19.ただの犬です
少し早い年納め。皆様、良いお年を。
私は犬さんの足元にある物が落ちているのを見付けた。
「これは……確かヘルベリス様が投げ捨ててた……図鑑、でしたか」
分厚くて重い大きな本。それを両手で拾い上げる。
「開けないから読めない、というようなことを言ってましたね」
これも魔法の品なのでしょうか? 鍵が掛かっているとか。
私は無駄だとは思いつつ表紙に手を掛けて開こうと試みる。
『アオーン』
「……あれ?」
開きました。あっさりと。
「……ヘルベリス様が帰ってきたら本が開いたと教えましょう」
理由はわかりませんが、開けたのは悪いことではない筈です。私は地面に腰を落としてパラパラと適当に図鑑の頁を捲る。
「…………」
一通り見る。犬さんは本を見始めた私が気になるのか傍で横たわりジッと見詰めてくる。
「……やっぱり読めません」
文字の勉強なんてこれまでしたことは無いので読める筈がなかった。やはりあの魔法文字という物が特殊なのだと改めて思った。文字が読めない無学で無知蒙昧な私のような者でも意味を解せるのだから。
「……でも」
文字は読めなくとも見られる物はある。
「きれい」
図鑑に描かれた絵。それに私は夢中になる。
「花。木。……これは食べ物? それに動物」
まるで実物のように精緻に描かれた草花や生き物の数々。着色もされているそれらはまるで本の中で息づいているように感じられる。
「あ」
とある頁で私の手が止まる。
「これは犬さん?」
『ワホ?』
そこに描かれていたのは犬さんによく似た絵。犬さんの端にはとても小さな人の絵も描かれている。その掌と爪ぐらいの差がある絵を指差して犬さんに顔を向ける。
「これぐらい大きくなるの?」
『……ワフ?』
「貴方はまだ子供なんだね。……私と一緒」
犬さんの顎の下を撫でる。優しくするよりも強めに撫でる方が好きみたいでワシワシと撫でると目を細めて気持ち良さそうにする。
「馬車や商人を襲った犬さんの仲間は大きかったですけど絵に描いてあるほどじゃない。……もしかして兄弟かな?」
あ。そういえば犬さんの性別を知らない。
後ろに回り込む。
「えい」
『ワオ?』
えいっと後ろ脚を片方持ち上げる。それほど重くなかった……多分犬さんが自主的に脚を上げてくれた。優しい。
……ふむ。
「きんたま無いね」
『アォン』
「じゃあ女の子?」
『ハッハッハッハ』
脚を下ろす……まあ私は手を添えてただけみたいな物だったけど。
「女の子で子供。本当に一緒だね」
私は犬さんが丸くなって寝そべって出来ている輪の中に身を預ける。さっき寝たよりも犬さんの毛皮に包まれてる感が強くなる。
『ワフ』
犬さんの尻尾が私の上に被せられる。
「ありがとう」
ふわふわ。あったか。気持ち良い。
さっきの騒動なんて無かったかのように穏やか。
「……ふぁー……ぁふ……」
欠伸と共に抗い難い睡魔が襲ってくる。私はそれに抵抗することなく目を閉じて受け入れる。
「……起きたら……ヘルベリス様……帰ってきて……くれてる……かな」
『…………』
犬さんの返事は無い。ただ『……スピー……スピー……』と規則正しい息が聞こえてくるだけ。
もう寝ちゃった?
「おやすみ……犬さん……」
私の意識はそのまま―――
◆◆◆
「おはようございまーす☆ 寝起きドッキリのお時間でーす」
木陰からメイちゃんとデカ犬が眠ったのを確認すると、起こさないようにそろ~りそろ~り近付く。
―――え? 何時から居たかって? そんなー、言えないよー。メイちゃんが粗相しちゃった時から居てただなんてー。
気まずそうに恥じらうメイちゃん超可愛い。本人に言ったら拗ねちゃいそうだから言わないけどな! これは私の心のアルバムに刻み込んでおきます! ……うっ……ふぅ……。さて落ち着いた所で寝顔を拝見。
「(ウホッ! 良い寝顔……)」
ほっぺをツンツン。……う~ん。まだまだ痩せすぎ。栄養が足りておらん。でも血色はだいぶ良くなったね。
「……いやー、でも『魔惹き』ってやっぱり凄いねー。普通は人に懐かない魔獣をこんな簡単に手懐けるなんて」
デカ犬の耳を指で摘まんでパタパタする。
『……フガ……フガ? ……ッ!?』
「あ。起きた」
目が覚めたデカ犬は目の前の私を見て一瞬驚き―――
『ッ!!』
真っ黒な瞳から魔力を伴う波動を放つ。
「残念利きませーん☆ わんわんママの眼力も通用しないんだから未熟な子供のなんて無理無理☆」
ベロベロバ~!
「ほら、あんまり騒いじゃうとメイちゃんが起きちゃうよ?」
『……グルルルル』
おっふ。警戒を解いてくれないのよさ。
「初対面だとこんなもんか~。……しょうがない、奥の手を使う。私、奥の手を使うわ」
森の方へ手を振る。
お~い、こっちだよ~。
「お。来た来た」
『……ワッ!?』
デカ犬が森の奥からやって来たものを見てめちゃくちゃ驚く。
「へっへっへ。どうだい? 聞き分けのない子にはな……『親』をぶつけるんだよ」
『――――――』
デカ犬より更にデカい。もうなんか種類自体違う生き物ぐらいサイズ差がある。
超デカ犬。それが木々を掻き分け地を踏み締めているとは思えないほど静かに此方へやって来た。
『グゥウウウ……』
「おっすおっす。元気そうだね、デカイーヌ三世」
うーむ。
近くまで来られると首が痛い。デカすぎるっちゅーの。20mぐらいありそう
何で三世かって? 私が初めて会った柴犬がこいつのおじいちゃんだったからだよ!
「ほらほらデカイーヌ三世。この子、君の子供でしょ? 私が無害だと教えてあげたまえ」
『…………』
お? んだコラ。渋い表情しやがって。私に何か言いたいことでもあんのか?
『……ハァ~~~……』
あ! こいつ溜息吐きやがった!? どういう意味だオイ!?
『……ワンワンオ』
おいぃ……私を無視して子供に話し掛け始めやがった。
『……キャウ?』
『ワウガウ』
『……キューン』
『ワン』
『アウン?』
『ワッフ』
無視か。2人?して私を無視するか。
いいもんいいもん。勝手にすればぁー? 私は隅っこでいじけてますよーだ。
「いじいじ、いじいじ」
指先で地面をぐりぐり……ミミズさんこんにちは。良い天気だね。私の心は雨模様だよ。
『『…………』』
「いやん、何? どうしたの? 2匹してそんなに見詰めて」
そんなにまじまじ見られると私照れちゃう♡
『『……ハァ~~~……』』
「おう、その溜息はなんだ? 話があるなら聞こうじゃないか」
まるで私が厄介者みたいな扱い。訴訟物だよ。
『……ガウ』
おやおや? 帰るのかい? 私にあれだけ意味深な目を向けながら理由の説明ぶん投げて帰っちゃうの?
親犬は私のそんな気持ちを知ってか知らずかのそのそと森の奥へと立ち去って行く。
「マジで帰りおったぜ……」
『…………』
「ねえねえデカ犬ちゃん改めデカイーヌ四世。君はママから私のこと、なんて聞いたのかな? 優しい人? 綺麗な人? 可愛い人? マジ尊敬出来る人? いっそ神と呼んでくれてかまわんよ」
『……グゥ……グゥ……』
「え? このタイミングで寝る?」
おーい。結局君達にとって私は何なんさ。
……まあでも! 威嚇されないってことは受け入れて貰えたってことだよね!
良かった良かった☆ めでたしめでたし☆
柴犬の会話。
『ワンワンオ(娘よ。こいつのことは気にしてはいけない)』
『……キャウ?(……なんでなんで?)』
『ワウガウ(マジキチ。マジキチなのよこいつは)』
『……キューン(……マ、マジキチ)』
『ワン(牙を剥くだけ損。百害あって一利無し。何度寝床を恥辱で濡らしたか数え切れない……)』
『アウン?(じゃあどうすれば?)』
『ワッフ(只の犬として振る舞うのが最善。父の代から私達はそうして生きてきた。……生きてきたのよ)』
(……お母ちゃんから哀愁を感じる)
さらば戌年。君のことは忘れない。