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稀人志篇 Rev  作者: Lynx097
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断章[First Sin]





 白。


 果てし無く白い、果ての無い空間だった。


 それは純白の廃墟。

 崩れ落ちた聖域。

 ありとあらゆる全ての往きつく先。


 万象の、成れの果てだった。



 そこには全てがあった。

 そこでは全てが壊れていた。


 海があった。残骸だった。

 空があった。残骸だった。

 地があった。残骸だった。


 森羅万象の遍く全てが、最後には光になるのだと。

 この世の終わりは光なのだと。


 全ての終わりを内包した光の世界だった。




 光の渦に半ばまで溶け込むようにして、荘厳な廃墟が浮かんでいる。玉座とその周辺だけが不本意に生き残ってしまったかのような、あるいは崩れ落ちることで完成された黄金律のような、芸術品の如き終末観。


 美しい廃墟の中で、黒と白の二つの存在が相対している。



「……待ち侘びた、という面だな」



 黒い片割れ。

 男は低い声で呟いた。

 闇を解かしたような黒い髪、熾火の如き緋色の眼光、鍛え上げられた屈強な体格を持つ黒装束の男だった。精悍な面立ちは凍りつくような声音と同じ無表情だ。年若く見えるが、堂々たる佇まいには一種異様なまでの風格があり、大樹の如き貫禄すら纏わせている。

 使い込まれ、擦り切れた黒いレザージャケットを纏った男は、その右手に歪な大剣を握っていた。男の長身に勝るとも劣らない長大な刃物だ。禍々しく、鋭利で、悪辣なシルエットの、怪物染みた片刃のバスタードソード。磨き抜かれた大理石のような、一切の瑕疵の無い鏡面の刀身と、銃器を思わせるマシナリーな持ち手を掛け合わせた、機械仕掛けの凶器だ。もはや鉄塊と言っても過言でないそれは、明らかに人の手に余る重量物であるが、男はなんの苦も無く、無造作に片手で保持している。



「……最期に現れるのは、御前であると思うていた」



 白い片割れ。

 男の呟きに応えた存在は、男の大剣の比ではない程に、尋常ではなかった。

 影のように佇む男を玉座から見下ろすそれは、一言で表すならば『聖像』であろうか。傲慢にして優美に脚を組み、媚態も顕わに頬杖を付いた、それは一糸纏わぬ白磁の女体であった。崩れ掛けた玉座の無残すらもその完璧な美を構成する一要素でしかないように、腰掛ける女の姿は芸術的な均整を持ち、違和よりも神聖さを感じさせる。

 本当に、一片の淀みすらもない純白の肢体。

 人に非ず、尋常の生命にすら非ず。

 全ての終わりを内包した空間そのものと同じように、果てし無く白い肢体の只中に、その双眸だけが燃え上がるような蒼だった。


 女性像より発せられた音は、傲岸不遜を体現したかの様に高圧的な声音であったが、その表情は微塵たりとも動じず、何処か作り物めいた無機質さがある。





 ――百年程前の話になる。


 過度に発達した魔導科学技術は人類に未曾有の繁栄を齎した。

 人類の絶頂。黄金期の到来。幻想の蜜月。その集大成である高魔導炉の稼働によって、吸い上げられた星の魔素(マナ)は枯渇寸前に追い込まれた。そこで、自らを蝕む病原菌となった人類を滅すために、星の意志と呼ばれる高位存在は7体の抗体を生み出した。


 人類はその存在を、自らの罪の象徴として『Sin』と名付けた。


 玉座の女は、星を蝕む人類を断罪するために遣わされた終焉の使徒、人類の罪の象徴、その一番目である『原罪者(ファスト・シン)』と呼ばれる存在であった。

 人を滅ぼすための存在が、誰よりも美しく人を模した姿を有するのは、いったい如何なる皮肉であろうか。



 しかし、驕り高ぶった人類の自意識は、星の意志に対してすら反逆の道を選んだ。

 人と星の、互いの存亡を賭けた戦い。百年にも及ぶ『生存戦争』の幕開けであった。





同胞(はらから)は全滅。残るは(わらわ)のみか」


「……ああ。貴様で最後だ」



 あまりにも壮絶な、永きに渡る戦いの末、超常の怪物である7体のシンのうち、既に6体が人類の手により斃れていた。

 そして今、原初にして最強のシンであったファスト・シンも人類の総力を挙げた反攻作戦の果てに追い詰められつつあった。


 この純白の空間は『シン域』あるいは『エリア・シン』と呼ばれている。シンによって生み出され、シンによって支配される空間、シンと言う存在を象徴する世界。いわば、シンそのものである。この空間そのものがシンであり、玉座の女はシンの意志の具現だ。

 人類が仕掛けた最終決戦に対し、最強のシンはその意志を以て応じ、そして敗れた。

 辿り着いた果ての果て、玉座の女を討つことで、この空間そのものを滅ぼすことができる。


 それこそが、百年に及ぶ犠牲の上に立つ人類の悲願であった。


 常に人類側の最前線に立って戦ってきた黒衣の男は、その手の歪な大剣を構えるでもなく、ファスト・シンの言葉に静かな相槌を打つのみだ。





「母なる星の意志にすら抗い、贖罪を好しとせず、虚構の繁栄を謳歌する――――まこと、人とは生き汚いものだ」


「そういう貴様は、さぞや潔く死に晒してくれるんだろうな?」


「笑止――だが、御前が黄泉路に付きおうてくれるのならば、それも吝かではないぞ?」


「……嗤いの一つでも見せてから言え」



 無貌の二者が淡々と言葉を交わす光景は、一切の色彩が抜け落ちたこの空間において、一層非現実的で薄ら寒い。

 互いに感情らしい感情を見せていないにも拘らず、一言、二言と言葉を紡ぐごとに場の緊張感は増していく。この二者にとっては幾度と繰り返してきた行為、殺伐とした意思疎通だ。



「……エッジ」



 そんな会話を遮るように、ぽつりと鈴の音のような可憐な声が聴こえた。

 声の主は黒衣の男――エッジの背後に隠れるようにして寄り添う幼い少女だ。エッジのジャケットの裾をちょこんと摘むように持っているのがなんともいじらしい。

 齢が十に届くかという幼いかんばせは、人形の如く整っている。雪色の長髪を二つに括り、真新しい藍色のダッフルコートを纏う少女は、玉座の女と黒衣の男の圧倒的な存在感に比べて酷く儚げでちっぽけだ。

 ただ、その取るに足らない幽さの中で、まるで黎明を凝縮したかのような金色の瞳が異彩を放っていた。



「サヤ」



 ファスト・シンへと隙を見せることなく、肩越しに僅かに視線を向けたエッジが少女の名を呼ぶ。無表情を崩さぬエッジの声音には、しかし、ほんの僅かに少女を気遣う気配が感じられる。



「たたかおう」



 たどたどしい口調でそう告げるサヤは、その金色の瞳を不安げに揺らして、戦々恐々とファスト・シンの様子を窺っている。まるで、今剣を抜かねば、その圧倒的な存在感に呑まれて動けなくなるとでも言いたげな、前のめりな緊迫だった。

 そんなサヤへと一つ頷きを返したエッジは、低い声でぶっきら棒に「そうだな」と言うと、視線を前方へ戻した。

 ギシリ、と奥歯を噛み締めたエッジの威圧感が俄かに増大し、彼の身体から溢れ出した緋色の魔素(マナ)が異形の陰影を象る。



「御託は終わりだ」


「そうか。言の葉にて戯れるのも悪くないが、やはり、最期に物を言うのは剣だな」



 とててっ、とサヤが後方へと下がるのを確認すらせず、エッジが歪な大剣を八双に構えると、彼の足元に緋色の術式方陣が展開する。



「――魔王、解放」



 低い声で紡がれる存在定義の術式。

 彼の歪な大剣に火が燈り、機械仕掛けの凶器が『漆黒の輝き』という矛盾した事象を纏う。純白の空間で一際異彩を放つそれは、方陣の緋色の魔素(マナ)と混ざり合い、不吉な闇色の炎となる。

 それと同時にサヤの周囲の空間が陽炎の如く歪み、虚空を割くようにして6本の剣が現れた。サヤを中心に花弁の如く放射状に浮遊するそれらは、エッジが手にした大剣を一回り小さくしたサイズである。禍々しく凶悪な刀身と、推進装置を備えた機械仕掛けの持ち手を合わせた投射兵器然とした刃物は、やはり不吉な闇色の炎を纏っている。


 『フラクタル』と呼ばれる6本の端末刃と、それらを統合する刃『カーネイジ』から成るこの兵装こそ、人類の切り札である『刃機』と呼ばれる兵器の一つ、論理構造を破壊する禁忌の刃『ダインスレイヴ』である。

 刃が纏う漆黒の輝きは、『破壊』というダインスレイヴの特性が視覚化されたものだ。

 全てを破壊し、無に帰すからこそ、その刃は黒を纏う。


 シンに物理攻撃は通用しない。

 元素(エレメント)によって構成される世界が物理(マテリアル)であるならば、魔素(マナ)によって構成される世界は概念(イデア)である。

 そして概念(イデア)とは、物理(マテリアル)の上位である。

 故に意志を持った魔素そのものであるシンは、あらゆる物理兵装(マテリアルウェポン)を凌駕し、既存のあらゆる兵器を過去にした。


 魔素の登場によって兵器はその意味を変え、火力とは指向性を有した『概念(イデア)』そのものを示す言葉となった。


 即ち、概念兵装(イデアルウェポン)


 シンの持つ絶大な防御力を破るべく、『破壊』という概念(イデア)そのものを極限までを追求したダインスレイヴは制御性に重大な欠陥を抱えており、それを補うための外付けの制御装置、通称『鞘』とセットで運用される。

 その鞘の役割を担っているのが、エッジの後方でフラクタルを侍らせ佇む少女、サヤだった。

 彼女とダインスレイヴの(コア)は魔導的にリンクしており、ダインスレイヴの出力を安定させるには彼女の思考によるフィードバック制御が不可欠だ。


 エッジのダインスレイヴ展開を座して待つ訳もなく、相対するファスト・シンも戦闘態勢に移行する。

 重力の無い動きで玉座から腰を浮かせ、その芸術的な裸体を惜しげもなく晒し、湖面に立つようにその場に浮かぶ。

 もとより崩れ掛けていた玉座は、今度こそ役目を終えたと言わんばかりに、白い光となって虚空に解けていった。



「――神威、光臨」



 エッジのそれとは対照的な存在定義。

 艶やかな白磁の肢体を蒼色の燐光が覆い、一瞬の後にそれらは純白の西洋甲冑となって実体化する。鳥翼の意匠をあしらった軽装の甲冑は、どんなオーダーメイドよりも精緻に誂えられており、まるで肉体の一部であるかの如き調和を示す。しかしながら、人類との先の戦闘で傷ついた甲冑は無残に罅割れ、その疵からは出血の如く蒼い炎が揺蕩っている。

 ファスト・シンがガントレットを装備した右腕を眼前に翳すと、不意にその先の空間が歪む。彼女の右掌に収まる様に空間を割いて現れたのは、身の丈を優に超える長大なハルバードだった。穂先から石突に至るまでが一切の穢れ無き純白の凶器は、ゴシック調の精緻な装飾が施されており、それ自体が一つの芸術品だ。

 優雅にハルバードを構えるファスト・シンの背後に、後光となった蒼い魔素(マナ)が荘厳な光輪(ヘイロゥ)を描く。

 ファスト・シンは満身創痍の様相でありながらもその圧倒的な存在感をもって、星意の代行者に相応しい超常の威容を誇っていた。



「――――では、終極を始めよう」



 囁くように紡ぎ、ふわりと左手を掲げる。

 彼女の声に呼応して、周囲の空間に無数の『孔』が開く。ダインスレイヴの能力が『破壊』という指向性を有する『否定』と『断絶』であるならば、ファスト・シンの能力は『調和』という指向性を有する『受容』と『共鳴』である。

 その最も普遍的な能力とは、繋げること。

 垣根を無くすことに他ならない。

 純白の廃墟を縁取るように開かれた無数の孔は、彼女が任意の空間を連結して創り出した『転移門(ゲート)』の術式だ。

 そして、転移門(ゲート)から続々と姿を現すのは無数の白い異形達だった。精霊か、はたまた幽霊か、英霊もかくやという蒼い光の輪郭が、純白の甲冑を纏って動いているかのようなそれらは、既存のどんな生物でもあり得ない。姿形も大きさも多種多様のそれらは『レギオン』と呼ばれる存在だ。彼らは高度な知性を持たず、上位固体であるシンの指示を受けて行動する人類抹殺の尖兵である。

 レギオンの形態は生みの親であるシンの特性を色濃く反映することで知られるが、転移出現した無数のレギオンの大部分は、ファスト・シンの芸術的な美しさとは似ても似つかぬ異形であった。

 例えば、有翼の鮫。歩行する大樹。双頭の獣――



「まだ雑魚(レギオン)を隠して居たか……」



 カーネイジの切先をファスト・シンへ向けたエッジが忌々しげに呟き、僅かに腰を落として下肢に力を込めると、その動作に呼応してサヤの周囲で浮遊する6本のフラクタルが一斉にその切先をレギオン群へと向ける。

 レギオンを侍らせてエッジを睥睨するファスト・シンは、片腕で保持したハルバードの穂先をゆっくりと揺らしながら待ち構えている。



「サヤ……雑魚の処理は任せる」


「うん。やる」



 エッジの低く唸る様な要請に応えたサヤは、その足元に金色の術式方陣を展開している。ダインスレイヴの鞘である彼女は、エッジという戦闘者にとっては半身であり、最も信頼する友軍であると同時に、最大の弱点でもある。見ての通りの矮躯で、戦闘経験も少ないサヤ単身では、自衛を行うことすらも容易ではない。

 その最大の弱点をカバーするのが端末刃フラクタルだ。もともとは一振りの刃であったダインスレイヴを、カーネイジとフラクタルに分割したのだ。リソースを分割したことで最大火力を犠牲にしつつ、破壊力以外の部分を全て『鞘』に持たせることで安定性は増大した。

 それぞれが独立して稼働する6本ものフラクタルによる自動攻撃・自動防御の補助を受けることで、幼い少女でしかないサヤが、一介の戦闘者を遥かに凌駕する強大な戦闘力を発揮することができる。



「行って!」



 サヤの号令に呼応して、フラクタルが周囲のレギオン目掛けて凄まじい速度で射出される。虚空に黒い軌跡を描いて飛翔する刃は、レギオンの甲冑を砕き散らしつつ縦横無尽に疾駆する。生半可な兵装では傷一つ付けられないレギオンの純白の甲冑も、ダインスレイヴと言う刃機の特性である、空間すら破断する『断撃』の前に為す術無く打ち砕かれていく。

 時に漆黒の輝きが太い光条となって迸り、破壊の炎が並居る敵を薙ぎ払う。

 しかし、転移門(ゲート)は絶間なくレギオンを吐出し続けており、その数は一向に減る気配を見せない。


 物量で圧し潰す、愚直なまでの力押し。

 それを押し返すのは、サヤという幼い少女が持つ、苛烈なまでの攻撃意志だ。


 幼さ故の純粋な殺意と、退くことを知らない大胆不敵な全力攻勢。

 サヤ自身が『鞘』であり、ダインスレイヴの制御そのものであるならば、彼女が敵を否定し、拒絶する限り、フラクタルの殲滅力は最大のパフォーマンスを発揮する。

 利発さと幼さを併せ持ったサヤの類稀なる資質と、それを支えるエッジという精神的支柱の存在。


 白い獣と黒い嵐が作り出した阿鼻叫喚の光景を一顧だにせず、エッジの冷厳な眼差しは優雅に君臨するこの空間の主のみを捉えている。エッジの身体がほんの僅かに沈み込んだかと思うと、ブレるようにしてその姿が掻き消え、一瞬にして彼はファスト・シンの直上に移動していた。

 物理法則を完全に無視した挙動で虚空を撃って爆発的に加速し、ファスト・シンへと肉迫する。

 エッジが無造作に振り下ろした闇色の大剣とファスト・シンが頭上に掲げた白磁のハルバードが激突する。常軌を逸した高速移動から繰り出された一撃は、ダインスレイヴの特性も相俟って、直撃を許せば航空戦艦すらも両断し得る一撃であった。音速を優に超えた一撃は、しかし、理不尽なまでにアッサリと白磁のハルバードに受け止められ、1拍遅れて発生したソニックブームが轟音を伴って空間を揺らす。


 ――刹那の停滞。至近距離で両者の視線が交錯する。剣呑な光を秘めた猛禽の如き緋色の瞳が忌々しげに細められ、無機質で空虚な硝子球の如き蒼色の瞳がそれを映し出す。

 次の瞬間、キリキリと鍔迫り合いの状態にあったファスト・シンのハルバードが、突如として爆発したかのように燃え上がり、甲冑が纏うものと同質の蒼色の炎を噴き上げる。



「……やはり、斬れんか」



 蒼炎の爆発に巻き込まれるより一瞬早く、虚空を蹴って後方へと距離を取ったエッジが呟く。

 本来ならば、ダインスレイヴによる攻撃を物理的手段で防御することは不可能だ。歪な大剣が纏う漆黒の輝きは空間を食む異能の証であり、あらゆる防御は、その空間ごと断ち切られる。



「然り。容易く幕を引いては、御前も興醒めであろ?」



 そう応えるファスト・シンは彫刻の如き無貌ながらも何処か楽しげですらある。

 ダインスレイヴによる攻撃の本質は物理攻撃ではなく、概念攻撃である。破壊の概念(イデア)を発揮した刀身で切り裂くという過程により、空間が断裂するという結果が表れているに過ぎない。

 即ち、『空間断撃』。


 概念(イデア)による攻撃に対抗できるのは概念(イデア)でしかない。

 破壊と調和、対抗する概念同士による上位フェイズでの殴り合い。

 元より『断撃』が通用するとは思っていなかったのだろう、エッジの貌に焦りの色はない。


 交わす言葉の続きとばかりに今度はファスト・シンが距離を詰め、蒼炎を纏ったハルバードで刺突を繰り出してくる。超重量の武器にも関わらず凄まじい速度と鋭さだ。まるで、ファスト・シンからエッジまでの間合いそのものが圧縮されたかのような、奇抜な加速であった。

 いかに美麗な女人の姿をしていようと、超常の怪物であるファスト・シンの膂力は人間の限界を遥かに超越している。

 従って、真面に受ければ防御の上からでも墜とされかねない無情な一撃を前に、エッジは真っ向から踏み込んで迎え撃つ。



「抱き締めてやろうぞ」



 ファスト・シンの刺突が、突如として咲いた(・・・)

 一体如何なる原理であろうか。まるで万華鏡を回したように、白磁のハルバードの切っ先がシンメトリカルに分裂し、あらゆる方向からエッジを刺し貫かんとする。ハルバードの穂先が増えたわけではない。ファスト・シンが攻撃を繰り出した空間が、幾重にも偏在しているのだ。

 ファスト・シンが有する『調和』という概念(イデア)の極致。

 エッジへと繰り出した刺突の一撃は一方的で均衡に欠ける。


 故に、双方向に。

 刺突の軌跡がシンメトリカルに偏在し、致死の結界を作り出す。

 攻撃対象のエッジが動けば、その動作を起点に連続的に偏在が増え続ける。

 正しく万華鏡の如く。



 ――『調和』の概念能力(イデアスキル)無窮ノ調律(シンメトリカル・オーバーレイ)



 対する黒衣の男は、幻想的ですらある刺突の檻に、然したる動揺すら見せなかった。

 それどころか、鼻で嗤った感すらある。


 長大な大剣を両手で大きく引き絞り、轟く様な震脚を効かせ、一歩を踏み込む。

 全周から迫る刺突は一顧だにせず、ファスト・シン本体から微塵も視線を逸らさない。

 全身を躍動させて繰り出すは、鏡合わせの刺突撃。


 不吉な闇色の炎を纏った刺突が、突如として割れた(・・・)


 空間そのものを引き裂きながら切っ先が侵攻し、エッジが繰り出した刺突の先端から放射状に、空間が滅茶苦茶に破砕される。

 虚空に刻まれた無数の深い亀裂が、障害となってファスト・シンの無数の攻撃を阻む。

 破壊の概念(イデア)を以て、調和を砕く。



 ――『破壊』の概念能力(イデアスキル)黒キ星辰(アカシック・デストラクション)



 恐るべきは、両者にとってはこれが奥義でも必殺でもなんでもなく、ただの通常攻撃(・・・・)でしかないという事実であろう。

 これが、概念(イデア)を極めるということ。

 極限まで純化した概念は、ただ在るがままに物理世界を歪ませる。


 ファスト・シンとエッジの鏡合わせの刺突が真正面からぶつかり合い、だが切っ先が触れ合う前に互いの獲物が纏った衝撃波が反発し合い、両者の間合いを強制的に開かせる。



「如何した?斯様な様では妾を殺すことは叶わぬぞ?」



 無貌のままにエッジを挑発するファスト・シンは、ハルバードを頭上で回転させ、そのまま遠心力を乗せた打ち下ろしを繰り出す。轟々と渦を巻き膨れ上がった蒼炎を纏ったハルバードは、触れたモノすべてを焼き尽くさんとする圧倒的な浄化の化身だ。

 根本的な身体能力の差か。ファスト・シンが一手先んじた。

 後れを取ったエッジが選んだのは、しかし回避でも防御でもない。

 当然のように、迎撃。



「――――ほざけ」



 窮地に陥ってもエッジは微塵も臆すことはなかった。それどころか、迫り来る蒼炎に向かって自分から一歩踏み込んでみせる。

 ファスト・シンが振り下ろしたハルバードと、エッジが振り上げた大剣が激突する。発生した轟音と閃光、衝撃波、そして凄まじい熱量は、当人同士のみならず、周囲を席巻していたレギオンと、それを相手取っていたサヤにこそ襲い来る。

 吹き荒れる暴力に、サヤはフラクタルを起点に障壁を展開することで必死に耐える。浄化と断罪を司る蒼い炎と、破壊と暴食を司る闇の炎が混ざり合い純白の空間を極彩色に染め上げた。

 ほんの一瞬の拮抗の後、飽和した魔素(マナ)が大剣とハルバードの接点を起点として炸裂し、鬩ぎ合う両者を再び強制的に引き剥がす。後方へ大きく吹き飛ばされたエッジは、空中で素早く体勢を立て直すと、同じく大きく後退させられていたサヤの目前に音も無く着地する。防御を捨てて迎撃を行ったせいで、彼の身体には多数の火傷と裂傷が刻み込まれ、まさに満身創痍といった風体だが、その眼光には僅かな揺らぎも見られない。

 ファスト・シンはというと、吹き飛ばされたエッジとは異なり少々体勢を崩した程度だ。

 周囲で犇めいていたレギオンはサヤのフラクタルに蹂躙されて殆ど壊滅状態にあったが、今の激突の衝撃でついに軒並み吹き飛ばされたらしく、砕けた無数の残骸が散乱しており、それも俄かに蒼い燐光となって空に溶ける。無数のレギオンを吐出していた転移門(ゲート)も消滅しており、どうやらこれ以上の増援はなさそうだった。

 ただし、サヤのフラクタルの損傷も決して軽視できるレベルでなく、6機のうちの半数の3機は大破しており使用不能と言っていい。


 エッジは負傷による苦痛などおくびにも出さず油断なく大剣を構え直すが、何故かファスト・シンに追撃の気配は無い。降って湧いた停滞の空気にサヤは小さく息を吐き、大破した3機のフラクタルを刃機の格納領域へと送還し、残りの3機を滞空させて臨戦態勢を維持する。






「――――無様なものだろう」



 唐突に、ぽつりと、静かに呟かれたファスト・シンの言葉に対して、サヤは一瞬、彼女が何を言っているのか理解できなかった。

 しかし、エッジにはその言葉の意味するところが解っていたのだろう。彼は小さく鼻を鳴らして、「見る影も無いな……」と呟いた。その言葉を聞いたサヤは、遅蒔きながら先程のファスト・シンのそれは自嘲の言葉だったことに気付く。


 本来、このようにハルバードを振り回す戦い方はファスト・シンのスタイルではない。彼女の実力がこの程度ならば、とてもではないが星意の代行者足り得ない。人類が絶滅寸前に追い込まれることもなかっただろう。

 彼女の本領は、星の意志からの魔素供給に物を言わせた天災規模の範囲殲滅術式である。先の偏在する攻撃も、本来であれば細やかな刺突などでなく、大火力の砲撃術式等を乗せて発揮されていたものだった。人智を超えた圧倒的な火力に加え、敵戦力の中枢を文字通りピンポイントで攻略可能な概念攻撃の存在により、人類の戦力は碌な抵抗すら許されずに壊滅に追い込まれたのだ。


 人類は為す術も無く蹂躙され、遠からず絶滅する――――筈だった。


 星の意志と呼ばれる超越存在にすら誤算があったとすれば、それは人類という病原体の生命力だろう。人類は敗北を受け入れず抵抗し続け、シンに対抗し得る刃機という兵器を生み出し、その数を大きく減じながらも終にはシン相手に拮抗して見せた。

 星にとって、シンという存在は諸刃の剣であった。

 そもそも、シンという抗体が生み出された理由は、星の魔素(マナ)を浪費する病原体である人類を滅ぼすためだと言われていた。シンが星からの魔素供給を受けている以上は、人類との生存戦争が長引けば長引くほど星の魔素は消費される。シンを維持するために星の魔素が枯渇してしまっては、それこそ本末転倒というものだろう。

 星の魔素が枯渇する原因であった人類の高魔導炉は戦争初期に既に破壊されていたが、その後百年にも及ぶ戦いの中で星の魔素は今一度枯渇の危機を迎えていた。星の意志は再び対策を講じねばならなかった。


 そして、星の意志が執った対策は『シンの破棄』。


 病原体である人類の個体数を許容値まで減少させたことで妥協し、シンに対する魔素供給を打ち切ったのだ。無尽蔵の魔素(マナ)を失ったシンの力は今以て凄まじいモノであったが、しかし、決して打倒できない不死の怪物ではなくなった。人類はこれを好機と見て総力戦を仕掛け、次々とシンの撃破に成功し、今こうして最後のシンの頸に王手をかけつつある。



「大いなる母星との繋がりは絶え、矮弱と蔑みし人に敗れ、終には妾独りが残された……思えば、御前とも大した奇縁だな」


「…………腐れ縁、の間違いだろう」


「つれないことを言うてくれるな。これまで幾度となく死合うてきた仲ではないか」


「……貴様も年貢の納め時のようだがな」



 戯れるように言葉を投げるファスト・シンのハルバードに再び蒼炎が燈る。おそらく、体勢を立て直す時間を捻出するためにエッジへと会話を図っているのだろう。現在の彼女はそんな露骨な時間稼ぎをせねばならぬ程に弱体化していた。

 しかし、時間が必要なのはエッジも同じであった。むしろ、彼の状況はファスト・シンのそれよりも深刻であると言える。彼が油断なく構える大剣――ダインスレイヴは、先程の激突による過負荷で一時的にではあるが極端に出力が低下していた。刀身が纏う闇色の炎は燻る程度に鳴りを潜め、放熱のため内部の冷却機構が重低音の唸りを上げる。

 ダインスレイヴがこうまでも不安定なのは、偏に制御を担っているサヤが未熟だからに他ならない。刃機の制御系はサヤの思考と直結しているので、過負荷はそのままサヤの思考能力を蝕む。サヤの思考が乱れれば、刃機の出力は安定を失う。

 故にエッジは、サヤが心を落ち着ける時間を稼いでやる必要があった。



「さて、な。――――少なくとも、無様さで言えば御前も妾を笑えぬ様だが」



 そう言い、ファスト・シンが意味有り気に見遣るのは、エッジの背中に隠れる様にしているサヤの姿だ。



「並び立つのがそこな童でなく、かつての片翼であれば、妾の頸などとうに落ちていたであろうよ」


「…………かもしれん」



 ファスト・シンの言葉にエッジは自嘲気味に呟きを返し、名指しされたサヤはキョトンと瞳を丸くしている。

 次いで、なんとなく馬鹿にされたことを悟ったのか、小さくむくれて見せる。



「何故だろうか」


「…………」


「見る影も無く衰えた我らであるが、妾は独りで、御前にはそれでも輩が居る」


「貴様は完全で、俺達は不全だからだろう」


「…………結局は、其れだけの違いでしか無かったのやも知れぬな」



 噛み締めるように呟くと、ファスト・シンは俯き、その貌に影を落とす。

 降って湧いた沈黙に不安を煽られたのか、サヤが伺うような上目遣いでエッジを見上げると、彼はポンと無造作に少女の頭を撫でた。


 ピシ、ピシ、と世界が拉ぐ音がする。

 俯くファスト・シンを中心に莫大な魔素(マナ)が渦を巻いて収束していく。


 エッジは尚も揺るがない。

 彼の緋色の魔素(マナ)が静かに圧を高め、微かに漏れ出した力の余波が、周囲の空間を黒く罅割れさせる。




 ファスト・シンが緩やかに面を上げ、凛と輝く蒼い瞳と、エッジの赫奕たる緋色の瞳が交錯する。




「――――終わりにしよう、小さき者よ。その絆ごと冥府に堕ちるが良い」



 ファスト・シンが冷酷に告げる。相対する者に畏怖と絶望を強制する、絶対者の宣言だ。

 彼女の背後の光輪(ヘイロゥ)が爆発的に密度を増し、蒼い円環を抱く様に3対6枚の荘厳な翼が顕現する。

 その姿は伝承の戦乙女か、あるいは天の御使いか、ともすれば、神そのものか。


 神託の如く突き付けたハルバードの穂先を起点に、立体的な蒼い術式方陣が展開する。


 ――砲撃の術式だ。


 ある意味、ファスト・シンが最も得意とする術式であると言える、幾度となく彼女と戦ってきたエッジも良く見慣れたものだ。


 ファスト・シンの代名詞的な術式であり。

 彼女そのものを象徴する『慈雨』の砲撃。

 あまねく全てを平等に包み込む、受容の概念(イデア)を先鋭化した砲撃は、ファスト・シンの背後以外の全てを攻撃範囲とする。

 正確には、3次元空間そのものを捻じ曲げて弾道を形成するため、自身の背後以外の空間を引き延ばし、圧縮し、眼前に束ね、そしてその一点を砲撃にて殲滅するのである。


 間違いなく、生存戦争において最も多くの人命を奪った術式。


 名を『神威の雷(テスタメント・バニッシャー)


 構えられた純白のハルバードに、美しい蒼い魔素(マナ)が収束する。衰えてもなお人智を超えた膨大な魔素は、収束し燃え盛る蒼い爆炎となり、さらに圧縮され眩いスパークを放つ蒼い雷光を顕現する。

 激しく放電するハルバードに込められた魔素の量と密度は、先程まで見せていた一連の攻撃術式とは比較にならない程だ。雷という概念を与えられた超高密度の魔素による砲撃術式は、回避を許さぬ光の速度を持って、防御を無視して攻撃対象を滅却する。

 射程距離はファスト・シンの視界に同じ、射程範囲はファスト・シンの背後以外の全て、だ。



「サヤ、最大出力だ」


「ん…………『無限変質(アンリミテッド・オルタレイション)』のかどう率が200%を超えちゃう」


「今更だ」


「もう代謝限界だよ?……身体が崩れちゃうかも」


「構わん」


「……わかった」



 物理的な圧迫感すら感じる蒼い雷を前にしてもエッジは臆すことなく大剣を構える。その傍らに居たサヤは一歩前に踏み出すと、右手を眼前に翳し、凛然と告げる。



「だいじょうぶ。死ぬときは、一緒だから――――ダインスレイヴ『抜刀(・・)』」



 途端、サヤの矮躯を包んでいた藍色のダッフルコートが光の粒子となって弾け飛ぶ。

 コートだけでなく、衣服全てが瞬く間に分解され、雪色の長髪を束ねていた髪留めすらも消え、広がった頭髪の末端から、サヤの幼い裸体そのものが金色の光となって解けていく。

 渦巻く光の粒子となったサヤは、エッジの纏う緋色の魔素(マナ)と一体化し、一際強く輝かせる。

 歪な大剣が強靭に脈動し、機構部が展開し、より長大で凶悪なシルエットへと変ずる。


 かつて、制御性を得るために分割した端末を今一度統合したのだ。

 エッジの持つ統括刃『カーネイジ』に、サヤの持つ端末刃『フラクタル』、そして制御装置『鞘』であるサヤ自身。

 それらの要素に、適合者であるエッジ自身を合わせて、初めて、本当の意味での決戦兵器『ダインスレイヴ』が起動する。


 この状態であれば最大火力を発揮することが可能だが、サヤが内部から全身全霊で制御したとしても、最大効率を発揮できるのは精々一撃が限度だ。

 それ以上は制御しきれず、十中八九暴走して自滅することになる。

 そうでなくとも、連戦に次ぐ連戦を重ね、エッジの肉体は既に限界を迎えている。このコンディションで最大出力の刃機を振るえば振るうだけ、加速度的に肉体の崩壊を招くだろう。


 だが、それで充分だ。

 もとより、無駄に刃を連ねる気などありはしない。


 ファスト・シンの砲撃を前に逃げ場など存在しない。

 彼女の背後だけは砲撃の空白地帯となるが、そこにあるのは高密度の魔素(マナ)で構築された光輪(ヘイロゥ)だ。

 砲撃の甚大な反動を打ち消すために稼働している光輪(ヘイロゥ)に突っ込むなど、自殺行為以外の何物でもない。

 故に、かの砲撃に死角無し。


 防御したところで千日手だろう。

 持久戦になれば自力の違いで勝つのはファスト・シンだ。


 とならば、回避も防御も無用。

 ただ、攻撃あるのみ。

 最短距離を駆け抜け、最大火力の一撃を叩き込むことだけが、唯一の勝機。




 体勢を整え、両者の緊張感は最高潮に達しようとしていた。


 蒼雷を纏った純白の聖女と、闇炎を携えた漆黒の魔人が相対する。そこに余人の入る隙はなく、両者が醸し出す威圧感だけで空間が軋みを上げている様な錯覚すら覚える。



「さぁ――雌雄を決しよう。御前が黄泉路に迷わぬ様に、妾の篝にて荼毘に付そうぞ」



 厳かに告げるファスト・シンがハルバードによる渾身の突きを放つ。瞬間的にハルバードの穂先に展開した環状の術式方陣がバレルを形成、限界まで蓄えられた荒れ狂う雷がそれに沿って流れ出し、破壊の奔流となって空間を薙ぐ。

 砲撃が放たれる一瞬前にエッジもまた動き出していた。ダインスレイヴを両手に持ち、蓄積したダメージや疲労を感じさせない動きで滑らかに一歩を踏み出す。そのたった一歩で急激に加速したエッジは、突撃槍の如く大剣を構え、放たれた砲撃へと正面から突入する。

 危険と呼ぶのも烏滸がましい、絶死の賭けだ。ダインスレイヴが誇る、空間そのものを断絶する概念攻撃があれば、どれほど凶悪な威力の物理攻撃であろうとも防ぐのは容易い。だが、破壊の概念(イデア)は調和の概念(イデア)によって相殺される。となれば、後に残るのは純然たる火力と火力の拉ぎ合い。

 エッジが構えた大剣の切っ先が、蒼雷を裂いて疾駆する。

 ほんの僅かにでも切っ先がブレれば、忽ち砲撃はエッジを飲み込み、その身体を容易く蒸発させるだろう。

 蒸発必至の直撃は避けながらも、余波だとて決して無視出来るものでなく、エッジの肉体は焼け爛れ、それでも無理矢理動かした部分から裂け、砕け、溢れる流血が空に朱い線を引き、それすらも瞬く間に蒸発していく。


 しかし、魔人は止まらない。

 まるで揺るぎもしなかった。



()った…………!」



 永遠にも感じられた刹那の後、賭けに勝ったのはエッジだった。砲撃を放つファスト・シンの懐に潜り込んだ彼は、既に全身血濡れの壮絶な姿だ。しかし、その緋色の瞳は衰えるどころかより一層力を増した迸る様な殺気を放っている。

 その手の大剣が、轟と燃え上がる。

 ファスト・シンは僅かに眼を見開き、咄嗟に砲撃術式を中断しようとするが――



「――――遅いッ!」



 抉り込むような大剣の斬り上げが、遂にファスト・シンの白磁の肢体を捉える。漆黒の断撃が空間ごと割り砕いてファスト・シンの左脚の付根から右肩までを斜め一直線に奔り抜けた。彼女の純白の甲冑を、まるで意にも介さず両断し、その下に隠された芸術的な肢体に巨大な裂傷を刻む。

 一連の立会いでファスト・シンに与えた初めての有効打であったが、しかし、エッジの貌に浮かぶのは苦渋の表情だ。



「チッ、浅い……!」



 ファスト・シンに刻まれた裂傷からは血液の代わりに蒼い魔素(マナ)が溢れだしているが、重傷であっても致命傷には届いていない。最早気力ではどうにもならないレベルに蓄積したダメージが、エッジの踏込を僅かに鈍らせたのだ。



「ならば……もう一発――――」


「ぐっ」


「――――くれてやるッ!!」



 斬り上げた体勢のまま空中で制動をかけたエッジは、そのまま身体全体を回転させ、遠心力を乗せた兜割を放つ。

 ファスト・シンは既に死に体だ。与えられた重大な損傷によりその身体は泳いでおり、純白のハルバードは無理に中断された砲撃術式のバックファイアにより穂先が砕け落ちてしまっている。彼女の傷口からは膨大な蒼い魔素(マナ)が流れ出し、これでは障壁を編むことすら困難だろう。

 エッジの一撃にも先程の威力は期待できないが、それでも死に体の彼女を滅ぼして余りある。

 ファスト・シンが最も信頼する砲撃術式を真正面から破られた時点で、勝負の趨勢は決したかのように思えた。


 ――だが、人類の天敵はその圧倒的苦境すらも覆して見せる。



「なんだと……!?」



 エッジの表情が初めて目に見えた変化を見せた。彼の猛禽の如き鋭い眼が驚愕に見開かれる。

 ファスト・シンは明らかな死に体であったにも拘らず、獣染みた反応速度で手元の空間を繋ぎ、ハルバードの柄を大剣の軌道上に割り込ませたのだ。闇色の大剣と純白のハルバードが激突し、耳障りな金属音を奏でる。

 しかし、エッジの驚愕の理由は攻撃を受け止められたことではなかった。



「貴様……!?」


「この時を、待ち侘びたぞ!」



 ――嗤っている。


 発生から現在に至るまで、能面の如き無貌を片時も崩すことが無かったファスト・シンが『してやったり』とでも言わんばかりの嗤いを浮かべているのだ。彫刻の様な無表情が一転して童女のような無邪気な笑みを見せている。予想だにしなかった事態に、流石のエッジも動揺を隠せなかった。

 当然、ことはそれで終わらず、更なる驚愕が畳み掛けるようにエッジを襲う。

 エッジ自身と一体化したサヤの声が頭の中に響く。

 それは、悲鳴だった。



『ッ!?エッジ!ダインスレイヴの出力が臨界を超えてるっ!?』


「抑えろッ!」


『だめ!制御できない……ううん、制御が無いの!!』



 拉ぐ不快な金属音に紛れて、サヤの必死な声が反響する。サヤの言うとおり、ファスト・シンとの接触の瞬間よりダインスレイヴの出力が上昇し始め、既に臨界を超過している。エッジは戦慄する。制御しきれなくなったのではない。制御権そのものを失ったのだ。

 原因は明らかだった。ファスト・シンの蒼い魔素(マナ)がハルバードを伝ってダインスレイヴの刀身を侵食しているのだ。魔素を媒体にしてファスト・シンがダインスレイヴの制御系に侵入している。



「妾のイデアを忘れたか……?」


「共、鳴……!」


「然り」



 臨界を超えたダインスレイヴの能力が暴走し始め、周囲の空間がビキバキと音をたて加速度的に罅割れていく。

 このままでは空間の狭間に発生した虚数の海に呑まれて、ファスト・シンとエッジは元より、この『シン域』自体が消滅する。

 それだけで済めば人類側には万々歳だが、この『シン域』が呑まれるほどの巨大な『穴』が開いてしまえば、それは星のバランスそのものに致命的な影響を与えるだろう。



「貴様、心中でもする気か……!?」


「否。此れは可能性だ」


「なに……?」


「妾は考えていた。何故我らは人に敗れたのか……。何故人は絶望に膝を折らぬのか……。我らの勝敗の明暗を分けたモノとは…………?」



 滔々と語る彼女の周囲の空間は崩壊を続け、既にエッジもろとも虚数空間に半ば以上呑まれつつある。



「御前達が有し、妾が有さぬもの……その正体が掴めたならば、妾が御前達に敗北する道理など無い」


「なにを、言ってやがる――!」


「思うのだ。人を完全に模倣する事が叶えば、妾にもその『なにか』を得られるのではないか、と」


「模倣、だと?」



 罅割れ、漆黒に染まりつつあった空間に、俄かに美しい蒼の粒子が舞う。



「然り。差し当たりは――人の『生き汚さ』を見倣うてみよう、と思うてな」


「ッ!――貴様、まさか!?」


「そのまさかだ。ではな、愛しき宿敵よ――――」



 ――――『壁』の向こうで、また会おう。


 その言葉を最後に、眩いばかりの蒼い光が漆黒の空間を染め上げ、エッジは為す術もなくその光に呑まれていく。咄嗟に身体を動かそうとしても、傷付き、疲れ切った身体は鉛のように重く、彼の意志に反してピクリともしない。

 満身創痍の身体を染め上げる蒼い光は不思議と温かく、彼は微睡むようにして、その意識を手放した。


 ――意識が落ちる間際、己を呼ぶ、今にも泣き出しそうなサヤの声が聴こえた気がした。





 光が収まった時、そこには黒衣の魔人も、白磁の聖女もなく、光に満ちた万象の墓場すらもなく、ただ静かな荒野だけが広がっていた。






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