28.襲来、悪魔の女王! …「それはそうとボーリングしようぜ」
サラちゃんとの使い魔契約が無事に済み、アンテルミ様に見送られた帰り道。私はヘルベリス様に手を引かれながら悪魔の街を歩く。その前を先導するようにギリードリフデン様がキビキビとした動作で歩き、私達の後ろにはサラちゃんがノッシノッシと付いてくる。
前を歩いているギリードリフデン様は振り返ると指を二本立てて言います。
「残るは健康診断と予防接種だ。これらは先の契約と同様に然程時間は取らない。直ぐ済む」
「どんなことをするんですか?」
そんな私の疑問にニコニコと満面の笑みを浮かべたヘルベリス様が答えてくれる。
「健康診断は魔法で身長や体重その他諸々をパッと調べて終わり。予防接種は注射をチクッと刺して終わり。ね☆ 簡単でしょ~☆」
意気揚々と語って聞かせてくれたヘルベリス様。そんな彼女にギリードリフデン様はジトッとした目を向けて口を開きます。
「……お前が余計なことをしなければ、簡単に済むだろうな」
「え~何のこと~? ヘルちゃんわかんな~い♪」
「…………」
ああっ、ギリードリフデン様がすごい形相に。
でも溜息を吐くと直ぐに表情を緩めて先の方を指差します。
「……とにかく。もうこの街での用は済んだ。〈創造の館〉へ帰るぞ」
「賛成~。あんまり長居しても面倒なのに絡まれちゃうし~」
「……面倒、ですか?」
ヘルベリス様が今までに無かったくらい渋い顔で言うので私は不思議に感じた。―――私個人の勝手な想像ですが、ヘルベリス様は御自身が言う程嫌いな物や苦手な物が無いような印象が有る。
どんな存在を前にしても、心の奥底に在る芯はぶれない。私はヘルベリス様をそんな女性であると思っている。
そんなヘルベリス様が本気で忌避感を抱く存在……
「あ」
そうして考えると直ぐに思い浮かぶ、一つの『名前』。
―――私がそれを今まさに思い出した時でした。
「クゥーッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」
高笑い。
暗がりに沈む悪魔の街を斬り裂くような声。それを聞いた私は弾かれたように空を見上げる。
その声は私達の頭上から聞こえてきたのだ。
見上げた私の目に映ったのは一人の女性。
しかしその容姿は尋常ではなく。
紫紺の長髪その側頭部からは黒い双角が生えている。青い肌は不気味でありながら艶めかしく、拘束具のようなベルトが大量に巻き付けられたドレスに包まれた肢体はヘルベリス様と同等に女性的魅力に溢れている。そんな彼女が宙に浮かんでいるのは背中から伸びる黒い翼手によるものか魔法によるものか。
そして私達を見下ろす目は―――眼球を丸ごと紅玉に置き換えたかの如く、赤一色で満たされていた。
悪魔。
そう呼ぶに相応しい、背筋が震えそうな美貌を備えた異形。
そんな彼女はヘルベリス様へ目を向けると裂けるように笑う。
「懐かしい魔力を感じると思ったら。くっふふふ。久し振りだな~……ヘルベリス!!」
知り合い? 私がそう思った時にはヘルベリス様が一層渋さを増した顔で悪魔の女性に応える。
「……うげ、お前は……エプシロンっ」
エプシロン。
その名前は知っています。それはつい先程思い出した名前。
ヘルベリス様が事あるごとに口にする人。
「我が支配領域たる悪魔の街に踏み込んでくるとは……余程我に会いたかったか? この―――アルダメルバ・エプシロン・クイーンディアベルにな!!」
空中で仁王立ちするように浮かぶ悪魔の女性……魔女アルダメルバ様が声も高らかに名乗りました。それに対してヘルベリス様は両手の中指だけ立ててアルダメルバ様に見せ付けます。
「だーれがお前なんかに会いに来るもんですか!! 私は可愛い可愛いメイちゃんと2人でデートしに来ただけですぅー!!」
「……私とサラをはぶくな」
『オゥン』
ヘルベリス様はギリードリフデン様やサラちゃんの突っ込みも意に介さず舌をベェっと出して言います。
「べーっだ! 帰れ帰れ! あんたと居ると陰気が移るわ!」
「あーあー。能天気が五月蠅いわー。これだから頭パーは困る」
「頭に棒を挿してるのに言われたくなーい!」
「角ですー。この立派で美しい角が棒に見えるなんて本当に脳空。憐れ!」
「……ほーん。……んで? その角が何かの役に立つわけ? 寝る時邪魔じゃない? 横になってる姿想像したら超うけるんですけどー? 枕に穴あくわ」
「お? バカにしてんのか? めっちゃ役立つわ。壁に突き刺して固定したら立ったまま眠れるんだぞこれ」
「何!? ……くっ、ちょっと羨ましい……って言うかアホめ! 寝苦しいわ! 服着る時とかも絶対引っ掛かるわ!」
「服着る時は魔法で引っ込めてるから引っ掛かりません」
「……え? やっぱ邪魔じゃん?」
「うつ伏せになる時や靴紐結ぶ時のおっぱいみたいな存在。それが我が角」
「……ああ、わかりみが深い……。仰向けでも寝苦しかったり」
「貧乳はそこんとこ気にしなくて楽そう」
「せやね。肩も凝らないだろうし」
「ないちちイエーイ」
「貧乳イエーイ」
地面に降り立ったアルダメルバ様とヘルベリス様がハイタッチ。
……あれ? 仲が悪いって話じゃ―――
「「隙有りぃいいいいいいいいいッ!!」」
そんな言葉と共にハイタッチに用いられた手が硬く握り絞められ、拳が放たれる。
ゴシャア、と頬に拳がめり込む音が鳴る。―――お互いに。
「「ブヘェエ!?」」
互いが打ち出した拳が。相手の頬に突き刺さった。
後で知る、ダブルクロスカウンターである。
「ええっ!?」
突然の暴力。
それに私は驚きの声をもらす。だがヘルベリス様とアルダメルバはそんな私を気にすることも無く拳に力を込めて相手を押し飛ばそうとする。
「ぐぎぎぎ……ッ。この人でなしめぇえ。―――殴ったね!? 乙女の顔を!? オヤジにもぶたれたことないのに!!」
「ぬぐぐぐ……ッ。我らに親など居らぬはマヌケぇえ。―――女王の尊顔に不敬を働くとは!? 処刑だ処刑!!」
ヘルベリス様は拳を引くと目にも留まらぬ速度でアッパーを放つ。それに顎を打ち抜かれるアルダメルバ様……しかし直ぐに姿勢を戻すとフックで反撃、横腹に叩き込む。そのどちらも重く響く音を立てており生半可な威力ではないことを私に伝える。
そして始まる地に足を着けての壮絶な殴り合い。一撃一撃が周囲の空気を震わせる。いつかのギリードリフデン様との殴り合いを思い返す光景。
―――それと同時に交わされる2人の罵詈雑言。
「てめぇ人ん家の薬に聖水仕込むたぁどういう了見だゴラ!?」
「飲んだのかアレ! ざまあ! 店員抱き込んで仕組んだ甲斐があったわ!」
「陰湿っ、やることが陰湿! これだから陰キャは性質が悪いのよ!」
「誰が陰キャだボケ!? この頭のネジが外れた豆電球が!」
「そうそうチカチカ点滅が鬱陶しい……って私が鬱陶しいだとぅ!?」
「事実だろがい!」
「無根ですぅ。私ほど慎ましくて貞淑な魔女は居ませんー」
「は? うざ。耳の近くで蚊が飛んだ気分」
「あ? 虫が何かほざいてる~☆ ヘルちゃん何言ってるか分かんな~い☆」
「……死ねブス!!」
「くたばれアバズレ!!」
あわわわわ……、大変です。
どんどん加熱していく2人の殴り合いに私は恐れ戦くことしか出来ません。
そ、そうだ。こういう時はギリードリフデン様に助けを……って、そういえば少し前から存在感が無くなっていたような―――
「…………」
「あれ?」
「…………」
「あ、あの……どうしましたかギリードリフデン様?」
どういう訳かギリードリフデン様は御自身の胸に手を当てて真顔になっていました。そして私に声を掛けられて反応したのか、光の無くなった目を向けてきます。
「……大丈夫ですか?」
もしや具合が悪く?
「……―――いか……」
え? 何か呟いて―――
「おっぱいが有るのがそんなに偉いか?」
「…………」
私は一瞬、何を言われたのか理解出来ず言葉を失います。
そんな私に構うことなくギリードリフデン様は殴り合う2人へ顔を向けます。
「まるで邪魔物のように言っているくせに? それを誇示するような格好を着て? ハハ。意味不。『持つ者』は傲慢でありますな。メイ氏もそうは思いませぬか? ん?」
「口調がおかしいです」
「まー私は別に羨ましくとも何ともないんですがねー? あー、寝苦しいこともないし肩も凝らなくて楽ですわー」
「…………」
変。ギリードリフデン様の様子が変です。
一体どうしちゃったんでしょう。
―――“メイは知らなかった。今のギリードリフデンの状態を。”
“これは言わば堪忍袋の緒が切れる直前の状態であり、度重なるトラブル(主にヘルベリスが原因)と誹謗中傷(被害妄想込み)によって彼女の理性は風前の灯火となっていた。”
“もし。もしもあと少し、彼女の心を苛む要因が有れば―――”
「「そのおっぱい捥ぎ取って貧乳にしてやる!!」」
“―――爆発する”
ブチッ
「え?」
そんな何かが切れる音を私は聞いた。
何処から?
それはギリードリフデン様から聞こえた音でした。
「―――ボーリングしようぜ。お前等ピンな」
ギリードリフデン様は喧嘩をしている2人を指差してそう言いました。
「「……へ?」」
その言葉に反応したヘルベリス様とアルダメルバ様。
―――その2人の姿が突如として掻き消える。
いや、消えたのではない。
弾き飛ばされたのだ。
幾千幾万……幾億の『腕』を束ねて編み上げた、一本の巨大な腕によって。
それはギリードリフデン様が自身の右腕に絡めて纏わせた異形の腕。
そこから放たれた拳は地鳴りのように空気を唸らせるとヘルベリス様とアルダメルバ様を殴り飛ばした。
「ぼいんっ!?」「たわわっ!?」
超強烈な一撃。それをもろに食らった2人はきりもみしながら宙を舞う。
そして落下。「げふぅ」という苦痛の声と共に地に伏す。
異形の腕を解除し、元に戻った腕を引いたギリードリフデン様は清々しい表情で言います。
「ストライーク」
とっても良い笑顔。ギリードリフデン様は白目を剥いて地面に転がるヘルベリス様とアルダメルバ様を眺めてそんな表情を浮かべていました。
呆然と立ち尽くす私。そこへギリードリフデン様が声を掛けてくる。
「さて。面倒事も片付けたし、残りの手続きも早々に終えてしまおうか」
「え、あ、……わかりました」
とにかく頷くことしか出来ない私に背を向けて、ギリードリフデン様はいつの間にか簀巻きにしていたヘルベリス様とアルダメルバ様を引き摺りながら歩き出す。
ずるずると引き摺られる魔女2人。
白目のまま、蚊の鳴くような声をもらす。
「……ぷり……ん……」
「ましゅ……まろ……」
―――その意味不明な言葉が辞世の句だったのか、2人はそれを最後にガクッと気を失った。
……え? このままサラちゃんの健康診断や予防接種を済ませるんですか?
だ、大丈夫なんでしょうか。不安です……
『わぉーん』
悪魔の街にサラちゃんの遠吠えがこだました。
“不滅の軍勢”ギリードリフデン・ガンマ・イモータルアーミー
その能力は『一にして全。全にして一』
自身が創造した八千億体の軍勢、その力を一身に宿す。更には部分的概念的にも軍勢を顕現することも可能であり、今回のような数億の腕を束ねて打撃を放つ攻撃も可能。
そしてその真価は、顕現した軍勢一体一体に『更に』軍勢を『上乗せ』することにある。
そうして生まれる八千億二乗を上回る魔力質量。
それは世界さえも押し潰すエネルギーとなる。
―――ちなみに、若かりし頃のギリードリフデンは内気なボッチガールだった。現在のお堅い態度は処世術であり仮面。
そんな彼女は自分とは真逆の存在に心惹かれた。




