八月二十九日 晴 彼女の日記
それは日記と呼ぶにはあまりにも異質だった。
その日記帳にはタイトルと名前を書く欄があったが未記入であった。
日記帳を開くとそこには、日付、天気と続いたあと、本のタイトルが書き連ねてあった。
そして本の感想が見開き2ページにわたって丁寧な字で綴られていた。
その日付には抜けがなく、毎日毎日その記録が綴られていた。
これは看護師をしている母がとある患者から捨てることを頼まれた日記だという。
私は、母が日記だと言わなければ、これを日記だとは思わなかっただろう。
私は読書感想文が苦手だ。
長い文章を読むことと、感想を順序立てて書くことが苦手だ。
だからその日記を見たとき驚いた。
とてもわかりやすく読みやすい読書感想文が、1日の狂いもなくページ見開きにまとめられているのだ。
私はすぐにその感想文を読むのに夢中になった。
長文を読むのが苦手なだけで、文字を追うのは嫌いではなかった。
2ページ完結の物語を読んでいるようだった。
母はそんな私を見ても、咎めることはなかった。
よく考えてみれば、患者に処分を頼まれた日記を勝手に息子が読んでいる状況に口を挟んでもいいと思うのだが、母は何も言わなかった。
読み進めていくうちに、時々感想に混じって小さい疑問が書いてあることに気がついた。
「雨に濡れたら寒いのか」、
「水平線は何色なのか」、
「砂浜はどんな感触なのか」、
「プールの授業の後の教室の雰囲気って、どんな感じか」
などと、私が考えたこともないことや、当たり前に感じていることに疑問を感じていることに、違和感を感じた。
その違和感は読み進めると共に、徐々に形を帯びてきた。
この感想文は、本の中で自分が知らないこと、体験したことがないことがあったとき、そのことを記録しておくための日記なのだ。
感想は記憶の引き出しの鍵にすぎないことに気がついた。
そのことに気がつくと私はすぐに母に問い詰めた、この日記の書き手のことを。
私はこの読書感想文をある一人の女の子に読んで欲しくて書いている。
日記を読まれて恥ずかしそうにしていた君に
たくさんの本を教えてくれた君に
なんで日記を捨てたか話してくれない君に
いつか夏の雨の生ぬるさを
空の青さと海の青さの違いを
乾いているのにベタベタとしている砂浜を
プールの後の気だるさを教えるために。
手術を乗り越える勇気が出ない君と、ただ君に生きていて欲しい僕とで約束をしませんか?
来年の夏は一緒に過ごしませんか?
拙い文章にもかかわらず、読了ありがとうございました。