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ゴミ屋敷の姫君と家出騎士  作者: 森戸玲有
第2章 死ねない姫君
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第2章 ③

「料理が冷めてしまうので、無理強いは承知で連れてきてしまいました。質素で申し訳ありませんが、召し上がって下さい」


 給仕のような台詞を吐かないで欲しかった。


「……どうして、こんな?」

「俺が作りました」

「貴方は、身分のある騎士なのでは?」

「……騎士は、野営もしますから、自炊くらいは出来るんです。それで、台所を拝借しました。事後報告なのは勘弁して下さい」

「いえ。そんなことは、どうでも良いんですけど」


 そもそも、あの台所は使えたのだろうか。

 エアリアは一年以上、台所に踏み入っていないのだ。何が置いてあったのかすら、おぼろげな記憶と化している。そーっと、台所のある方を振り返ってみると、しかし、そこには有り得ない光景が広がっていた。


「ここは私の家……ですよね? セイル殿」


 埃一つない廊下は、朝日を浴びて燦然と輝いている。

 台所は余分な物が一切なく、磨き上げられた調理具だけがぶら下がり、整然となっていた。埃が山積した椅子や箪笥、棚のすべてが、隅々までが新品に近い状態となっている。


(有り得ない)


「もしかして、寝ている間に、家ごと移動してしまったということはないんですか?」


 しかし、エアリアの傍らに姿勢良く立っているセイルは大きく首を振った。


「僭越ながら、探し物ついでに、片づけさせてもらいましたけど?」

「はあ?」


 エアリアは魂が抜けたように、自分の屋敷とは思えない綺麗でさっぱりした居間と台所を見渡していた。……が、その麗しい景色の中に有り得ないものを発見して、目を擦った。


「あれ?」


 向かいの椅子に、灰色の頭のようなものが見える。

 目を凝らすと、等身大の子供の人形のようだった。


(薬のせいかしら? 変な幻まで見えるわ……)


 何も見なかったことにして顔を逸らしたら、どんと机が鳴った。


「あのねえ」

「人形が喋った?」


 ……というより、今、机を叩かなかったか?


「私は、置物じゃないんだけどね。エアリアさん」

「ええっと……?」


 エアリアは、すがるようにセイルを見上げた。


「どうして、ここに子供の人形がいるんでしょうか?」

「……ああ。この人形はですね……」


 セイルが言い辛そうにしていると、短い脚をばたつかせた反動で少年は床の上に降り立った。首に巻いたスカーフを直しながら咳払いすると、エアリアの前につかつかと歩み寄って来る。


「わっ?」


 エアリアは、いきなりのことで立ち上がる余裕すらなかった。


「私は人形ではないよ。一応、人間だよ。……子供だけどね」

「はあ。そうですか」


 戸惑っているエアリアを置き去りにして、少年は刺々しく口を動かした。


「……で。エアリアさん。別に私も掃除が好きじゃないよ。だけど、あの状態は緩やかな自殺行為のようなもんだと思った。私は悪臭でも、人が死ぬんじゃないかと、真面目に考えてしまったんだから」

「……それは、すいません」


 ……勢いに気圧されて、エアリアは謝ってしまったが、しかし、どうして、不法侵入している身元不明の少年に、朝一番で説教されなければならないのだろうか?

 しかも、この半ズボンの少年、見た目の愛らしさより遥かに老成した口調である。


「生きようとする人間の本能をここぞとばかりに発揮して掃除したんだよ。もっとも、ここ以外はまだ手つかずですけどね。人は生きている以上、健全かつ、小奇麗な生活を送るべきではないのですか。違うかな。エアリアさん?」

「……そう……ですか」


 要するに、この少年は、セイルと共に、汚い部屋を片付ける羽目になったことが悔しいのだろう。

 だけど、そんなことをエアリアは頼んだ覚えもなければ、セイルの滞在も、この少年の侵入も許可したわけでもない。騙し討ちのように、セイルに睡眠薬を盛られただけなのだ。


「あの、エアリア様。ちなみに、この者は……」


 セイルが渋々口を挟んだが、少年の方が早かった。


「私は、セイル君の弟のリュファと言います」

「……おとう……、弟さんですか?」

「はい。とても仲の良い兄弟です」


 リュファは嬉しそうに、胸を張る。

 自分で仲が良いと断言する時点で、すでに胡散臭かった。しかも、二人はまったく似てないのだ。灰色の髪で子供のくせに、大人の色気が漂うリュファと、太陽のような髪色で、大人のくせにまだ少しあどけなさの残るセイル。


(本当に兄弟?)


 セイルの反応を見ようとしたが、リュファの青灰色の瞳がエアリアを射抜いていて、目を逸らすことができなかった。


「セイル兄さんから聞いたんですよ。エアリアさん。何でも死んだことになっている公女様だとか? セイル兄さんが貴方を殺るんだか、この部屋の悪臭でセイルさんが殺られる予定だったのかは、分からないけど、私はあくまで傍観者。貴方にとって無味無臭無害ですから、大丈夫ですよ。以後、よろしくお願いします」

「はあ?」


 もちろん、よろしくする気など、エアリアにはこれっぽっちもない。

 あれだけ耳の痛い小言を繰り出した挙句、手を差し出してくるリュファに違和感は覚えても、握手する気にはなれなかった。


(これこそ、夢だわ)


 悪夢だ。困惑を通り越して呆然としていると、セイルがエアリアの隣に座っていた。


「もう何でもいいですよ。ともかく、二人共座ったらどうですか? 食事が冷めますよ。せっかく作ったんですから、食べましょうよ」

「それもそうだ。お腹もすいたし、頂こう」


 リュファは今までのことがなかったかのように、先ほど掛けていたエアリアの向いの席に戻り、ナイフとフォークを握りしめた。 

 兄弟のくせに、セイルの態度がよそよそしい。

 いや、どちらかというとリュファが横柄で、セイルが一歩引いている印象だった。

 口を開けてぽかんとしていると、セイルがこちらを見ていた。


「目の前にあるのが、エアリア様の分です。気に入りませんか?」


 頂くことが前提の物言いだ。ここで、いらないとエアリアがごねたら、どうなることか?


(殺される?)


 いや、まさしく、その瞬間を迎えるべくエアリアはセイルといるわけだが……。


「エアリア様。味には自信があるんです。冷めないうちにどうぞ」


 にっこりと微笑みで促された。


「……でも」

「いいから、食べてよ。エアリアさん。一応、この屋敷の主である貴方が食べないと、私が食べられないじゃないですか」


 一応、リュファは礼儀だけは学んでいるらしい。しかし、兄のセイルのことは、どうでもいいのだろうか?


「そういうことですので、エアリア様、早く」


 綺麗な顔が二つ、至近距離でエアリアに注目している。

 エアリアは屈して、熱いスープを口の中に流し込んだ。

 久々に温かい物が喉を伝い、「美味しい」と口から感想がでかける。


「ほうら。エアリア様。やっぱりお腹すいていたんじゃないですか」

「……うっ」


 スープを口に運んでみるまで、空腹だったことに無意識だったので、エアリアはやりこめられたような気がして、悔しくなった。


「エアリアさん、美味しそうに食べてたね。私も食べよう」

「違います。私は」


 しかし、実際エアリアはリュファやセイルより早く完食していた。


「早いですね」


 したり顔を浮かべているだろう、セイルの顔が見られなかった。


(何たること……)


 食事なんて、胃に入ってしまえばすべて一緒のはずなのに……。

 とっさに気の利いた言い訳を考えていると、エアリアより遅れて完食したリュファが笑いの混じった声で言った。


「そうか。エアリアさんは、この食事に毒が入っているんだと思って、懸命に食べたんだ。確か、セイル兄さんはエアリアさんを暗殺するって設定だったから」

「……そうです。そうなんです。毒が入ってると思って」


 うっかりリュファに便乗したが、セイルはにやにや笑うばかりだ。


「ああ、そうでしたか。……それは、申し訳ない。貴方の期待を裏切ってしまいましたね。昨日は一晩中片づけるのに夢中で、そんなことすっかり忘れていたんですよ」

「忘れちゃ駄目じゃないですか」


 エアリアは、身を乗り出した。


「だって、セイル殿の仕事はそれでしょう? 何処かに御目付役だっているんじゃ?」

「ああ。それ。セイル兄さんの御目付役は私なんだ」


 あまりにもさらっとリュファが言ったので、エアリアは最初、意味が分からず、数瞬だけ呼吸が止まった。


「えっ。でも、君はまだ子供で……?」

「子供とか関係ないさ。私がセイル兄さんの仕事を監視して報告する役目。まあ、ノーヴィエの成人式まで時間もたっぷりありますから、殺すとか殺さないとか、好きにやってよ」

「……ということです」


 ナイフとフォークを皿に置いたセイルが、あっさりと認める。


「それに、食事に毒を入れるなんてとんでもない。エアリア様。俺は俺の優雅な朝食の時間を台無しする気は毛頭ないのですよ」


(……何だ。それ?)


 エアリアが反論できないことを知って、リュファが大声で笑った。


「そうだよね。確かに、セイル兄さんの言う通りだ。即効性の毒で苦しんで倒れられたりしたら、食事がまずくなるし。遅効性のなら良いかもしれないけど、やっぱり食事に混入するのは、私は反対だな。遺体の処理も大変そうだし……」


(こいつら……) 


 わなわなと拳を震わせていると、空になった皿の上にパンが置かれていた。


「何ですか?」

「どうぞ、食べて下さい」

「もういいですよ。私はお腹いっぱいですから。リュファ君にでも」

「残念ながら、私もお腹一杯」

「じゃあ、セイル殿が」

「俺はいりません。でも、残ったら、捨てます。俺は身分のある騎士ですから、昼食に残飯など口にはしません。エアリア様は、もったいないとは思わないんですかね?」

「…………ぐっ」 


 セイルの瞳は、本気だった。


(捨てるだなんて……)


 悪いのは、染みついてしまった貧乏のせいだ。エアリアは渋々パンを頬張る。本当はまだお腹が空いていたのだ。――しかし。


「あれ?」

「何でしょう?」

「材料はどうしたのですか? ここには何もなかったはずです。この辺りに早朝からやっているお店はなかったのでは?」

「……ああ」


 セイルは用意していたナプキンでに綺麗に口元を拭うと、上品な微笑みをエアリアに向けた。 ――一言。


「拾ってきましたけど。俺と弟の二人で」

「…………ああ。なるほど。拾って……」


 エアリアは首肯して、パンの塊を飲み込んでから、錆きった頭を久々に働かせた。


「拾った?」


 瑞々しい野菜と、香ばしいパン。そんなものが一式、道端に落ちているはずがない。盗んできたに違いない。


(……一体、どうやって?)


 子供のリュファはともかく、セイルは理性的な青年かと思っていたが、一体、何てことをしてくれたのだろうか?


 ――そうして。エアリアの懸念していたことは、速やかにその身に降りかかった。


「あんたかっ!?」

「………………はっ?」


 突然、土足で踏み込んできた大柄の女性は、凄まじい勢いで食卓のエアリアに掴みかかってきた。


「やっぱり、あんたなのね? うちの野菜を盗んだのは!?」


 女性は食卓に並んでいる生野菜を目にして、更に激しくエアリアの耳を掴んだ。


「出荷前の野菜に何てことしてくれたのよ!?」

「いたたたたっ」


(何で、私?)


 エアリアは何もしていない。この土地でずっと慎ましやかに生きてきたのだ。


「うわあ。酷いな。エアリアさん。とうとう盗みまで」


 この子供……。

 自分のしでかしたことが記憶にないのだろうか?


「何言って!? 盗んだのは君達でしょう。私はやってません」

「何? あんた、こんな子供に罪を着せようっていうわけ?」

「ちっ、違います。どうして、私が?」

「どう見たって、あんた以外考えられないじゃない?」

「…………あっ」


 セイルとリュファとエアリア。貴族然している二人と比べて明らかにエアリアの方が怪しさ満載の廃れ具合だった。


「今まで、あんたのことは素知らぬふりでいたけど、盗みまでするようになったんだから、放っちゃいられないよ」

「……私ではありません。こっ、この人たちが二人で」


 エアリアはセイルとリュファを交互に指差してみたが、彼らは丁度食後のお茶を啜っている最中だった。


「この人たちだって。まったく?」


 大柄の女性は、一応確認のつもりか、ずんずんセイルとリュファに迫ってみてから、すぐさまエアリアに向き直った。


「あんたさ。嘘は言わない方が身のためだと思うよ?」

「嘘じゃありません。本当にこの人たちが……。セイル殿。何とか言って下さいよ」


 完全に、エアリアの犯行だと思われている。セイルと一緒に食べていたはずなのに、エアリアだけ責められるというのは、どういうことなのか?

 セイルは優雅に水を一杯飲み終えると、空のカップを机に置き、腹が立つほど平然と言ってのけた。


「無断で拝借したものは仕方ないですね。エアリア様だって、どうせ死ぬ気満々なんです。労働して支払ったら良いではないですか。少しなら、俺も手伝いますから」

「何で? あの……手伝うとか、そういう問題ではなくてですね」


 戸惑っているとリュファが留めをさした。


「私も行きたいのは山々ですが、エアリアさんのための労働による徹夜でほとほと疲れてしまいました。しばらく休ませてもらいます」


 その言い草では、エアリアが酷い人間だと吹聴しているようなものではないか?


「こんな小さな子に徹夜で労働させるなんて」


 女性は、エアリアの手を引っ張った。男並みの怪力で、腕がもがれそうだった。


「あたたたっ! ちがっ、私は何も」

「盗人の分際で、往生際が悪いわね。ちょっと顔貸しなさいよ。落とし前は、きっちりつけてもらうから」


 ささやかな抵抗も虚しく、エアリアは女性に引き摺られて行った。


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