第4章 ⑦
形勢が不利だからと、兵士達は止めたが、エアリアの意志は変わらなかった。
このまま黙って、アリザスの館に幽閉されているわけにもいかないし、戦況が悪いのなら尚更、大人しく父のもとに引っ張り出されるわけにはいかなかった。
やはり、セイルが言っていた通り、もっと話すべきだった。とてつもなく後悔していた。
だから、いつもの受け身の姿勢をかなぐり捨てて、エアリアは自ら激戦地までやってきたのだ。
「……さあ、行きましょう」
勇ましく馬を下り、大剣を片手に、胸を張って前に進むエアリアにアリザスの館から着いてきた兵士たちは舌を巻いていた。ドレスはすでに機能性を優先して、下の部分を破り捨ててしまった。もう、こうなってくると、公女という肩書を真っ向捨てているような気もしないでもない。
「……あの、エアリア様は武道の経験があるのでしょうか?」
「小さい頃に少し。でも、最近運動不足で、鈍ってしまいました」
「いや。しかし」
エアリアの足元には、不意を衝かれて倒された大公側の兵士達が無数に転がっていた。今回、兵士達の出番はないようだ。
「まさか、相手も私自身が乗り込んで来ているとは思ってもいないのでしょう。女相手と手加減しているから、私でも倒せるんです」
アリザスの私兵にまで、魔女扱いはされたくないので、エアリアは適当に誤魔化しながら、雑木林に足を踏み入れる。
寡兵で攻めているのだから、アリザスが遠く離れたところで指揮する可能性は低い。
セイルだって昨晩エアリアのもとに来たくらいだ。イルミアや村に帰るより、アリザスと一緒にいると考えた方が自然なはずだか……。――一体、どこにいるのだろう?
「エアリア様。お怪我が……」
「剣先が掠っただけです。毒ではなさそうですから、平気ですよ」
指摘されて初めてエアリアは左腕から出血していることに気づいた。
この程度の傷、毒でないのなら、たいしたことではない。
「しかし、血が出ています。手当てしなければ」
「後でやりますよ。私は結構慣れてますから」
気遣わしげな衛兵に感謝をして、振り向いた矢先だった。
しかし、エアリアはとんでもないものを発見してしまった。
「…………えっ?」
雑木林から離れた開けた馬車道。先程、エアリアも通ってきた大道に、見覚えのある人がぼんやりと見えた。大柄で橙の目立つ髪色の女性だから、すぐに分かる。
――ネイだ。
「嘘?」
暴れるネイを、兵士達が数人がかりで押さえていた。
背後の豪奢な四頭馬車に拉致するつもりなのだろう。
まさか、オージスの妻と知っているわけではないだろうが……。
「ネイさん。何で、ここに?」
エアリアは反射的に来た道を駆け戻った。
「あっ、エアリア様っ!?」
エアリアの急な方向転換に呆気にとられた兵士たちが不揃いに叫んだが、エアリアの耳には入らなかった。確信は持てないが、きっと、彼女は夫のオージスの身を案じてここに来たたのだろう。見てしまったのに、放っては置けない。
「エアリアっ!」
前方からすっ飛んできたエアリアに、ネイが激しく怒鳴りつけた。
「来ちゃ駄目よっ!!」
「……分かってますけど。ネイさん」
エアリアは、もうネイの間近まで来てしまった。
「今更ですよ」
一応、警戒して剣を構えたが、案の定、囲まれていた。
(そういうことだろうとは思っていたけど……。でも)
応戦できると過信していた。人数の予想が誤っていた。せいぜい十人程度と踏んでいた兵士達の数は百以上いた。これは罠ではなく、正式な作戦だったのだ。
「私、馬鹿でした」
騎士団は、ネイがオージスの妻と知っていて拉致していたのだ。
(しかし、オージスさんの存在を分かっていたのなら、父上はなぜ?)
「――エアリア様」
「貴方は?」
おぼろげにエアリアの記憶に残っていた。
仰々しい兜を外して、エアリアの足元に傅いたのは騎士団の男だ。
肩までの長髪、額の大きな切り傷。
エアリアも子供の頃、何度か手合せしたことがあった。
「キーナスです。久しいことです。エアリア様。今回、この一軍の指揮を命じられました。よもや、事故で亡くなられたと聞いていた貴方様が生きていらっしゃるとは思いもよらず。まして、こんな形で再会するとは思ってもいませんでしたよ」
「私もですよ」
さらりと言い返すと、キーナスは少しだけ苦笑した。
「貴方がここまで来たと聞いたので、緊急手段を取らせて頂きました。こういうことは栄えある公国の騎士団はやらないことなのですが、主命であれば仕方ありません」
「言い訳ですか?」
「ええ。そうです。貴方の実力は騎士団の人間であれば、よく知っている。我々の今回の任務は、無事新しい領主を送り届けることと、貴方を大公のもとにお連れすることです。ノーヴィエ殿下の成人の儀が迫っている今、悪戯に時間を取っている暇はありません。大人しく剣を置いて、この女と引き換えになってもらいたいのです」
「……そうですね。確かに大公は余裕がないのでしょう。騎士団をこんな場所まで寄越して来たのだから」
キーナスの言い分は、真っ当だ。
確実に、エアリアの急所をついてくるのは、玄人らしかった。
(こういうのも、私らしいわね……)
やっと、手に馴染んできた剣を、その場に放り投げようと拳を緩める。
――しかし。
「ばかっ! 諦めるの?」
口が自由なネイが拘束された足をばたつかせながら叫んだ。
「私、聞いたわよ。オージスからあんたのこと。めちゃくちゃ落ち込んだんだから」
「ネイ……さん?」
「私はあんたのことは知らない。だけど、あんたの出て行った後のみんなのことを見てれば、貴方が愛されていたことは分かったわよ。私だって、嫌味の一つでも言ってやりたかったわ。もっと、ちゃんとあんたと話してれば良かったって、とても後悔したの。色々誤解していたこと、ちゃんと謝らせてよ。……だから」
(どうして、ネイさんは必死なんだろう?)
たった数日の付き合いだ。深い交わりも持たなかった。
それなのに、彼女はエアリアのために声を枯らしている。
「……ネイさん。貴方は」
オージスに会いに来ただけではなかったのか。
(私も捜していた……とか?)
それは自惚れかもしれないが、彼女が嘘をつく人間ではないことくらいは、さすがにエアリアにも分かっている。
「こんな形で、大公のもとに行ってみなさいよ。私のためなんかで、貴方が死んじゃったりしたら、死んでも恨むからね!」
「おいっ。うるさいぞ。女!」
「黙りなさい!」
エアリアは、ネイを押さえつけようとする下っ端兵士を一喝した。
(私が死んだら、恨むと、ネイさんが言ってる……)
――つまり。エアリアは大人しく、捕まるわけにはいかなくなった……ということだ。何とか、ネイを連れて逃げなければならない。
(一度捕まったふりをして、脱出するのが無難かもしれない)
だが、その辺りのことは既に彼らに計算されているはずだ。
難易度は高いだろう。エアリア一人で出来ることでもない。
(――誰か……)
もし、自分の傍らに誰かがいたら、上手く立ち回ることも出来るかもしれない。
自分の背中を安心して託せる人がいたら?
だけど、いつだって、エアリアの周囲には誰かがいたのだ。
それは、エアリアの望むような関わり方ではなかったかもしれない。
……でも、自分のことを心配して、関わろうとしていた人は至近距離にいた。
エアリアは自分のことが嫌いだから、周りが見えていなかっただけだった。
――……そう。だから、ほら。
「まったく、貴方は何しているんですか?」
振り返れば、すぐそこにセイルがいた。




