#七十五 帝国憲法(二)
「なに、心配するな。憲法があろうがなかろうが、庶民の暮らしが何か変わるワケじゃない」
「そりゃそうかもしれないけど」
小波に諭されても、納得いかない様子のコガネ。
外からは騒ぎ声がまだ聞こえてくる。確かに彼ら彼女らの大半にとっては、騒ぐ口実さえあれば憲法でも何でもいいのかもしれない。
「……あのさあ」
コガネが切り出した。
「オイラは貉だから学校とか行けねえけど、配達のない時に事務所でシズ子さんに読み書きとか教わってるんだ」
「知ってるよ。事務所には俺もいるんだから」
小波が仕事する横でやってるんだから、知らないはずがない。
「それで、まだその新聞みたいな漢字のいっぱいあるヤツは読めねえけど、いつかはそういう新聞とか本とか、アニキの言ってたブンガクみたいなのも読めるようになりたいって思うんだ」
「……そうだな」
コガネの言葉に目を細める小波。このご時世、怪にだって学のあった方がいいだろう。福沢諭吉(※五十二)も勧めてるんだし。
「幸か不幸か、配達の仕事は当分なくなりそうにないからな。食うには困らねえよ」
博文のように、政治や憲法を利用して好き勝手しようと企むヤツがいる限り、東京から悪しきものたちは一掃されない。
美妙が抜けたこともあって、小波たち配達員もまだまだ忙しい日々が続きそうだ。
「俺も、もっと気合い入れねえとな」
巌谷小波、この時十九歳。少年文学「こがね丸」で世に知られるようになるのは、もう少し先の話。
【了】
※五十二 福沢諭吉…中津藩出身の洋学者。独学で英学(英国の学問)を学び、幕府の遣欧使節に通訳として参加した。著書に「学問のすゝめ」など。慶應義塾(後の慶応義塾大学)の創設者としても知られる。




