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27.呪文 原初の言葉 私の―――


『私どうかしてました』

「だろうな」


 淑女仮面事件後。席に戻ったアンテルミ様は開口一番に自分は正気ではなかった旨を伝え、それにギリードリフデン様が相槌を打った。


「……大丈夫ですか? ヘルベリス様」

「へーきへーき。このままお昼寝できそうなぐらいよ☆」


 ちなみにヘルベリス様は私の隣りに座るギリードリフデン様の逆隣りの席で簀巻きにされて座らされている。そしてお顔が強烈なパンチを受けて『*』みたいにめり込んでる……え? 本当に大丈夫なんですか?


「ほう? ならそのまま長い長ーい眠りに付かせてやろうか?」

「いやーん。デンデン怖ぁ~い」


 ギリードリフデン様は勝手なことをしたヘルベリス様にお灸を据えるという名目で、こうして拘束を施して現在に至る。……快活に笑うヘルベリス様は全く堪えた様子は無いですが……。


「あ、そうだそうだ。ねぇーメイちゃん」

「はい、何でしょうか?」


 ヘルベリス様が声を掛けてきた。それを受けて私は少し前に体を倒しギリードリフデン様の向こうに座るヘルベリス様の方へ顔を向けた。


「“契約書”作っちゃう前に……“魔惹(まび)き”の説明をしましょうか」

「…………」


 ……ああ。確かにヘルベリス様は淑女仮面事件の最初の方でそんなことを言っていました。


 “魔惹き”

 名前だけは何度か他の人から聞いたことは有りましたが、それが意味する所は知らないまま。

 いったいどんな意味がある名前なのでしょう?


「“魔惹き”はね~。人の中から(まれ)に産まれてくる異端児の呼称なの」


 ポンッという音と共にヘルベリス様の(へこ)んでいたお顔が元に戻る。……スゴいね人体。


「……異端児」

「うん。それでその子達は見た目に特徴が出るの。だいたいこんな特徴を持ってるわ」


 ヘルベリス様は自身の頭と目を指差す。……あれ? 拘束は? ……そんな疑問を流すようにヘルベリス様は言葉の続きを口にした。


「『黒髪で黒目』」

「……黒髪……黒目……」


 私と、同じ? ……いや、違う。

 他でもない。私がその異端児たる“魔惹き”の特徴を持っているのだ。


「何が影響して髪と瞳が黒くなるのかは未だ解明されていないけど、そうして両方が黒くなっちゃうのは確実に“魔惹き”の力を持っている証になるの」

「“魔惹き”の力……とは?」

「すっごい力よー。とってもユニーク」


 ヘルベリス様はそう言うと席を立つ。拘束はもう完全に解かれている。


「例えばメイちゃんがやっても平気なこと」


 アンテルミ様のお家に壊れて出来た大穴。そこから顔を覗かせていたサラちゃんの元へヘルベリス様は歩み寄る。


「は~いサラちゃん。ちょっと失礼しまーす」

『ワオ?』


 ヘルベリス様はサラちゃんの口に両手をそえるとグワーっと大きく開かせる。

 人の頭を丸呑み出来そうな大きなお口。サラちゃんはその口で毎日たくさんのご飯を食べている。大きな牙と存在感のある舌が外気に晒される。


「よいしょっと」


 ……そんな口の中にヘルベリス様は自分の頭を差し込む。


「イエーイ☆ メイちゃん見てる~? メイちゃんってサラちゃんの歯磨きしてあげてる時こうして頭を突っ込んで―――」


『ガブッ』


 ―――噛まれた。


「……ってぇええええええええええええええええっっ!!?」


 へ、ヘルベリス様の頭が!? サラちゃんの口の中に!?

 頭部を丸ごと呑み込まれるように噛まれたヘルベリス様。


『―――まあ。こんな感じで、普通なら魔獣の口の中に頭なんか入れたらパックンチョされるのよね~』

『ングルルルルゥ……ガリガリガリ……』


 しかしヘルベリス様はそれを気にした素振りも無く身振り手振りを交えて説明を続ける。

 逞しすぎませんか? サラちゃん結構本気で噛み付いてますよ? 熊とか鹿の大腿骨を噛み砕いてる時と同じ形相になってますよ?

 そんな状態でヘルベリス様はビシッと指を指す。


『それなのにメイちゃんが噛まれないのは……メイちゃんが『魔獣を惹き付ける』存在、つまり“魔惹き”だからなの!!』


 魔獣を惹き付ける? ……って私に話し掛けてくれているのはわかりますが、指差す方向が違います。そこには家の瓦礫しか有りませんよ?


『“魔惹き”は魔獣全般から懐かれやすくなるの。まああくまで懐かれやすいってだけだから魔獣のお眼鏡に適わないと手痛い目に遭ったりしちゃうけどね~。まあその懐かれやすさも個人差が在ってね……メイちゃんは上から数えた方が早いレベルだと思うよ☆』


 あ、説明はそのまま続行するんですね。……つまり私がサラちゃんと仲良く出来ているのはその“魔惹き”の特性が在るから?



『【魔王】』



 私はその単語を口にした人へ目を向ける。


『昔の話ですが……―――あるところに1人の男が居ました。彼は黒髪黒目で生まれ付き不思議な力を有していました』


 アンテルミ様が口角を僅かに上げた、小さな笑みを浮かべ、囁くような声で言う。


『その男が持っていた力こそが“魔惹き”。これまでの歴史においても度々その存在が各地で生まれていましたが、彼の物の力はそれらとは隔絶していました。その力は男が直接魔獣と対面せずとも、彼と繋がりの有る魔獣が別の魔獣と接するという間接的な物であっても惹き寄せることを可能としました』


 悪魔は語る。

 過去、この世界で実際に起きた、出来事を。


『どのような生い立ちでどのような人生を歩んで来たのか誰も知りません。……ですが一つ確かなのは彼の物は『この世界を憎んでいた』ということでしょう。

 だから彼は従えました。数多の魔獣を。

 次に行動を起こしました。この世界に生きる者達へ宣戦布告する為に。

 ―――そうして世界を巻き込む騒乱が発生しました。人魔共に多大な犠牲が生まれた戦いでした。そして魔獣を従えし人類の敵はこう呼ばれることとなりました。―――魔王、と』

「…………」


 それは私も知っている物語。

 世界に災厄を振りまいた魔王。その結末は魔王の死という形で幕が下ろされる。人の中から生まれた“勇者”という存在とその仲間達の手によって討たれるという最後で。


 歴史に刻まれ。

 本に綴られ。

 詩人が謡い。

 家族が寝物語に伝える。

 そうして今にまで繋げられた過去の記録。黒髪黒目が忌み子と呼ばれるようになった原因。


 私が……虐げられてきた理由。


『……“魔惹き”の力は持っていても目覚めず亡くなる人は多い。何故なら目覚める条件は『この世全てに絶望する』ことが条件だから。皮肉とは思わないかしら? この世全て……それはつまり愛してくれる人がただの1人でも存在してくれさえすれば“魔惹き”の子達は世界に牙を剥くことなんて無かったということなんだから』


 絶望。

 ……ああ……確かに……そうだ。

 あの日の私に(こいねが)う望みなんて何一つ無かったのだから。


 あの日、奴隷商に売られ馬車で運ばれていた私が、こうして生き残っている理由。魔獣が私を襲わなかった理由。


 あれは偶然ではない運が良かったわけでも魔獣の気まぐれでもない。

 必然だった。

 あの時の私の思考を埋め尽くしていた『逃げたい』という意志。それをあの魔獣……サラちゃんの家族が聞き届け、叶えた―――私の意志を阻む全ての存在を食い尽くして。


 ……つまり。つまりあの日。流れた血の原因は、間接的にせよ人が死ぬことになったのは―――


『良かったね』

「……え?」


 アンテルミ様が唐突に私へ向かってそんなことを言った。


『見ればわかるよ。今の貴女は世界に絶望していない。自分が原因で誰かの血が流れてしまったことを後悔してる……そう思える……“愛”が在る』

「……あ……い」

『良かったね。貴女には貴女へ愛を教えてくれる人が居る。愛を与えてくれる人が居る。……どれだけ後悔してもいい。どれだけ不安を抱いても悲しみを覚えてもいい。……だからこそ貴女はその“愛”を忘れてはいけません』


 アンテルミ様が私の手を取ると、指先をそっと撫でる。

 血。

 私の指から赤い血の雫が玉のように滲み出す。

 痛みはまるで無い。まるで汗が肌から出るように血は流れる。


『さあメイ。契約を』


 血の雫が契約書へ落ちる。

 波紋。書の表面がまるで水溜まりのように揺れて波紋を作る。


『“呪文”とは原初の言葉。その音、響き、繋がり、形、数多あれど。それは発する者がこの世界へ届けた“想いの声”に他ならない』


 揺れる。契約書の上から文字列が消え、白紙となる。


『さあ教えて、メイ。貴女の呪文を。貴女と使い魔を繋ぐ“想い(呪文)”を』

「――――――」


 私は書面から目を離すと顔を動かして別の方へ顔を向ける。


『―――そろそろ噛むの止めて頂けませんかね~』

『ガジガジガジガジ』

『おいおい、私の頭は骨っこじゃねえぞ~。HAHAHAHAHA☆ ……メイちゃーん!? そろそろ助けてー!? 生温かいよー!? 生臭いよー!? 私の髪にワンコの唾液が染み付いちゃうー!?』


 賑やか。ドタバタと。

 私はその光景を見て……笑った。


「……愛」


 アンテルミ様の笑みが優しい物になる。彼女は『うん』と頷いて私の言葉の続きを促す。

 私が口にする……呪文を。


「私と使い魔……サラちゃんを繋げる呪文は―――『愛』です」


 白紙の契約書が光を放つ。


『素晴らしい呪文です。メイ。その呪文(想い)、忘れないでください。ずっとずっと』

「―――はい!」


 契約書に文字が浮かび上がる。

 その文字は学の無い私にも理解出来る魔法文字で刻まれていた。



 ――――――


 “汝が唱えし【呪文】で使い魔と汝を繋ぐことをここに記す この契約 汝の想い果てるまで”


 ――――――



 ―――こうして私とサラちゃんとの契約書を作るのは無事に終わった。


「臭くない!? 私の髪臭くない!?」

「……へーきへーき……です……」

「メイちゃんちょっと遠くない!? 物理的に距離が遠い!?」


 ありがとうヘルベリス様。私は貴女が与えてくれたこの『呪文』を大切にします。


『ォオオオーン』

「このクソ犬ぅうううう!? 陽気に吼えおってぇええええ!! メイちゃんに避けられちゃったじゃないのぉおおお!? びぇええええええええん!!?」


 ……ふふ。


「えい」

「わっひゃ!? ―――……メイちゃん? 今の私に抱き付いたりして臭くない? 大丈夫?」

「大丈夫です」


 大好き。

 愛してます。

 ずっと一緒に居ましょうね、ヘルベリス様。サラちゃん。

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