愛を唄う鳥のように
時々、昔のことをふっと思い出すのは、自分が随分年を得たからだろう。
昔のように毎日は充実していなくて、何処か気怠く、何処か虚しいから、そのすき間を埋めるかのように、あの時、こんな曲が流行っていたとか、誰と何処に出掛けて食べた料理が美味しかったから、この間行ってみたら店が無くなっていたり、味が変わっていたり、もしかしたら味は変わっていなくて私の味覚が変わっていたのかも知れないけれど、あの時感じたような味では無かったり、そう言った日々を過ごしているからか、時々、昔のことを思い出してしまう。
あぁ、嫌だなという想い出もまるでスパイスのように想い出して、奥歯の方の舌の上に苦い物が乗っかるような気分になる。
それもこれも、自分が、思ったよりもずっと年を得たからなのかなって思っている。
そう、まさか、乗り換えの駅で目の前の背中に横顔に見覚えがあるなと思っていたら、苦い想い出のあなたを見つけたのも、この昔のことをふっと思い出してしまった結果なのではと思った。
彼の前の人がパスを上手く当てられなかった結果、ドンとぶつかってしまい、見上げた先のあなたでさえ、やや目を丸くしていた。
きっと同じ顔で見合っていたのはほんのコンマ数秒だろう、少し下がってセンサーを再始動させてパスを当てて通り過ぎる。
改札を抜けて、お互い同じ乗り換えをする。
目指す先もまさか同じか?なんて思っていたら、あなたは隣のビルへと飲み込まれていった。
同じ、系列会社の本社ビルに。
殿上人かと口の中でもごっとして、自分の目指すところへと自分もまた吸い込まれていく。
ここで、時間を食い潰していく。
若くは無い。
時折舞い込む難題の前に屈することも少なくなって、それと伴に感動も消えていった。
だからもう、愛を唄えないのだ。
感動も何も怒らない心に、いつからかもう心から愛する人なんかいないという事に気が付いてしまい、私はもう愛の歌を歌うことも出来ない。
定時のチャイム。
席を立ち上がりタイムカードを切って、足早に出て行く。
歌うことの無い唄を想い出させる顔を見たくなくて。
もう歌えない。
何百回と囁いた歌はもう唄えない。
互いに囁き合っていたのに、互いに何時からか唄えなくなって、傷つけるようになって、傷付けたくなくて、傷付きたくなくて、互いに離れていった。
二度と同じ唄を唄えなくなるほど、深いところを傷付けあった。
だというのに、目の前にすると、どうしてだろう、また、歌えるような気がして、ぐっと喉の奥に仕舞い込む。
もう唄えない。
もう、この人のための唄は唄えない。