幸福の絶頂
それから時は流れ、二人の間には男児が一人産まれていた。
「ディオニウス、ここまでにしよう」
木刀を構えて向かい合っていたランティウスと黒髪の男児は、剣の稽古を中断する。
「父上、ありがとうございました」
「うむ」
しっかりと礼ができるようになり、ランティウスは喜びの表情を見せた。
「あなた、ディオン、飲み物を用意しましたよ」
家の中から黒髪の女性が出て来る。手には茶碗を二客載せたお盆を携えていた。
「母上、頂きます」
男児は真っ先に白磁の茶碗を受け取る。庭先の長椅子に腰掛けて、ランティウスは微笑んでいた。
「こちらをどうぞ」
「ありがとう、ラリア」
手渡しで茶碗を受け取る。三人は人里離れた山奥に小さな家を建てて住んでいた。地上の民とは関わり合いにならないのが地下族の不文律であり、地下にも帰れない事情を抱えている為に、こうして暮らしているのだ。
「幼い頃のあなたを見ているようです」
木刀を握って型の練習を始めた我が子を見て、ラリアは微笑んだ。
「もう少し、義肢の強度が上がれば、お前を連れて城に戻っても良いのだがな」
「良いのです。ラリアは今のままでも充分過ぎるほど幸せです」
一度は失いかけた命の灯火を繋いでくれた彼に感謝の毎日である。
「だがな、普通に剣を振れるぐらいの強度は必要だろう? ディオニウスに稽古をつけられるぐらいの……」
「型稽古の指導ぐらいはできます」
ラリアは彼の隣に腰掛け、そっと彼の手を握る。
「こうして、あなたと触れ合える日々が私の夢でした」
「ラリア?」
「剣の稽古をしている間、ずっとあなたと向き合っている間に、心が虜になっていたのです」
城で共に剣技の訓練を受けていた頃、こうなる未来は想像できなかった。
「けれど今更帰って、父にどのような顔をして会えば良いのでしょうか?」
「笑顔で良い。親は我が子が生きてさえいれば、どのような表情でも嬉しいものだ」
親になって初めて分かる親心だ。ラリアも、ディオニウスの元気な顔を見れば安心している事実に気付いた。
「あなたには、本当にいろいろなことを教えて頂いています」
「改まって、どうした?」
ランティウスが問い直しても、彼女は微笑むばかりだ。
それから数日して、彼が城に戻る日がやって来た。
「アベルの八歳の誕生日だった。うっかりしていた」
慌ただしく出掛ける準備をする。エリスの機嫌を損ねないよう、こういう日は城に戻っておかないと後が大変だ。ラリアの助言で気を遣うようになってからは、穏やかに話せるようにもなっている。
「すぐ戻る、とは言え、こちらでは数日後だな。行って来る」
見送りもそこそこに彼は行ってしまった。ラリアたち母子は二人きりで彼の帰りを待つ。
五日程してランティウスが帰って来た。両手には食材を抱えている。流石に城からは持ち出せないので、地上の民から購入したものだ。
「ラリア、ディオニウス、帰ったぞ」
「お帰りなさいませ、あなた」
「父上、お帰りなさいませ」
玄関前で出迎えるラリアの微笑みと、ディオニウスの元気な表情に彼は相好を崩す。その様子を窺う者がいたことに彼らは気付かなかった。親子三人は家の中に入る。
「面白いものを見つけて来たんだ。二人とも着飾ってそこに並んでくれ」
「はい、父上」
「何ですか、あなた?」
ニコニコ微笑む彼の傍らには画架に置かれた真っ白な布と、卓上に絵の具、絵筆が置かれている。
「自動描画の魔法を試す。ラリアは椅子に腰掛けて、ディオニウスはその横に立って」
指示された通りに二人は着飾って並んだ。ラリアの黒髪には星型の髪飾りが光る。
「では始めるぞ」
彼が呪文を紡ぐと絵筆が独りでに宙を舞い、真っ白な画布に二人の姿を描いてゆく。
「完成だ」
画布には凛とした表情のラリアと、真っ直ぐに立ち並ぶディオニウスが精細な筆触で描かれていた。
「どうだ、面白いだろう?」
「濃やかな絵ですね」
ラリアも嬉しそうに微笑む。
「遺跡の倉庫に保管しておこう。あそこならば劣化の心配もないからな」
「それが良いと思います」
「しばらくは家の中に飾っておこう。装丁も必要だな」
やるべきことを考えて、彼は幸せを噛みしめていた。
声の想定
ラリア 早見沙織さん
ランティウス 諏訪部順一さん
ディオニウス 喜多村英梨さん
【時系列の解説】『氷の蔦は愛に狂う』〈骨肉〉と並行。




