12.魔女様の世界は複雑です
ヘルベリス様とギリードリフデン様が姿を消して幾分か時間が過ぎた。
「……大丈夫ですか?」
「……なんとか」
テーブルに突っ伏しているセンテルス様の背中をさすりながら私は彼女の体調を案じる。
「……人間のあんたにはわからないと思うけど……」
腕を枕代わりに顔を埋めたままセンテルス様はぽつりぽつりと話し出す。
「序列持ちの方達は私みたいな十把一絡げで扱えるような凡庸な魔女とは違うのよ。例えるならそうね……王様―――」
「王様……」
それは……とても凄い立場ということですね。
「―――王様をフルボッコにして足蹴にしても誰も文句を言えないような立場よ」
「…………」
王様よりも凄かった。
「あー……緊張で胃に穴が開くかと思った……」
「……緊張するとお腹に穴が開くんですか?」
「……うん、開いちゃうのよ」
「痛そうです。大丈夫ですか?」
「……あんた良い子ね本当に」
頭を上げたセンテルス様はそのまま席を立つ。
「ちょっと待ってなさい。お菓子用意してあげるから。勿論人間が食べても良い物よ。私、たくさん勉強したのだから」
「……旦那様の為にですか?」
あれ? そういえばまだ結婚はしていなかったんでしたっけ?
「ま、まあね。……魔女は『呪物』っていう人間にとっては毒みたいな物でも平気で食べられちゃうから、魔女以外の生き物に何か食べ物を振る舞う時は気を付けないといけないのよ。……ちなみにデルタ様に何か変な物は食べさせられてない? 収穫する時に悲鳴上げる人型をした根菜とか。もし普通の人間が呪い抜きしないまま口にしたらお腹壊すじゃ済まないわよ?」
「……食べては……ないですね」
台所に怪しい物がたくさん有りましたね、そういえば。……もしかして私、結構危なかったのでしょうか?
「まあガンマ様とデルタ様の話しを聞いた限りあんたのご飯のこと、ちゃんと考えてくれてたみたいだし心配は要らないかな。……でも、今でも信じられないわ。あのデルタ様が人間の子を育てようとしているだなんて」
「……そうなんですか?」
「なんて言ったらいいかな……」
センテルス様は辺りを見回す。どうやら今から口にすることは本人に聞かれたくない、つまりはヘルベリス様の耳に入れたくない話しのようです。
「大丈夫です。……ヘルベリス様が他の魔女様達からどんな風に見られているか、大広間での時になんとなくわかりましたから」
魔女様達にとってヘルベリス様はとっても恐ろしい存在のようでした。なりふり構わず逃げ出そうとするほど。
センテルス様は少しばつが悪そうな顔をすると私の頭を撫でてくれる。
「ごめんね? あんたがデルタ様を慕ってるらしいことも、デルタ様があんたを大事にしてるらしいことも見てたらわかるんだけど……それを素直に信じるにはちょっとデルタ様の過去の行いが、ね」
「…………」
本当にヘルベリス様は過去に何をしてきたんでしょうか? あの大広間でやっていたことを日常的にしていらしたんでしょうか? もしそうならセンテルス様が距離を置きたがる理由には十分です。……あれ? そういえば……。
「そういえば、センテルス様」
「どうしたの」
「どうしてセンテルス様はガンマ様のことも恐がっているんですか?」
「――――――」
会ってまだ間も無いですが、ガンマ様はかなり常識的な人……魔女の方だったように見受けられます。それなのにセンテルス様はガンマ様の側に居る時必要以上に緊張を強いられているように見えた。
センテルス様の表情が目に見えて引き攣る。
「あんた……ガンマ様のことはどう見えた? 優しくて常識的?」
「……はい。……違うのですか?」
「……間違ってないわ。間違ってはいないのよそれで。ガンマ様は不在がちなアルファ様やベータ様の代わりにこの『螺旋世界グランギニョル』の魔女達の小さな集い……『魔女集会』を取り仕切ってくれる実質的なトップ。魔女間のトラブルはもとより人間との関わり方にだって忠告してくれる。全ては魔女全体のことを考えた上での行動。序列を持ってない私みたいな魔女達全員の面倒をガンマ様が見てくれていると言っても過言じゃないわ」
私が抱いた印象は間違っていないらしい。ならどうしてセンテルス様の表情は晴れないのでしょう。
「でもね」
そんな疑問に対してセンテルス様は答えをくれた。
「デルタ様と絡んだ時だけは話しが別」
青い顔になり震えた声でセンテルス様は続きを口にした。
「あの御2方は……『悪ノリ』するのよ」
「……わるのり?」
わるのりって何ですか?
「普段は真面目なのよガンマ様は。……でもデルタ様と関わるとその真面目さが嘘みたいに滅茶苦茶やり出すのよ」
「……あ」
成る程、納得しました。
あの時センテルス様が私に言った『いや違うからね? アレを魔女の一般と思わないでほしいんだけど』という言葉にはそんな意味があったんですね。ガンマ様は何時もならあんな理解不能な行動はしない方で、ヘルベリス様と顔を合わせた時だけあのような振る舞いをすると。
「でも、何でなのでしょう?」
どうして真面目な方らしいガンマ様がデルタ様と関わるとそのようになってしまうのでしょう?
「―――ええい! 全くっ! あれ程勝手に動くなと言っただろう!?」
「痛い痛い! 耳引っ張らないで~! デンデン酷~い!」
あ、2人が帰ってきた。
「うっ……戻って来た。……胃が痛い」
ああ、大変です。センテルス様の胃に穴が出来てしまいます……。
「―――本当に仕方が無い奴だ。お前は」
……あれ? ギリードリフデン様、笑ってる?
ヘルベリス様の耳を引っ張りながら戻って来たギリードリフデン様はどこか嬉しそうに微笑んでいた。まるで―――
「…………」
「待たせて済まなかったな……って、何だ? 私の顔に何か付いているのかメイ」
「……ギリードリフデン様は」
テーブルの近くまで来たギリードリフデン様を見上げながら私は自分が感じたことを素直に口に出す。
「ヘルベリス様のことが好きなんですか?」
「――――――」
私の言葉を聞いたギリードリフデン様はまるで凍てついた水が固まるように動きを止めると―――
「―――……ファッ!!?」
その綺麗な顔を真っ赤に染めて奇声を上げた。
「きっ! き、ききき貴様は何を言っている!? 私っ! 私がっ!? こいつのことが……すっ! すすすすす……しゅきっ!!? しゅきと言ったのか!? ……は、はは……ハハハハハハ!! そんなことあるわけにゃかろう! だってヘルだぞ!? いつもめちゃくちゃしてわたしを困らせちゃう奴だぞ!? ……いやいやいや無い無い無い! も、もーう仕方が無い奴だなメイはー!? そんな変なことを言うなんてー!? ハハハハハハ!」
……わぁ……ギリードリフデン様……。
「 ? ……どうしたのデンデン? なんでそんなに汗掻いてるの?」
「い、いやー! さっき動きすぎた所為だな!それで汗掻いた! お前が急に逃げちゃうからなー! 仕方無いな本当にー!」
「ふーん。変なデンデン。私達があれぐらいで疲れるかなー? 最近『軍勢』の子達に色々任せて鈍ってるんじゃない? ダメだよ自分で運動しないと~」
「そうだな! そうかもしれん! きっとそうだ!」
……ヘルベリス様……本気ですか? まさか本気でわかってない?
「…………」
「メイちゃん? どうして私のことをそんな見詰めてるのぉ? えへへ~照れるな~♡」
……魔女様の世界は本当に複雑です。