第4章 ①
――そこまでして、エアリアを殺す必要はないのではないか?
心底で、セディウスはそう感じていた。
サファライドは、平和な国だ。イルミアから事実上独立をし、数百年。
国内で内乱が起こることはあっても、基本的に小競り合いで決着し、歴代の大公は上手く収めていた。
「後継者争い」なるものを、後添えに迎えた妻は恐れているが、そんなことになりはしないだろう。
城から追放したエフェクトの姫イリア……。
エアリアの母は、昨年病で死んだと伝え聞いた。
元々、二人を追放した際に、国内外に后と娘は事故で死んだのだと公式に発表していた。あの母娘は、表向きには死んだ人間だ。
セディウスとのつながりもなく、出自も判然としない娘。
どうせ何もできやしない。何を恐れる必要がある。
(まあ……。殺人は得意そうだが)
セディウスがイリアと共にエアリアを追放したのは、それが理由だった。
エアリアは、剣を持つと人が変わったように鬼気迫る顔つきで激しく打ち込む。
騎士団の連中は、剣才の持ち主だと囃し立てていたが、セディウスにとっては、薄気味悪いだけだった。
女に、剣術など必要ない。
欲しかったのは、男を癒す笑顔と、男に従う従順さだ。
政略結婚をさせるにしても、淑やかさの欠如している娘なんて高く売れない。
エアリアには、圧倒的に女性的な部分が不足していた。
息子を短剣で刺そうとしたイリアを目撃した時、さすがあの娘の母だと恐怖した。
二人まとめて、死んだ方が国益になるのではないかと、セディウスは本気で考えた。
結局、家臣にそれだけは駄目だと阻止されて、命を奪うのは断念したが……。
それでも自分の下した決断に、後悔はしていなかった。
サファライドがイルミアに接近するためには、エフェクトの血は排除しておかなければならなかったし、セディウスは、妻のイリアに憎しみを抱いても愛情は持てなかった。
――しかし。息子が成長するに従って、揺らいでいる自分がいた。
(…………一人息子というのがいけなかったのか)
「――殿下。ご機嫌麗しく」
「…………パトリシアか」
振り返ると、派手で重そうな紫のドレスを纏ったパトリシアが、わざとらしく口角を上げて立っていた。
豊満な胸元を隠しもしない、寒々しい格好だった。
自分の魅力を惜しみなくふりまく女は嫌いではなかったが、今は複雑な気持ちだった。パトリシアはセディウスの妻でもあるが、母でもあるのだ。
セディウスが自分に気付くのを待っていたようだが、痺れを切らしたらしい。
「こちらにいらっしゃるかと思いまして……」
城を形成している三つの塔。
セディウスは、その真ん中の塔の最上階から外界を俯瞰するのが好きだった。
世界が自分のもののような気がするからだ。
だからこそ、この場所で、むやみやたらに自分の側に人は寄らせたくなかったのだ。
いかに妻であっても、許せることではない。
しかし、叱りつけるのも面倒だった。パトリシアの言いたいことは分かっていた。
「安心するが良い。ノーヴィエの成人の儀は華やかにするつもりだ」
「……殿下」
しかし、途端にセディウスは、パトリシアの蛇のような視線に絡めとられて、硬直した。まだまだパトリシアは、言いたいことがあるらしい。
渋々、セディウスは人払いをした。
パトリシアは、音もなく立ち去って行く近従達の後ろ姿を見送ってから、堰を切ったかのように早口で捲し立てた。
「…………まだ。あの者は生きているというではありませんか?」
予想通りの話題だった。
セディウスは、溜息を吐き捨てることしかできない。
「私には他人事ではないのです」
パトリシアは、自分で情報屋を買っているらしいと耳にしていた。
次期大公の生母なら多少の差し出がましさは、仕方ないと目を瞑っていたが……。
――それでも、譲れないことはあった。
「感心しないな。パトリシア。エアリアの件は、余に考えがあったのだ。お前は刺客を雇って、アリザスと一緒にエアリアまで襲わせたそうだな?」
「ルピス領主は、殿下に忠誠を誓う証として、エアリアを殺すと言ったのに、一向に殺せなかったのですよ。まとめて、葬ってしまうのが良いと思ったのです」
「それは、余の意志ではない。余の目的は、ルピス領主にあえて叛乱を起こさせ、自滅させるのが狙いだったのだ。お前がおかしな真似をしたせいで、二人の接触が早まったのは明白だ。おかげで余は、弓兵まで動かして、アリザスを殺す羽目になってしまったわ。ノーヴィエの成人の儀まで、泳がせておけばよかったものを。まったく愚かな……」
「お許し下さい。殿下。私はいても立ってもいられなかったのです。今まで何度もエアリアに刺客を放ちましたが、すべて返り討ちされてしまうのですよ。あの娘は魔女です。ノーヴィエのことを思うと、恐ろしくて……」
「あれも一応は、私の娘だ。それ以上の侮辱は許さぬ」
「も……申し訳」
顔面蒼白でこちらを見上げるパトリシアを、セディウスは白い目で見返した。
パトリシアの刺客が返り討ちに遭うのは、セディウスにも想定内のことだった。
エアリアの剣腕がいかに天才的であるかは、騎士団の面々から散々報告を受けたセディウスにとっては、悉知の事柄だった。
しかし、パトリシアはそれを知らない。だから感情に任せて、素人の刺客を雇い続ける。永遠にこの女にエアリアは殺せないだろう。剣でエアリアは殺せないし、セディウスには殺す気もない。
――だが、アリザスは別だった。
「おかげで、余は他の手を考えなければならなくなってしまったではないか」
「それは一体?」
「……後任のルピス領主だ。ルピス領にはアリザスの忠臣もいる。エアリアとているのだ。エアリアが生きていることは、サファライドの重臣には周知の事実でもある。叛乱の芽は早めに摘んでおかねばならん。エアリアを頭にして、弔い合戦などされた日には、ノーヴィエの成人の儀どころではなくなるぞ」
「……そんな」
ようやく自分の浅はかさに気づいたのか、パトリシアは目を丸くして、両手で口を覆った。ここまでこの女が神経質になることも分からないでもなかった。
それは、セディウスにとっても由々しき問題だったからだ。
「母上様っ!」
背後から、めいいっぱい抱きしめられたパトリシアは前のめりになった。
「へへっ。やっと、母上様を見つけました!」
ノーヴィエが父の前で恥じらいもなく、パトリシアに抱き着いている。
セディウスは眉間に皺を寄せた。
ノーヴィエは一段と、太ったように見える。
体重だけなら、パトリシアを越えてしまいそうなくらいだ。
しかも、十一歳にもなっても母親離れが出来ず、姿がないと泣き喚くらしい。
勉学も剣術もやる気がなく、食べることだけが楽しみなのだそうだ。
ノーヴィエが一人息子でなければ、セディウスはすぐさま追い出していただろう。
「どうしたの? お父上も怖い顔をして?」
……無邪気? いや、違う。ただの馬鹿なのだ。
エアリアはルピス領で、ぽろぽろの衣服を纏い、落ちぶれているらしい。
壊れた人形のようになっているのだとか……。
いっそ殺してやった方があの娘のためなのかもしれない。公女として生まれた身で、その日の食べ物にも困るように成り果てたのでは、本人も居た堪れないだろう。
だが、セディウスは躊躇ってしまう。
子供の頃の利発で溌剌としたエアリアを、知っているせいだ。
イリアには憎しみがあったが、エアリアは、ただやり過ぎだだけだ。
(もしも、あの娘が男子であれば……)
たとえ、エフェクトの血を引いていたとしても、もう少し、面倒も見られたかもしれないのに……。
危険な芽は早々に摘むのが鉄則だが、それももったいないような気がする。
では、どうするぺきか?
芽が花になって、良からぬ輩に利用されるならば、その前に、身近に置いて監視の目を増やすしか手はない。
「いっそ、生け捕りにする……か」
セディウスは誰にも聞こえない小さな声で、ぽつりと呟いた。




