これまでの歩み、これからの歩み
「あなたって、何者なの?」
食後のテーブルトークは小さな質問から切り出される。
「わわ私、でしょうか」
「うん」
先刻彼女が口に漏らしていた、次元越えの魔法…
そしてそれを成功させたのが歴代で二人目ということ。
技術を喪失する規模の大戦の後の世界ではそれも定かな情報ではないのだろうが、公に知られている人間として今まで一人しか出来なかったことを成し遂げたというのでも驚嘆に値する事実だ。
「そんなの、簡単にできることじゃないんでしょう」
「あー…なんというか…」
彼女は言いにくそうに頬を掻く。
無理に問い詰めるのも彼女に申し訳ないかと、矢継ぎ早に溢れ出さんとする質問を喉元に押し留める。
「…え、と、とりあえず…名前は、アルシエルといいます…シエル、って呼ばれてますです」
「あぁ、あたしも名前がまだだったっけ…あたしは飯田枝温、シオンでいいわ」
よろしく、と互いにペコリと頭を下げ軽い挨拶を済ませる。
こんなことをする余裕すらないほどに、先程までのシオンは混乱していた。
シエルのお陰で落ち着きを取り戻し、ようやくできたことなのだ。
「それで…」
「え、は、はい……その、私、国からちょっと嫌われてるっていうか……あんまり好ましく思われてないっていうか…」
「え゛…っ」
思わず頬が引き攣る。
どういうことだ?嫌われる?とはいえ悪人にはとても見えない。
「あ、あんまりわからないけど…その、大丈夫よ、まずは話せるところから…ね?」
とは言いつつも、規模が国では話が別だろうなとシオンは感じた。
「(…何も辛いのはあたしだけじゃないってのにね…)」
先程までの己の振る舞いを思い出し、シオンは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
そうだ、シオンの人生も壮絶ではあるが、辛いのはなにもシオンに限った話ではない。
その人間が背負う辛さというものは、他と比較することなどできないのだ。
程度の問題ではない。
誰も彼も、辛いのだ。
苦しんでいるのだ。
その背にのしかかる重圧と戦いながら、それでも、
生きているのだ。
「(甘えてたわね…あたし)」
本当はシオンも心のどこかで知っていたのだ。
死のうとすることも、自暴自棄になることも、それは親が望んでいることではない。
どの世界でもいい、次元が何だっていい。
新たな人生を歩み、幸せになれれば。
「…ありがとう、シエル」
「え、え…?」
「…ううん、独り言…とも違うか、…差し支えない範囲で、あたしにも聞かせて?」
「は…はい」
なればこそ、話すか話さないかはシエルに委ねる。
どんな重みを背負っているのか、もう捨ててもいい荷物はないのか。
それを知る契機となる手助けに、シオンもなりたいと考えたのだった。
そして、腹を括ったような精悍な顔つきで、シエルが真っ直ぐにシオンを見据え、己の人生の軌跡の様子を吐露し始める。
「…私…その、純血種じゃないんですよ…見てください」
言うや否や、彼女の頭から飛び出したのは、
「動物の…耳?」
「変、ですよね…この世界では差別の対象です」
差別。
その一言だけでも、分かる。
その苦しみが。
「…もちろん、ここもそれなりに歴史はありますから…社会的には認められた存在ですけれど…純血の人間から見ると、やっぱり下劣な存在みたいです」
「…………」
「お父さんも獣人で、お母さんが純血でした…それでも二人は、ちゃんと愛し合えたのに…」
ランタンの揺れる炎が、シエルの目元に光る粒をキラキラと照らし出した。
「…世界のみんなが、お父さんとお母さんみたいならよかったのに…」
「…荒んだ世界じゃ…人も…汚れるわよね…」
俯いて顔を手で覆うシエルがコクンと頷いた。
だが、お弁当屋さんは接客業だ。
異界の人間とはいえ、見た目には純血の人間であるシオンと、獣人の血というだけで忌み嫌われるシエル。
前途は多難だが、二人が組むことで少しでも差別撤廃に繋がれば…
そう考えるシオンはまだ、
自分が既に、新たな人生へのスタートに向け、以前までの無気力な自身を捨て去れているということに気付いていない。
「…辛かったわよね」
「でも、だから、私…いっぱい頑張らなきゃって、獣人の血が流れてても、人間と一緒のことが出来るんだって、見返したくて…」
「…それで、魔法を?」
「…はい」
シオンは息を呑んだ。
差別に屈せず、かと言って武力に訴えるでもなく、
ひたむきな努力だけで、かつて次元越えを果たした歴代最高の魔術師と肩を並べんとする所まで来たのだ。
大戦はもう200年近く前のものと言うが、
シオンの世界にも、遥か昔の部落差別なるものが今なお残っていたところを考えれば…
とてつもなく苦しい状況の中で、負けずに生きてきたのだということが察せる。
「頑張ったのね、きっと私なんかには想像もできないほど…」
「…………」
だが、そうなると一つの疑問が湧き上がる。
「…もし大丈夫なら教えて欲しいんだけど…そんなにすごい魔法使いなら…何でお弁当屋さんなの?」
シエルは、赤くなった目元を拭い、再びキリリとした表情を作る。
もう、大丈夫だと。
「…この国では、昔から、高位の魔術師は国の抱えとして働く権利や、それに付随する様々な特典があります」
「なら…」
「この国は、…このガルバンディアは…また戦争をするつもりなのかもしれないんです」
ヒュッと、喉が鳴った気がした。
とんでもない話だ。
人生に絶望していたら異界に飛ばされた、過去を振り切って新たなスタートを切ろうとしたら戦争するかもしれないとか言われた。
「…蹴ったのね」
「以前からおかしい所は感じていましたし…戦後間もないこんな国じゃ、改めて侵攻に乗り出すのは不思議じゃない…かもです」
彼女は優しいのだ、とにかく優しかったのだ。
だから、争いに力添えするための魔法ではないと言って断ったのだろう。
それがきっと、彼女への差別を加速させることになんて構わず。
「…本当に戦争になったら、闘うことも覚悟します…それが、力を持つ人間の運命です…」
「…私もだよ」
「…えっ?」
うまく言葉になんてできない。
カウンセラーじゃあるまいし。
けれど、
「私がシエルだったとしても、そうする」
背中を押すことに、躊躇いはいらない。
「どっちみち戦争するかどうかは上の人間が決めるんだし…クーデターなんて起こそうものなら今度は他国につけいられる…」
「…………」
「だから、最強の魔術師でありながらも堂々と真正面からお断り…せめて戦力としてカウントさせないためにも」
「…はいっ」
「カッコイイんじゃない?」
「はいっ!」
シエルの顔にもう陰りはない。
けれど、その歩みに間違いはなかったのだと。
正しかったのだと、確信を得た…
そんな、強い顔だ。
「戦争なんてくだらないんだって分からせましょう」
「でも…どうやって?」
「あなたの夢が、その助けになるかもしれないじゃない」
シエルは首をかしげている。
何を言っているのか、イマイチ分かっていないらしい。
「あなたが教えてくれたことよ、シエル」
そうだ、シエルが教えてくれたのだ。
何よりも尊いものを。
何よりも幸せなことを。
だから。
「ま、やるだけやってみればいいってことよ」
ここに宣言する。
「一緒に食べるご飯の味を知ってもらうのよ!世界一あったかい弁当屋さんにするのよ!」
高らかに。
「腹が減っては戦は出来ぬ!腹が膨れればみんな幸せ!」