出る。はやく終われ。はやく終わってしまえ。
親不孝な私を地獄へ引き釣り込んでしまえ。
私はひたすらに願い。
そして。
◇◇◇
帰宅した。
まだ平日の真っ昼間であり、少しばかり訝しむように見られもした道中を、ドクドクと高鳴る動悸に合わせるようにして足早に歩き、リビングのソファにぐでっと倒れる。
私は何故か、死ぬことが出来なかった。
確かに屋上から飛び降りて、しかし地面から数センチのところで体は浮遊したままに停止していたのだ。
そんな、不思議現象に遭遇したのだ。
足をバタつかせ胸を駆け巡る非日常の高揚を発散することで落ち着きを取り戻し始めた頃、そういえば学校に無断で早退してしまったなとぼんやりと考え至った私は放り投げた鞄からスマホを探り当てる。
こんな状況を経験してもやはり私はどうにも小心者のようだった、なんて。小さく苦笑して、手に持ったソレを開けば、ホーム画面にはところ狭しとニュースがとりあげられているのが目についた。
内容はどれも『女神』『自殺』『禁止』などの単語によって構成されており、電話を鳴らすことも忘れて呆然と告知のひとつをタップする。デカデカと写し出されるのはこの世のものとは思えぬほどに整った顔立ちをした幼い少女の姿。しかしてコメントを読み取れば、これを妖艶な女性や愛らしい猫と言う者もおり、どれが真実なのか、或いはどれも真実なのか。
夢中になって読み耽れば、事の次第が段々と明らかになってくる。
まず、画面の幼女は女神であり、見る者の深層心理を洗いだし理想の姿を写し出すこと。つまり私は幼女趣味らしい。
次に、女神が本日の10時30分頃に世界中の電子機器をハックして『自殺禁止令』なるものを敷いたこと。理由としては、神々の会合で怒られたから次の時までに自殺者を減らすための苦肉の策、なのだとか。散々罵倒しながら言っていたが要約すればそういう意味になる。
そして、ちょうど時間が飛び降りたのと同時刻であったことからこれは事実なのだろう。半信半疑の声が上がるなか、私は少しの優越感に浸り一夜を過ごした。
◇◇◇
翌日、結局学校側に連絡を入れるのを忘れていた私は眠っている間に仕事が終わって帰ってきていた両親にこっぴどく叱られてしまい、だけれどそれが少し嬉しくて何時になく軽い足取りで階段を登り教室の扉を開く。
ザワザワと弾む会話の中身は当然、昨日のニュースについてだろう。普段なら絶対にそんなものに興味を示さない人たちも一緒になってひとつの話題に注力したソレは半ば喧騒のようだった。
「ほら、救急箱持ってきてやったしやってみなよ?なぁ?」
「えと、あの……」
そんな雑音に紛れるようにして教室の片隅では見馴れた光景が繰り広げられている。誰もが見て見ぬふりするイジメであった。尤も、加害者にそんなつもりはなく、被害者もプライドが邪魔をするのか認めることがないため、黙認されている行為ではあるのだが。
そしてそれは今日も同じらしい。チラチラと視線を向けて、弱々しい同級生の男の子が手首にカッターナイフを宛がうのを見守っている。誰も止めようとはしない。結果が気になって仕方がないようで、むしろ催促するかのよう。
味方がいないことを悟った彼が握りしめた刃を一思いに手首にめり込ませ、シーンと教室が静まり返る。血は、でなかった。皮膚は強い力で抑えられるようにして凹んでいるが、切れてはいなかった。
瞬間、爆発するように歓声があがる。
チャラチャラとしたお調子者が窓を開き、私の覚悟を嘲笑うかのように軽やかに飛び降りる。外から無事を告げる声が届き、皆が我先にと自殺を楽しみ始めた。
◇◇◇
非日常は日常へと変化を遂げた。
映画では危険な撮影を安全に行えるとあってクオリティは上昇した。
下校時には飛び降りがショートカット扱いされていた。
海外の実験で自殺の定義が明らかにされれば、正に不眠不休でゲームに熱中する猛者や、毒物を調味料として扱う料理人まで現れた。
不謹慎かもしれないけれど、こんな面白おかしい世界ならもう少しくらい生きていても良いかもしれない、なんて想いも湧いた。
「どうせ、死ねないんだから、もう少しくらい、なんてね?」
「そうですか、ならボクが殺してあげますよ……」
「えっ……」
誰もいないはずの家の中。
背後から聞こえた声に振り返ろうとして、後頭部に衝撃が迸る。
ドロリと粘ついた液体が髪を濡らして気持ち悪い。
遠退く意識が自身の死を伝える。
「なん……で……?」
何故、こんなタイミングで。
生きたいと願ってから死ななければいけないのか。
きっとそれに答えたわけではないのだろうけれど。
「これで八人、そろそろ死刑にしてもらえるかなぁ……」
弱々しい姿は何処へやら、彼はそう、独り言た。
なお、女神様はその後、創造物束縛禁止法令によりお叱りを受けた模様。