#四十九 五重塔(三)
「黒田清隆……?」
男の口から出てきた意外な名前に、コガネが小声でつぶやく。
そのつぶやきには気付かない様子で、捌胃婆は男に尋ねた。
「いいのかい、その名前で間違いはないのかい」
「ああ。これ以上薩長の連中をのさばらせると、国にとって害になる。あんたは依頼した相手を暗殺してくれるんだろう?」
男の言葉を聞いて、小波は納得がいったようにうなずく。
「なるほど、そういうことか」
「どういうことだ?」
ピンときてないコガネに小波が説明する。
「明磁政府はけっこう不安定なところがあるんだ。大久保利通(※三十五)も、紀尾井坂の変(※三十六)で暗殺されてるしな」
「ふうん」
コガネがうなずく間も、男と捌胃婆のやり取りは続く。
「その話、どこから聞いたんだい」
「俺らの間じゃ評判だぜ。凄腕の殺し屋が、どんなやつでも殺してくれるって」
「そうかい。だけど、その話は間違ってるねえ」
「何だと?」
捌胃婆が男に迫る。その挙動に不審なものを感じたのか、後ずさりする男。
「アタシが殺すのは、オマエみたいなお上に弓引くやつだけだよ!」
「!?」
叫び声と共に、捌胃婆の顔が縦にパカッと割れて、中から口が飛び出す。
その牙が一直線に狙うのは、男の腹。
だんっ。
銃声が響いて、口の軌道があらぬ方向へ逸れる。
「ハイそこまでー」
ずっと隠れてた小波が、やっと捌胃婆の前に姿を見せた。
「ちなみに今のは御伽創死、拳骨蛇行な」
誰も興味ないってわかってても、一応言わずにはいられない。
※三十五 大久保利通…薩摩藩出身の政治家。討幕の中心的役割を担い、新政府でも内務卿として改革を主導したが、独裁に近い強引な手法は周囲の反発を招き、後の暗殺へとつながった。
※三十六 紀尾井坂の変…明磁十一年、東京の紀尾井坂で大久保利通が暗殺された事件。前島密は事件の直後に現場へ駆けつけて、大久保の遺体を目撃した。




