希望と絶望
「どこだここ――」
またこの世界で見た景色が広がっている。
この草原の中に台地があり、その上にずっしりと大木が生えている。
その木の前に俺は立っていた。
これからどうすればいいのだろう。
俺は昼寝をしていたら魔性に襲われていて、それを姉妹に助けられた。
つまりここには魔性がいる、とも考えられるのだが……。
現れる事は想定出来たとしても、それを回避する方法や対策方法何かは思い付かず、恐らく現在の俺の力じゃ無理だ。
と、そんな事を考えていた時だった。
草が爽やかに揺れだし、次に大きな影が現れる。
俺は直ぐ様上に視線をやると眼中に映った物は。
……皆が言う、魔性と言われる者だ。
その巨体で俺を見下ろし、舌舐めずりをしていた。
「あ……ああ」
思わずそんな言葉が口からか弱く放たれた。
ポト、ポトポトと長い尻尾を宙で上下に揺らし、大きな腹、そして長い首を持った竜の魔性は口から液体を落とし始める。
俺の身体は恐怖で手足が震え始め、同時に腹痛、頭痛、恐怖……色んな身体の異常、感情がどっと表れ、冷静に物事を考える事が出来ない。
ああ、あああああああああ……。
他のと比べて短い手を俺に伸ばし、俺はその手の中に埋まってしまう。
暗闇の手の中から顔を出し、辺りを見渡す。
見るともう目と鼻の先に竜の口がある。
……嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌だ。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
声には出せないが壊れた心はそう叫び出す。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
そんな事を思っても、時は非情で流れ行く。
そして俺は服を指で摘ままれ、竜の口の真上へと持っていかれる。
混乱を多少落ち着かせ、冷静にする。
下を振り向いてみれば、竜の口はすぐ真下。
高所恐怖症も合わさって、俺はポロポロと溢れ出る涙を下へと落としまくった。
――刹那、俺の服を摘まんでいた指の力は抜かれ、俺は急降下し始める。
着地するところは地獄――竜の口で。
舌がクンションになり一応は助かったが、直ぐ様視界は真っ黒に染まった。
……竜が口を閉じたのだ。
「この世界――夢でも死ぬのかよ」
俺はそう言葉を零し、瞼を閉じるのだった。
「……は?」
意識が覚め、周りの視界が一気に入ってくる。
純白が広がるだけで何も無い殺風景な空間に俺は立たせられていた。
こんな空間にいきなり飛ばされ、何をしたらいいのか迷っていた……時。
「お悩みのようだね、君」
そう可愛げな声がした瞬間、俺の目の前に椅子に座り腕を組み、腰をかける猫が現れた。
四本で座っている訳では無く、まるで人間のように座って俺を見ている。
何で猫が人間に、俺に話し掛けているんだろう。
「……なんなんお前。いきなり俺に何の用だ」
「まだ僕の自己紹介が終わってなかったよね、僕は女神様のただの使いだよ。名前はロキって女神様からそう言われてるんだ」
猫は悠々とそう話す。
……女神様の使い手だとするなら何故本人が出ないないんだ。
と言うかそもそも俺は何でこんなところにいるのだろう。
「なあ猫。俺は何でここにいるんだ?」
「そりゃ決まってるよ。君が魔性に食われて死んだんだけど、君は女神様から死なせるなって言われてるんだ。だから今は女神様が手続きをしてるからそれを待つ時間ってわけ」
「じゃあその女神に会わせてくれ。そいつと色んな話がしたい」
「駄目だよ。それは飲めないって」
両手を交差させ、バッテン印を作る猫に俺は思わず溜め息を漏らす。
俺はその『女神様』とか言われる奴と対話さえ出来れば色々と聞き出せると企んで居たのだが……。
駄目だと言われるなら無理なんだろう。
俺は突如としてこの異世界に飛ばされ、訳もわからず追い出されて、魔性襲われ、今ここに至っている。
そんな酷い扱いを受けいている俺に、誰か一つのヒントや手助けをしてやくれないんだろうか。
……全く、酷い話もあるものだ。
「君は今困ってるみたいだね。待ってる時間も暇だしさ、ここは友好を深める為として僕と話さないかい?」
猫は俺を眼中に入れながら、聞く。
『女神様』は無理だったとしても、こいつからはせめて少しでもいいから聞き出せないものか。
俺はいいぜ、と一言放った。
「まず俺から質問させてくれ。……なあ、猫。俺は何でこの世界に来たのかわかるか? そしてもしわかるなら誰が俺を転移させたのか、それも教えて欲しいんだ」
「それを聞いてどうするのかな」
「……そいつと俺は話がしたい。今のままじゃ納得いかいないんだよ」
「残念だけど、僕はその事は知らないよ。知っていたとしても、君に教える必要性は皆無だね」
猫は冷たくそう言った。……俺に教える義理は無い、と。
しかもそれどころか猫は俺の表情を見て笑っている、嘲笑っている……様に見える。
一体俺の何が面白い、何が可笑しい。
「次は僕から質問させて貰うよ。君はこの世界の事を、どう思ってる?」
猫はさっきと同じ表情――笑っているかのような顔のまま、発す。
まるで俺を試しているかの様な口調、感じがした。
これが単なる質問なのか、俺にはわからない。
猫の意図は何なのか。それが物凄く不透明だ。
しかも答えがほぼ決まっている質問を俺にしていると言うのも、腑に落ちない理由の一つ。
『この世界をどう思っているか』そんな質問、既に言う答えは決まっている。
……意味のわからない設定で、場所で。
二回も襲われて、怖い思いをして、追い出された上に殺されて――
「意味不明な世界、だと思っている。本当に俺が大嫌いな世界だよ」
「そうかい、僕は君の答えが聞けて嬉しいよ。君はこれから色んな困難に出逢い、泣いて諦める。一つだけ言いたい事があるんだよね。……この世界はリタイアする事が出来るんだ。それをするのかしないのかは君の自由さ。でも一度したらもう二度とこの世界に戻る事は不可能。もう無理だって諦めた時に、『リタイア』と胸の中で僕を思い浮かべながら叫ぶといい。その時は僕が駆け付けて、どうすると思う?」
また俺を試すような質問だ。
『駆け付けてどうする?』何てわかる訳が無い。
考えて出てくるのは、俺を元の世界へ戻される、もしくは命を奪いに行く……その二つ位だろうか。
「どうやら正解が出たみたいだね」
「……は?」
まだ思考を巡らせていたと言うのに、猫は唐突にそう口を動かした。
何だろう、コイツも俺の心中を覗けるとでも言うのだろうか。
「正解が出たんなら教えてくれ。何だ、俺を元の世界に戻してくれるのか!?」
俺は嬉々としつつ、喋る。
猫は短い首を左右に振り、否定した。
なら一体何が正解なんだ。
「君が『リタイア』するなら僕は命を奪いに来る。なあに僕はただの猫じゃないし、単なる使いじゃないんだ。僕は魂を常に欲し、また君の魂の管理人――『死神』さ」
そう猫は顔に笑みを浮かべ、言うのだった。
俺は猫が言った言葉に思わず固唾を飲み込む。
俺が『リタイア』とその一言を言えば簡単に命を奪われるという。
また俺の目の前に可愛らしいピンクの首輪を着、そして赤いリングを両手首にはめている猫……なのだが。
こいつはオシャレな猫だと思うものだが、俺の魂の管理人だ。
俺の魂はこの猫の管理下にあると考えれば、身も引けて来る。
「大丈夫だよ。僕は君が思っているような悪魔的な死神じゃ無い。君が望まない限り、僕は君の魂を奪わない、約束しよう。それと僕は『女神様』からある使命を託されているんだ。……何度目かの質問にはなるけど、君は何だと思う?」
またコイツらしい質問を投げられた。
『女神様』が『死神』使命?
『死神』に託すような物だとするならやはり魂関連だろうか。
「俺の魂の管理か?」
「まあそれも正解と言えば正解なんだけどね? 僕は君の魂の管理者だ。その僕に『女神様』は言った。
君が死んだら可能な限り蘇生してくれってね。何で君なのかは知らないけど、必要な対価を貰う予定だし、僕が知る由は無いんだけどね」
「つまりお前は俺が死んだら可能な限りは蘇生させるって認識でいいのか?」
「あぁ、それで大丈夫だよ。ま、僕が蘇生してくれるからって怠慢はやめる事だね。僕がその気になれば君の命――魂を奪える。それを頭の隅に置いといて欲しい。決して僕が君の仲間だとは限らないんだからね」
猫は俺の質問に対し、首を縦に動かして頷いた。
猫の視線は何とも言えないが、まるで俺を試す……まるで実験動物を観察しているかのように、ずっと見ている。
その猫の態度が俺には不思議でたまらない。
死神と言うのはこんな感じなのだろうか。
取り敢えずこの猫――死神は俺の味方では無い、と覚えておけばいいだろう。
そんな中、猫は腕に巻き付いている、黒く塗られた時計のような物を見、口を開いた。
「もう手続きは終わったみたいだよ。僕は今から君を蘇生させる。生き返った時は前回亡くなった場所からのスタートで、時間は君の脅威が去った時に蘇生する。……今の説明で大丈夫かい?」
猫は手のひらに本を出現させ、ペラペラと勝手に捲られる。
それが止んだ時、猫は詠唱し出す。
俺は猫の言葉に対し、コクリと頷く。
俺の足元には魔方陣が描かれ、それはグルグルと回り始めた。
次第に回転の速度は速くなり、風が猫の毛並みを揺らす。
「君はこの困難を乗り越えられるかな?」
死神はそう俺に囁いて、魔法を発動させるのだった――
眼を見開くと広がる景色は俺が喰われた場所とは違い、草原こそあるにはあるのだが。
俺の眼中に映って居たのは、中央部に高い時計台があり、家々が立ち並んでいる集落だった。
そこだけが、俺が喰われた場所と違う。
俺はその集落を目指し、足を向かわせる。
歩き続けて段々とわかってくるのだが、街全体は中世ヨーロッパそのもので小さくだが大勢の人が歩いているのもわかった。
それなにりは栄えている、そんな風にも見て取れた。
そして着いた……と思ったのだが。
「よぉそこの兄ちゃんよぉ。一体どんな目的でここへ来たんだ?」
日光を反射させ、キラキラと眩しく煌めく銀の鎧を着、兜と剣に盾を装備した、勇ましく筋肉質の男二人がいた。
恐らく見張りや門番、そこら辺だろう。
「いやあ俺は迷子でしてね、ここで宿なんかあればと思いまして……」
「出産番号書と国籍書を提示しろ。それでお前の身元確認が取れればここを通す。言った通りに出来ないのであればここを通す訳にはいかない」
俺の目の前にズカズカと足音を立て、見下ろすようにもう一人の男が言う。
身長はざっと二メートルは越えているだろうか。
こんな奴とまともに戦っても俺は呆気なく死ぬだけ。
……ここは争いを起こさず素直に引くべきか。
「おお、それの事か。ちょっと待ってくれ。……あーすまん俺忘れてちまったんだった。すまんな男、俺は入れないみたいだ。それじゃあまた出逢えたら」
俺はポケットに手を突っ込んで、探している風に見せた。
そして下手ながらも演技をかまし、一応としてその場から走り去る事が出来た。
……まあこんなんで諦める男では無い。
俺が歩いていると突如として目の前に現れた男二人。
恐らく侵入者や接近している者を瞬時に感知し、テレポートか何かで駆け付けて来るのだろう。
なら気付かれないように入る方法はないだろうか。
それかいっその事本当に諦めるか?
と、俺が足を進めながら考え込んでいた時だった。
「やぁ、元気にしてるかい?」
――そいつは頭に猫耳を生やし、緑色のコート、マフラー、手袋、耳当て。
それに加えて茶色のスカートを着ており、足首にモフモフの綿が付いているブーツを履いていた。
その喋り方、声。
「お前は……」
さっきの猫――と喉まで言葉が上ったがそれを遮った死神は、
「君と別れたばかりだけど再び僕の登場さ。自遅れたと思うけど、僕――死神の自己紹介をしよう。名前はクルス、好きな食べ物は特別な魂。性別は……死神だからそんな物は無いね。それで、君の自己紹介は?」
少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべながら自己紹介をする。
死神は名前を言うときにはスカートの袖を両手で上げて、頭を下げたりする等、妙に人間臭い。
死神は人間の事をよく知っていたりするんだろうか。
一応『俺?』と聞き返すと死神はコクリと頷く。
次の自己紹介は俺の番だ。
「俺の名前は曳汰。あまり頭を使うことの出来ないそんな感じだ。好きな食べ物はたこ焼きで、性別はご覧の通り男だ」
「まあ君の事は色々と知ってるけどね。……まぁ自己紹介から話を逸らすとしよう。何で僕が現れたか……わかるかい?」
「そんなのわかる訳が無いだろ」
毎度毎度何故こいつはこうも面倒な質問を振り掛けて来る?
俺は心で思ったままの言葉を口にした。
死神は俺の反応が意外だったのか、『ふぅーん』と鼻を鳴らせ、
「これ以上君に聞いても無駄みたいだね。僕がここに現れた最大の理由」
死神は俺へ身体を段々と近付け、お互い恥ずかしくなるような至近距離で。
「君の手助け、をさせに貰いに来たんだ。僕はこう見えても世界屈指のレベルを誇る死神だ。そんな僕が君の為に、しかも何の対価も無しで友をしてくれると言うんだよ。……いい話だと思わないかい?」
コイツらしい俺を試すように、また笑った。
俺はその言葉を聞き、思わず固唾を飲み込む。
やはりコイツは猫だろうが人間に姿を変えようが死神は死神だ。
コイツがその気になれば俺の魂を容易く奪う事が出来る。
それに加えてこの死神は世界最高峰レベルの死神らしい。
俺が幾ら強くなろうが抵抗するのは不可能と言ったところだろう。
「まぁそんなに僕を警戒しないでいいよ。さっきも言ったけど僕は君の同意無しで魂を奪ったりしないから」
俺が足を退いていたのに気が付いたのか、手を動かしながら俺に一歩近付く。
「なんかそれがイチマチ信用出来ないんだよ」
俺は一歩下がり、警戒を更に強くする。まあ、警戒しようがしまいが襲われたらそこで俺は終了なのだが。
「そんな事を言われても僕は何も出来ないよ。そんなに僕の事が信用ならないかい? 君に何か酷い思いをさせた覚えはないんだけどね」
……顔を見る限り嘘、とは思えない。
それだけの情報で真だと判断するのは危険だと思うが、少しだけ、本当に少しだけ信用してしまいそうになる。
「……話が変わるが、お前は俺に何の手助けをする為に来たんだ?」
「別にそんなの決まってないよ。君が困っているなら僕が協力出来る範囲なら助ける、それだけの事。なんだい、僕が役に立たないとでも?」
「いやそんな事は無いんだが……。ほら、俺にとって死神とか言うのに逢うのは人生初体験なんだよ。それで、ちょっとお前に対して疑心暗鬼と言うか……疑い深いくなってるんだ」
死神は『ふぅん』と鼻を鳴らし、口を動かす。
「まぁそれなら無理は無いだろうね。取り敢えず言いたかった事は、僕は君の手助けをさせて貰う、それだけだよ。それで、今猫の手も借りたい状況なんでしょ?」
「……あぁ、今俺はこの街に入りたいんだが、警備が頑丈で入れないんだ。強行突破も出来そうにないし、正式に入ろうと試そうにも無理だった。故に俺は今お前の助けが欲しいって訳なんだが……。どうだ、やってくれるか?」
俺の言葉に対し、死神は右腕を一回転させ、『任されたよ』と言って手の平を俺に向ける。
死神は眼を瞑り、全身の意識を魔力に全集中させ、魔法発動の過程を進める。
俺は息を呑み、それが発動されし時を待つ。
何の魔法が使われるか俺にはわからない。だが、俺を助けてくると言うのは確かな事だ。
別に危ない事など一ミリも無い筈で――
「死神後ろだ!」
思わず大声を荒立て、そう口走った。
死神の背後に、長い刃を両手にそれを降りかざそうとする、全身真っ黒な衣服で身を包んだ奴が見えた。
俺の声に反応した死神は瞬時に魔法使い、俺の隣へとワープする。
目標が消え、刃を空ぶった人間――否、狼のような奴は。
息を荒げ、俺らを正面に捉える、人狼がそこにはいた。
「僕にそんな真似は効かない。なぁ、君が一番知ってるだろ? ――ラリヤ」
俺の隣へと来た死神は、目の前に立つ真っ黒の服で身を包み、手すらも服を被りさせ、顔はフードで視線から遮断している。
だが服からはみ出る毛が生えた尻尾に加え、フードから出っ張る狼のような鼻。
それで人狼だと認識した死神は俺の心中にそれを伝えた。
俺は得体の知らない者を前にし、思わず後退りする。
何をされるのか、何をするのか。何一つわからない物に俺はただただ恐怖を覚える事しか出来ない。
「……私達がこうして話すのは百年振りでしょうか。ちっとも貴方はお変わりなされていない」
「君もその卑怯さはちっとも変わってないね。僕が天界からちょっと降りてみればこの様だ。……もうその恨みは止めにしないかい? 僕を相手に戦ったところで、君の敗北は確定事項になるんだから」
死神の言葉に人狼はクッと唇を噛み締めて、
「とてもお冗談が上手になられた様で。……どうされますか? 私と、久し振りの戦い、致しましょうか」
無理矢理口角を上げ、苦笑した。
人狼の表情は隠れていて見れないが、確かに憤怒、憂鬱、憎しみ……様々な感情を沸かせているのが伝わってくる。
それをぶつける為に戦いを求めている、そんなふうにも見えた。
「君も冗談過ぎるなぁ。今ここで僕達が戦ったら近いの街はどうなる? ――ここ周辺は焼き野原になって、何もかもが潰える。僕は死神だけど、想像されがちな鬼のような心は持ってないよ。……故に、僕は挑戦状を受け取らない。またその時が来たら、僕は全力で君を討とうじゃないか」
人狼は眉間に皺を寄せ、外から見られる事は無いが、表情に不満を露にする。
あぁ、久し振りに師匠と戦いたかった、思わず心からそんな声が漏れた。
熱く燃え、やる気に満ちたあの日々。
眼を瞑り、思い返していると自然に口角が上がって笑みが浮かんだ。
今は死神にこそなってしまったが、師匠は師匠に変わりはない。
私は姿こそ変わってしまった師匠だが、まだまだ尊敬し、憧れの存在のままだ。
そして特別の何の日でもない、平凡の日に舞い降りてきた師匠。
何故下りて来たのかはわからないが、隣にいる少年の事でと言うのは間違い無いだろう。
私は数百年振りの顔合わせに感動、そして期待を覚えた。
師匠には散々教わって来たのだが、戦った試しが一度も無い。
私はその時が来るのを、とても待ち望んでいた。
師匠が姿を消してからも必死に練習を積み重ね、朝昼晩総ての日で練習をしなかった日は存在しない。
いつか越えてやる、そう意気込んでする事数百年。
その機会は訪れた――否、師匠は死神となってから私に一度も顔を合わせて来ず、勿論剣を交わす時なんて訪れる筈も無かった。
そんな師匠が、今、この時。
――私の目と鼻の先にいるではないか。
こんな絶好の機会を逃してたまるものか。
私は剣を片手に師匠へとゆっくり近付く。
魔法を自らにかけ、フードで顔を覆っていても視界は保証されており、困る事無く前に進む。
「何をする気? まさか僕が拒否してでもする気なのかい?」
「――」
問い掛けられても尚、無言を貫き通す。
会話に集中を割いている場合では無い。今は全身の力を一本の剣に込め、そこに集中さえも注ぎ込むのだ。
とてもじゃ無いが、受け答え出来る余裕は私には無かった。
「――君は愚か者だ」
剣の射程に入ると同時にそれを降りかざし、見事命中――の筈だった。
……無い、師匠の姿が痕跡を残さず消えていた。
まるで元々無かったかのように。
唯一残したのは、剣を振ってから耳に届いた、『君は愚か者だ』この言葉だけだった。
急に今まで映っていた景色が一変し、辺りは家が立ち並び、屋台に人が集まり賑わいを見せる。
行き交う人々……いや、人では無い奴もいた。
そんな中、呆然と立ち尽くしていた俺の頬に、柔らかな感触がした。
振り向いて見てみれば、指を俺の頬に当てていたのは死神――ロキだ。
「そんなにボーとしてどうしたのさ。唐突にテレポートされたらやっぱそんな反応になるのかなぁ」
顎に手をやり、嘸不思議な表情をするロキ。そんなロキに俺はただただ呆然とするしか無い。
「テレポートを俺はされたのか? したんならここは何処の街だ?」
「ここはフロンティア。この国における西部の中核都市とでも言おうかな。見ての通り、栄えている街だね」
俺と同じような人間もいれば、蜥蜴を無理矢理擬人化させたような奴もいる。
大勢の人が行き交うこの街に俺はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「そんな顔してどうするのさ? 錯角初めて街らしい街に来たんだから散策でもすればいいんじゃないの?」
俺はロキの言葉を聞き、少し間をあけて、
「……そうしてみるよ。それで何か発見があるかも知れないしな」
足を前に出しながら俺は返事を返す。その後ろをロキは何食わぬ表情で俺の背を視界に歩いた。
ここは繁華街でもあるか、中世ヨーロッパの街並みと考えれば高い建物が並んでいる。
狭い道には屋台が開かれ、大通りには立派な装飾が施された建物が賑わいを見せていた。……流石は西部の中核都市、と言ったところだ。
そして。
「……で、俺これからどうすればいいんだよ? こうやって疲れる位は歩き回ったぞ」
俺は路地裏に入り、捨ててある木の椅子へ身を委ね、俺を見つめるロキと話していた。
「さぁ? どうすればいいんだ、なんてそんなの自分で考えるべきだね。僕は君の手助けをするとは言ったけど、そこまでてあつくはしない」
僕はそう言い放った。……何で女神様はこんな奴を選んだんだろう?
こんな序盤で転けている奴が世界を救うなんて、出来っこない筈だ。
それとも、まだ僕の見る目がないんだろうか。……まだ様子見、としておこうかな。
「俺は未だにこの国の事があまりわからない。なぁ、教えてくれるか?」
「……無理だね。そんなもの、自分で聞き回ったり何やらすれば良いんじゃないの? 僕は手助けをするとは言ったけど――」
と、ロキが喋っているのを遮る形で。
「それから先は俺もわかってるよ。そんなにお前がケチなら俺は一人で情報収集としてくる。あ、俺が命の危機になったら宜しくな」
俺は椅子から身体をヒョイと立たせ、路地裏から通りへと出る。
俺の後ろからロキは『頑張ることだね』そう言葉を放った。
俺はそんなロキの声を聞きながら一歩足を踏み出した――その時。
後頭部に凄まじい衝撃を感じた。刹那、物凄い音の耳鳴りが頭を占領する。
「大丈夫!?」
微かにロキの声が聞こえた気がした。
だが、俺の身体は地面へと倒れ、動かなくなる。
『大丈夫なの?』『おい、誰かあれを呼べ!』等と焦りを伴った人々の声も行き交っている。俺は助かる、そう安心したのだが。
その考えは一瞬の声、感触で消え去った。
「「「「「キャァッー!」」」」」
意識が定まらない俺ですら煩く感じる声が耳へと入った。……男女関係無く、叫んでいた。
ブシャッ、そんな気持ちの悪い音がしたと思えば、視界が一気に赤、赤、赤、赤……と一色に染まる。
恐らく、血が目の中に入ったのだろう。
目線を上げれば目の前には人が倒れ、ビクビクと痙攣していた。
――何が、起きた。――この少ない時間で一体、何が。
わからない、わからない、わからない、わからない、わからない。
「アアアアアアアアアアアアッッ」
気が付けば恐怖と痛みで俺は、叫び声をあげていた。何が、何が何が何が何が何が何が何が何が。
ブシャ、また生温い液体が頭、顔、背中、足とかかった。――また、誰かが傷を負ったのだ。
「ああっ……ああああ……」
喉が枯れ果て、叫ぶ事すら満足に出来ない。怖い、恐ろしい。
そんな中、俺は頭部に激痛を感じ――
クラッシュト。
真っ暗な視界から解放され、ふと周りの景色が見えてくる。
それと同時に背中に固い感触、手足の不自由も感じた。……そしてコンクリートで囲まれた薄暗い部屋。
横を振り向けば血を流して目を瞑っている男、女、子供までもいた。
俺は後頭部に手をやってみると、手にはベトッと、赤黒く、ベトベトした真っ赤な血が絡まる。
俺は血の付いた手を見ながら、推理をする。
俺自身の状況、それに加えて周りからの状況を見る限り、恐らく俺らは監禁されている。
それはコンクリートで囲まれた、外部からの情報を完全にシャットアウト出来るであろう空間で、だ。
手足も縄で縛られ、脱出するなど不可能に近いだろう。
……それなら、まずは。
「おい、誰か居ないのか?」
応答出来る程の意識がある奴の確認に加え、俺らをここまでにした本人がいるかの確認もあった。
俺が発した声に反応は……。
「やっと一人目が起きたか」
梯子を伝ってこっちに下りて来る、一人の男がそう答える。
「お前が俺らをここに連れて来たのか? しかも何だよ、手に凶器なんて持ってよ。てかここにそんな武器あるのか」
男の手には片方に包丁を、もう片方には俺がいた世界で言う、『拳銃』を持っていた。
魔法とか使える世界のイメージだと、こんな現代兵器があるなんて思いもしなかったのだが。
今目の前にそれを持っている奴がいると言うことは、あるって事だ。
「ああ、俺がお前らをここまで連れてきた。……だがな、勘違いしないでくれ。俺は決してお前らを無差別に傷付ける為にここまで来させたんじゃない。俺はあの女に用があるんだ」
男はそう言って俺の隣にいる女を指差した。その女は純白の服を着、あろう事か宝石の様に輝く物が埋め込まれた記章が、両肩に三つ、左胸に二つある。
まるで、軍の上層部のようだった。
貴族の娘と言わんばかりの服装だ。
だが、そんな女に何の用があると言うんだろうか。
巻き込まれた俺らはどうなる。
「それで、俺らはこれからどうなるんだ? 勿論簡単に解放されるとは思っていないがあんまり痛め付けられるのは無理だ」
「だからさっきも言っただろ? 無差別に痛めつけるつもりで連れて来た訳では無いと。だからあんまり酷くする訳じゃ無いんだが……。生憎と、ここにいるお前を含む連中は、俺の反抗現場……この女を俺が連れ去ろうとしていたところにいた奴等だ。しかも俺に暴行を加えられ、閉じ込められている状況。なぁ、わからないか? ……ここまで来たんだから、生きて帰らせる訳にはいかねぇよなぁ?」
男は狂気に満ち足りた目をし、唇を舐めた。拳銃を右手に俺に銃口を向ける。
「なぁに、一瞬で終わらせてやる。先ずは意識が早く目覚めたお前からだ。死体の山を見らずに済むなんて、お前は恵まれた奴だ」
「俺を殺したところで、何になる」
「はぁ? お前頭がやられたのか?」
男は俺の言葉に呆気に取られたのか、銃口を下に向け、続けた。
「だからお前は俺の顔を知っていて、この犯行の内容ほぼ総てを知っている人間だ。そんな奴を生かして返す訳が無いだろ? だから俺はお前を殺す」
男は銃口を俺の頭に標準を合わせ、引き金に指をやる。
片目を瞑り、姿勢を変えぬまま俺へゆっくり忍び足で近付く。
この状況を見れば俺は完全に絶体絶命の場面で、死ぬか生きるかの崖っぷちに立っている。
普通の人間ならば恐怖に染まり、震えあがる。そう、これが普通の場合だ。
だが生憎と俺は普通では無い。死んだとしても、俺は生き返る事が出来る。
何故ならば、俺を転生させた人物が、俺と言う存在が消えるのを望んでいないから。
それ故に俺は平然とこの場で立つことが出来る。
「お前、変な奴だな」
「普通の奴から見ればそうなんだろうな」
男はその鉛の入った武器を俺の頭に付けて、そう言った。
俺はそんな状況下でも犯人の目を睨み、見続ける。
「それがお前の作戦だな? 残念ながら俺は何人の命を殺めてきた者だ。そんな奴で俺がこの手を止めるとでも?」
「ハズレだ。残念ながら俺はそんな事は微塵も思っていない。別にお前が俺を殺したいならさっさと殺せばいい」
俺はそう言葉を放ち、笑みを浮かべた。
そんな俺が気に喰わないのか男は『覚悟しとけよ』と言葉を吐いて。
……その引き金を、男は引いたのだった。
知らない景色だ。
意識が覚醒し、周りを見渡してみると純白だけが広がる殺風景な空間が広っているだけだった。
その瞬間、俺は理解する。
……俺は男に撃たれ、死んだのだと。
ならば現れるのはあの猫か。
何て呑気に俺は考えていた時、見知らぬ声が俺の耳に入った。
「……貴方は、死んでしまいました」
聞いたことの無い可愛いげのある女の声が響き渡る。
聞いているだけで心が癒され、安心のある声だ。……それは総てを愛で包み込み、理解がある神のようで。
「あぁ、そんなのわかってる。それで、ここは何処なんだ?」
「私の世界、とでも言っておきましょうか」
姿は見えない。どこからその声が発せられているか。
それすらも分からない物に俺は質問をしたのだが……。
それには意味のわからない返答が帰ってきた。
「それで俺は蘇生出来るのか? 俺、さっさと戻りたいんだ」
「えぇ、出来ますよ。……まぁ、この力をあまり過信し過ぎない様に気を付けるべきですが」
「……それはどう言う意味だ」
確か俺が蘇生すると脅威が去った時から復活すると言う感じだった筈だ。
もしこれが本当だとすれば、かなりのチートと言える。
何故ならば、蘇生を上手く使えれば俺は『最強』になれる可能性があるから。
ただ、その事に『確信し過ぎない様に』と言っている。
……それは何故か。何か制限でもあると言うのだろうか。
「まだ言わない方が面白いと思いますからまだ私は言いません。まぁ、その時が来たら言いますが。腐っても貴方は私のお気に入りなので酷い事はしませんよ」
「だからそれはどう言う意味だって言ってるんだ」
「どう言う意味とかありません。そのまんまの意味です」
「……こんまま話していても訳がわかんねぇ。もう良いからさっさと蘇生してくれ」
俺は得体の知れぬ奴と話すのにも退屈し、少しイライラして来る。
「まぁ、良いでしょう。ただ、死を甘く見すぎない様にしてくださいね」
そう優しい声が俺にかけられた刹那、視界が真っ白に一変した。
俺は静かに瞼を閉じ、その時を待つ。
そして。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目が覚めれば俺は知らない部屋にいた。
目の前に居るのは豪勢な椅子に身を委ね、余裕のある目付きで俺を見つめる女。
その周りに立っているのは筋肉質の男数名。
そして俺の目の前から紅いカーペットが敷かれており、それは豪勢な椅子に座る女へと続いていた。
周りは金、金、金、金……総てが金色に満ち溢れている。
白い壁にあるのは如何にも高級品な絵画が貼り付けられ、それに加えてオレンジ色の光を出す灯火が、壁に掛けられている。
「どうしたんですか? 英雄殿」
「――え?」
良い具合に白髭を生やした爺が俺にそう問い掛けた。
コイツは今俺の事を『英雄』と呼んだ。……ちょっと何言ってるかわかんんない。
俺が何をしたって言うんだろうか。
「いや、そのちょっと疲れてるみたいでな……。俺、何したんだっけ」
「いやはや、そんな謙遜する事は一切ございません。貴方の功績は立派な物で、まさしく次代の王に相応しい者です。その様な御方が何故謙遜なさる」
「……なぁ、休ませてくれないか? 今立つのすらキツいんだ」
俺は手を額にやり、わざと身体のバランスを崩させ、如何にも体調が悪い様演技する。
そんな俺に寄って来たのはさっきの爺だ。
俺の身体を支え、
「体調が優れないのでありましたら早急に部屋を確保して参りますので少しばかりお待ちください」
「……あぁ、出来る限り急いでくれ」
「私なりに最善を尽くしていきます」
俺はその後二十畳以上の広さを誇る部屋へと案内された。
部屋にはキラリやかなアクセサリー、三角形の出窓には観葉植物が置かれている。
床は紅いカーペットで埋められており、何とも言い難い高級感を感じる。
そして俺は休憩用のベッドへと案内されるのだが……。
「……これ、本当に俺一人用なのか?」
「左様でございます。このベッドを作るに当たって総てに拘って作られております。原料、生産過程、心地好さ等数え切れない程です。そんな苦労が詰まったこのベッドを是非ご堪能くださいませ」
そう言い終えた白い髭を生やした爺……以降、白爺と呼ばせて貰う白爺はそのまま部屋を静かに出た。
何もする事が無くなった俺はベッドに目線をやり、その『高級』を目に焼き付けようとしたのだが。
これ、完全に一人用じゃ無いよな。
ベッドの枕元には立派な如何にもモフモフしてそうな枕が二つある。
一人用でメガサイズの枕を二つ使う奴がどこに居ると言うのか。
と、そんな軽い事を考えていれば。
「お邪魔する」
ノックがされた後、そう声が部屋を伝った。
振り向いて見ると、そこには女の姿。
両肩近くに宝石の様な煌めく物が埋められた記章を付けてある、貴族らしい女だ。
俺を前回殺した犯人が求めていた女。
そんな奴が一体俺に何の用だろうか。
その女は俺のベッドに尻を付かせ、
「……貴様、私が誰だかわかってないな?」
唐突にそんな事を口に出した。
俺は転移してまだ間もない身だ。この世界の有名人何て一人として知っちゃいない。
「残念ながらわからないな。で、お前は一体誰だ? 見た目からして身分の高い奴だとはわかるが……」
俺は目を凝らして女を見つめながら言葉を発した。
俺の反応に対し女は深い溜め息を吐き、首に掛けてあった一つのペンダントを手に持ち俺の前に差し出す。
「……まだ、わからないのか?」
「あぁ、さっぱりだ。と言うかただのアクセサリーを出されただけでわかる訳が無いだろ。もっと分かり易い奴を出してくれよ」
「やれやれだ。無知と言う程怖い奴は無いと改めて学ばされた。今の言動は貴様の功績が無ければ重罪だったぞ」
そう女は深い溜め息を吐き、落胆する。
俺はそんな女を横目に頭をフル回転させ、記憶を蘇えさせようとしていた。
……だが、どうしてもポッかりと空いた記憶のドーナツホールは埋まる事は無い。
目覚めてからどうも俺の事を称える人間が多かった。
今思い出してみれば廊下を歩き、すれ違う度に頭を深々と下げられる。
その時は若干のパニック状態。あまり意識はしなかったがこうして考えて見ると俺は何か物凄い事をしたに違い無いだろう。
……それなら、俺は何をした。
「ハハ、それは怖いな」
俺は開口一番にそう笑い飛ばし、再び息をし呼吸を整える。
それから俺は真面目な表情で言う。
「なぁ、俺って何をしたんだ?」
「……はぁぁぁ?」
隣に座る女……如何にも貴女と思える奴は俺の言葉に対して、すっ頓狂な言葉を漏らすのだった。
「何もそんなに大きな声出さなくても良いだろ。で、俺は何をしたんだ?」
「この邸には腕利きのいい医者が常駐してるから見に行って貰った方が良いぞ。なんなら私が今からでも呼んでこようか」
そう言って女は俺の眼をまじまじと見つめる。……それはまるで俺の中を透かして見ている様だった。
そんな女の態度に対し、俺は困惑して居たがそれも束の間。衝撃的な言葉が放たれたのである。
「貴様の頭を見てみたが、どうやら嘘は吐いてない様だな。それなら尚更医者に見て貰うべきだと私は思うのだが」
「いや怪我とかそう言うのじゃ無いと思うから心配は無用だ。それよりも早く俺の質問に答えてくれ。再度言わせて貰うが、俺は何をしたんだっけ?」
と、口を動かし終えた俺に再びじっと目線をしばらく向け続けた後。
女は深い溜め息を吐いて、一つ一つ絵本を読み聞かせるかの様に言葉を紡ぎ始めるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「へぇ、お前にもそんな事があったんだな」
「そうだ。こんなのじゃ貴様だって一回位はしてしまうもんだろう? その一回がこの結果を招いた訳だ」
この女が話した内容を説明したいと思う。
先ずこの女は地位も名誉、知名度も高い奴だった。その故、一般人とは違い、そいつの命等を狙う連中も出てくる。
襲われるのを防ぐ為、本来であれば周囲にガードマンを配置し、安全を確保していたと言う。
だがそれは軽い外出であっても何十人もの人を動かす必要があり、少々面倒だった。
産まれてからずっとそれを続けて居れば気が緩む事だってある筈だ。
あの日あの女はただの散歩に出ていた。それも秘密にだ。
最低限マスクをするなどし、顔を隠していたと言うが執念深い奴はとことんしつこいものであり、そのたった一回の外出を狙わたのである。
最初はこの女だけを連れ去る予定で、俺らは監禁される予定など一切犯人には無かったらしい。
本来であればあの女だけで十分だったがどうやら犯人のテレポート先が俺がいた比較的人通りの多い道だった。
それで現場近くにいた俺らは一緒に地下室へとテレポートされた訳である。
この女は一応能力を持っている様だが、生憎と監禁場所には重い何重物結界が張られており、使おうにも使えなかったという事。
……そんな絶望的な状況下で俺は急に何かを喋り出したかと思えば視界が一瞬にして暗闇に包まれ、それが解けた頃には犯人は悲惨な姿で横たわっていたらしい。
一方で俺も意識不明で倒れて今に至ると言うのだ。
「まぁ話はわかったよ。それで、俺は何をしている最中だったんだ?」
『私の世界』と言われる処からこの世界へ戻って来てみれば、俺は豪勢な邸の中へ居て、それも何百名もの人が入る様なだだっ広い空間の中で俺は一人のじいさんから『英雄』と評された。
何が何でこうなったのか知る由も無い俺は状況の整理が追い付かず、途中退場して今ここに至る。
あれが結局何だったのか、俺はまだ知っていない。
「式典の事か。あれはこの国を統治する女――私こと女王を救った貴様を賞するものだ。それで貴様が座っている私の前に膝を付き、賞を受け取る予定だったんだがな、貴様が急にあんな事を言うから今こうやって中断している。式典の終盤に突然の記憶喪失とか本当に迷惑以外の何物でも無いぞ」
「記憶喪失に関しては仕方が無いだろ。俺だって必死に記憶を辿ったんだよ。だけどな、頑張っても記憶の穴なんて、簡単に埋まりゃしないんだ。理解してくれ」
そう俺が言うと女――女王は深く溜め息を再び吐き、お前と言う奴は……と肩を落とす。
そんな事を言われましても、と言うのが俺の内心だ。
……表情では表して居ないが、結構俺は驚いていた。だって国のトップ、女王を救ったんだぜ。
こんな事をして驚かない奴がどこに居るだろうか。
そんな事を考えていると急にソワソワして来る。
もしかすると女王の命の恩人としてこの異世界ライフがイージモードに変わったり、あわよくば遊んで一緒を全うする事が出来たり?
はたまた物凄い英雄扱いされ、色んな人からチヤホヤされる日々が待っていて、女王と結婚――!?
と、そんな気持ち悪い空想を思い浮かんで楽しんで居れば。
「どうしたんだ貴様。鼻の下が伸びていて、良く無いように見える。妄想は人の勝手だが、私の前でそんな卑しい事をするのはやめろ」
女王様は如何わしい目付きで俺をまじまじと見る。
「いやいやそれは誤解だ。卑しい妄想じゃ無いと言えば嘘になるが、ちょっと違う気もする」
「何だ、して居たのなら言い訳したって変わりはしないぞ」
と、そんな感じの会話を交わす俺らだったがそれは唐突に現れた。
それもう、本当に唐突と出現し、姿を露にした。
あの後、少しながらも打ち砕けた俺ら二人は好きな物の話などと言った他愛もない話を展開していた時。
その高級感溢れ、重厚感のある重い扉が慌ただしく開放される。
そこから顔を出した一人の男が、大きく口を広げて声を荒げた。
「ソフィア女王様、魔竜が突如としてセルビア郊外に出現しました! 現在魔竜はこちらの方角へ進行しております! 大至急Aクラスへお集まりを!」
その男は酷く焦っており、それが言葉と雰囲気で俺らにまで伝わって来る。
俺の隣に座る貴女は急いで身体を立たせ、『付いてこい』と一言発す。
異常事態とも言えるこの空気に俺は多少のワクワクと言う気持ちが芽生えていた。
扉を走って通り抜け、廊下へ出る。
そこに繰り広げられていた物は緊迫と言う言葉が一番当てはまるその物だ。
様々な人が行き交い、慌ただしく会話をし、また何処かへと足を向かわせる。
中にはガッチガチに装備を着、剣を腰に構える奴もいた。そんな重そうな奴等でさえ、顔を引き攣らせて走っていた。
しばらく邸をグルグルと走り回り、息が荒くなる頃。
『A』と書かれた一枚目の扉を開け、一歩踏み入れてみれば。
そこには異世界ではあまり見らぬドレス姿の女、今で言うスーツの様な固く苦しい服を着こなす男達が顔を並ばせている。
慌ただしい外の空気とは打って変わって静かな雰囲気が漂う。だがそこには『緊張』が走っていた。
女王と呼ばれるさっきまで俺の隣にいた女は長方形の形をした机の端に身体を置いた。席がそこ以外埋まっていたからだ。
総て席が埋まっている為座れぬ俺は取り敢えずその場で立つことにした。
こんな雰囲気だ、誰も俺に気付く訳が無いだろうと言った作戦である。
「……何故今更封印が解かれたのか、誰か一体何者が解いたのか一切不明である。我々は今から国民の命を保護する為、今後の際策を議論し、その間に自衛軍は即応態勢へ移行する様命令を行う。以上、これより議論関係発声を許可する。尚、今まで以上に私語は慎む様に」
ある男が皆の目の前に立ち、そう言葉を放った。その瞬間、一斉に声が部屋に響き始める。
『先ずは国民の避難を』『国民全員を避難させるのは現実的で無い。そうする地下シェルターも足りない』『まだ偵察情報も入電してはいない。避難は早すぎるのではないか』
等とそんな議論があちこちでされている。皆が皆バラバラで、全く纏まって居ない。
こんなで国民を救えるとでも――
気が付けば俺は目の前に立って、視線を集めた後、それも大声で。
「お前らちゃんと話せよ! 纏まって話さねぇとちゃんと意見が出る訳が無いだろうが!」
我ながらやってしまった、そんな一言に尽きる。
気付かれぬ様にして居たのに、その行動を一瞬にして崩れさせてしまった。
議会の場を刹那として乱した俺は、もう刑罰どころでは無いだろう。
――命、が危ない。そう本能が告げている。
「貴様、何故その様な真似を……」
俺にまず最初に声を掛けたのは、女王だ。……俺をここまで連れて来た犯人。
その眼は震え、何かを恐れていた。
……だが、もう遅い。それならこのまま突っ走って――
「貴様は誰だ! もしや侵入者なのか!?」
そんな声が俺の耳に入った頃には身動きは取れず。
後ろすら向けない。どうやら俺は捕らえられているみたいだ。
クソ、こんなところで敗けたら俺が成り立たねぇ。敗けんな、俺。
自分に言い聞かせ、全力で力を込めるが一行に解ける様子は無い。
何せ相手は地位も名誉の高い奴等。少なくとも、俺みたいな一般人には足元にも及ばない力を有している。
こんな俺が、太刀打ち出来る訳が無いのだ。
と、俺は身動すら取れずもう諦めようと力を抜いたその時。
女王が口を開き、言葉を発した。
「私からの命令だ。そいつを放せ」
その一声で俺を取り囲んでいた奴はピタリと動きを止める。
俺を縛っていた奴等もそれを止め、俺はある程度の身動きが出来る状態になった。
「しかし女王様、こいつは何をしでかすかわかりません。第一、私達はこの者がどんな存在なのかもわかりません。そんな者を野放しにするのは余りにも危険な行為だと」
「何だ、貴様らはまだ知らなかったのか。まぁ、あの式典は秘密裏で行われていたんだ、知らなくても仕方無いか。言っておくが、その男は私の命の恩人だ。手を出したらただで済むと思うな。……だが貴様、議会の場を乱すのは好ましく思わない。この危機が終われば罪を償って貰う。貴様ら、さっさと続きの話をしろ。時間は無い」
女王が言い終えた瞬間、『はっ』と威勢の良い声が一斉に響き渡った。
次の瞬間、辺りにまたざわざわとした会話が至る処で発生する。
そんな状況に俺はただ呆然とするしか無く、眼が泳いでいた俺に、
「貴様に頼みたい事がある。相当重大な事を、だ」
女王は隣に立っては、そう話しかけた。
俺は一度溜め息を吐いてから、重い唇を動かす。
「……こんな俺にでも出来る事か?」
「当たり前だ。と言うか貴様は自分を下に見過ぎじゃないのか? あの時は私を救ってみせただろう。何でそんな不安そうな顔をしている」
と、俺はそんな事を言われながらも、不安を隠すことはしない。
否、隠すのが不可能な位俺は不安で頭が占領されているのだ。
「で、俺にしか出来ない奴って何なんだ? 命に関わりそうな奴は止めてくれよ」
「だから何故そこまで不安そうな顔をする。男らしく無いな」
そう女王は言葉を溢し、溜め息を吐いて肩を落とした。
「そんな奴今はいい。こうしている間にも脅威は刻一刻と迫ってきているんだ。時間が惜しい、早く要件を言ってくれ」
「貴様も時にはいい事を言うんだな。まぁいい、単刀直入に言うが、貴様には私事女王の護衛任務に就いて貰う。お前みたいな力があれば私は安心出来る」
「無理です」
俺は女王の言葉に対して即答する。
考えてもわかる事だ。こんな俺にそんな役目が務まるワケが無い。
女王を救ったのは俺の力じゃ無いわけで。
ここはこうして断るのが正解だろう。
「貴様が断ったところ申し訳無いんだが、もうお前が私を護衛すると言うのはもう決まっていたんだ。それを前提にして体制も組んでいる。すまないが、今更変えるとなると救えた命も救えなくなる。だから、私の事を後は頼んだぞ」
そう言い、女は俺の元を離れて何処かへ歩き出す。
俺はただただ呆然とするしか無かった。
一国を代表する女の王。それをこんな非力な俺が護衛を務めなければならない。
俺はそこら辺の武士より弱いに決まっているのに、今こうしてそいつらより重い事をする事となった。
もしこれで俺が失敗したら一体俺はどうなるんだろうか。
罪に問われ、地獄を味わうのか。それとも仕方が無いとされるのか。
いずれにせよ、周りからの評価は底辺へと崩壊する筈だ。
そんな事になれば俺はどこに助けを求めろと言うんだろう。
この異世界に頼れる人は今現在いない。
……こんな事ばかり考えても仕方が無い。
今はただ、俺に秘められた能力がその時発動するだとか、何もしてないけど成功したとか、そんなお気楽的な事を考えて気持ちを楽にさせるのが得策。
大丈夫だ、俺はきっと成功させて見せる。
そして超イージーな世界を生き延びるんだ。
と、そんな事を考えて居れば肩を誰かが叩く感覚が伝わった。
後ろを振り向いてみると、さっきの白髪が頭を占領し、程好い髭を生やした爺が何やら重厚な兜、鎧、剣を持っている。
「貴方様はこれを着て任務を遂行してください。私達は貴方様のご武運を心から願っております。私達を代表する、カロラーナ様をお守りください」
頭を深々と下げ、俺の前に装備一式を置く。
俺はそれを持ち上げようとしたのだが、これは中々の重さであり、俺は少しの間持ち上げる事が出来ても、上に上げる事など到底不可能な程の重さを有していた。
それから推測出来るのはこの装備の鉄壁の強さ、それとこの爺の若者を超越する筋力を持っていると言う事。
いやこの爺さん力有りすぎだろ。どう考えても老いた爺じゃ無い。
「……着方がわからないのでしょうか? もしそうなのであれば私がサポート致しますが」
「そ、そうなのか。いや何か記憶喪失か分からないんだが着方を忘れてしまったんだ。……すまないが、サポートを頼んだ」
「承知致しました。ではまず服を脱ぎます」
「分かった……は?」
俺の言葉に対して爺は首をかしげている。……いやいや、普通この状況を見れば察する事が出来ると思うんだが。
もしかしてこの爺、鈍感とかそう言う系なのだろうか。
だとしたらガチで面倒だ。マジで怠い。
俺のお着替えシーン何て需要無いのに何故大人数がいるこの場所で着替えなければいけないんだろう。
「なぁ、出来れば人目が無いところで着替えたいんだが……。もしかして出来ない的な感じなのか?」
俺は恐る恐る声を振るわせ、爺にそう聞く。
爺は特に表情を変えること無く、口を開いた。
「そうですが、何か不満でもおありでしょうか。今は時間が迫っております。そんな物を用意する時など無いのですよ。さぁ、早く脱いでください」
「わかったよ。脱げば良いんだろ脱げば」
俺は恥を心の奥底に捨て、服を脱ぎ身体を晒した。
出来る限り早く済ませたかったのだが、生憎と装備は物凄い重量だ。
それを着用するのには時間を要する。
つまり、この恥を晒す時間も必然的に増えたという事だ。
着替え終えた俺の心は空っぽだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
馬車に乗せられた俺と女王は対面する形で座っていた。
相手は貴女でもあり一国を代表する女。
まだそれだけならマシだが、今俺はこの女を身を捧げてまででも護衛しなければならない。
総ては魔竜と言う怪物の首を女王の手で落とす為に。
それで、そんな奴だと知ったからには緊張しない訳が無いって事である。
ただここは緊張を解いておかないと俺の精神が持たなくなる。
何か1つ、雑談でもしようと思い、俺は視線を外に向けた。
「そう言えばこの街って壁で囲まれてたんですね。この街をこうやって見るの初めて何で気が付きませんでした」
「タメ口だった貴様が急に敬語を使うと違和感があるな。貴様が敬語を口語するのを禁じる」
これには困惑する以外何も無い。
そうですか、と敬語を間違って言いながら苦笑する俺に女王は溜め息を吐いた。
「色々と貴様は不思議な奴だ。今こうして透視して見ても、何の力も感じられない。それなのに私を救い今こうしている。しかもこの街についても何も知らない、と言うかこの世界の仕組みの基礎すらままなって無い。嘘を吐いている様にも見えないし、貴様は本当に不思議な奴だ。それで、貴様の事をもっと知りたいんだが……。出身地は何処だ?」
「日本の首都、東京ってところだ」
「トウキョウとかニッポンとかそんな処は無い筈だが……。因みに言っておくが、世界に国は七つしか存在してないんだぞ? そんな国があるなら私はとっくに知っている筈だ」
「随分と自分の脳に自信があるみたいだな。お前の勉強不足なのを疑って見るとかしないんかよ」
「誰が私の勉強不足だと? 私は頭と力だけなら自信家でな。これからの魔竜との戦いも楽しみでならんな」
と、そんな他愛の無い会話を繰り広げていれば馬が足を止め、馬車が停車。
外に顔を出して周りを見渡して見るが、本当に点々と存在する民家がある位で目ぼしい物は何一つとして無い。
ならば何故、ここで停まる必要があったのか。
「ここで戦闘準備って事だ。それには貴様にも手伝って貰うぞ。何せ人手が足りないんだ、男の力を貸してくれ」
「まぁそれに関しては別に良いんだが……。戦闘準備って具体的に何を準備するんだ?」
俺は馬車から地に足を降ろした女を追いながら会話を続ける。
女はちょっと待っててくれ、そう言ってペースを上げて前へ進み出した。
前には馬車が円を描くように停車していて、その中心に装備を固めた兵士達が肩を並べている。
「皆、今から例の作戦準備を行う。総て十分以内に完了する様にしろ。そうしないと彼奴を迎え撃ちにする事が出来なくなる。……分かったら各自準備開始!」
「「「「ぉぉぉぉぉぉッ!」」」」
女王の言葉に続いて兵士達が地を揺らすかの様に、低く、そして威勢のある言葉を放つ。
四方八方に人が行き交い、見れば現代で言う大砲みたいな物が並び始めた。
それに加え、同じ服を纏った人達が一ヵ所に固まり、それまた同じ方角へと視線を送っている。
「あれが例の最後の砦って奴だ」
唐突に俺の隣で女王が喋り出した。
見てみると彼女は瞳を大きく開かせ、ある方向に目を凝らしている。
……そこから奴が来るのか、そう悟る。
晴れだった天気が一変し、太陽が隠れ始めた。
次に深い霧が物凄い速度で周りを多い、一切の視界が確保出来なくなる。
「まだ準備も終わってないぞ!?」
「何故だ……。まだ予想時刻じゃないじゃないか」
姿こそ見えないが、霧の向こう側からそんな焦りの声が伝わって来る。
それと同時に地面がドン、と一発鳴り響いた。
……まるで大地震が起こる前にある地鳴りの様だ。
ドン、ドン、ドン。一発一発地面が揺れ響く度に振動が大きくなって行く。
近づいている、と俺は息を飲む。
周りはやけに静かで、一体何時――
「アッアッアッアアアアアアアッッッッッ――!!」
思わずそんな叫び声をあげた。
視界が一回転、二回転、三回転する。
そして背中に強い衝撃が加わり、立とうと踏ん張ろうと痛みで立てない。
生暖かい感触がすると思って触って見れば、そこには大量の血。
何とか周りを見てみると。
そこにあるのは肉、赤、朱――
額から垂れて来た赤黒い液体が目に入り、視界が一気に悪くなった次の瞬間。
「いやアアアアッッッッアアアアッッッッッッ――」
俺の腹部から血が滝水の様に溢れ出るのを見た後で。
俺は、意識を失った。
意識が、目覚める。次の刹那、両手に掴まれている感触が伝わって来た。
決して優しく掴んでいる訳では無く、乱暴に強く握り締めている。
目を開けて見てみれば、眼中に映るのは俺の両股だ。
顔を上げようと首を何度か動かしてみたが、何らかの物で固定されていて上げられそうにもない。
俺の腹から大量の血が溢れ出た後から一体何が起こった。
「下を向いたまま話を聞け。今から貴様をこの国から永久追放する。貴様は女王を護るべき存在だったのにも関わらず、それを果たす事なく女王様に重症を負わせている。これはかなりの重罪だ。貴様はそうだな、七つある国の内、最も貧しく過酷な国……ベキニング王国にでもテレポートしてやる。精々苦労する事だ」
顔こそ見えないが、声からして男の奴は俺に淡々と言葉を告げる。
そうか、俺、女王を護衛しなければならないんだった。
あの女、俺の事をどう思っているんだろう。
と、こんな事態に至りながらも、どうでも良い事を思ってしまう自分。
……リラックスだ、リラックス。
俺ならどんな壁だって乗り越えられる、そう思わなくちゃ潰れてしまう。
俺は深く深呼吸し、息を整えて。
「……わかりました。ベキニング王国で罪を償って、そしてこんな事を犯してもそれを忘れさせる事が出来る様な、立派な人間になります」
反省文にでも書いたような台詞を口にした。……これは反省文でもあれば、誓いの言葉でもある。
「はぁ、貴様は何を言っている。貴様はもう、人間ではないでないか」
「……は?」
それはあまりにも唐突過ぎるのだった。
第二章 完