ep1.始まりの庭で
この外伝は、もとの原稿に誤字脱字の修正と少しの追記を加えてまとめ直したものです。
春の庭で少女が本をねだる一場面から始まり、本編とは別に、ヴィータの心の奥にあった小さな願いが生まれる瞬間を描いた物語です。一枚一枚、ページを開くように、そっと読み進めていただければ嬉しいです。
システム:おねだりするリリアのラクガキ挿絵を追加。20260219
ポカポカと温かい日が差している。春の匂いを含んだ風が庭をゆっくりと撫で、枝葉の影が地面に揺れていた。樹木の太い枝から吊られたブランコの座面の上で、小鴉が羽をふくらませ、陽だまりの中で気持ちよさそうにうたた寝をしている。
ときどき風に揺られ、ブランコの鎖がかすかにきしんだ……。その静けさを破るように、バタンとドアを閉める音が響いた。小鴉が驚いて目を開けるとーー銀髪少女が長い髪を陽に透かしながら走っていくのが見えた。
少女は1冊の本を両手で抱え、庭の木漏れ日の中を軽やかに駆け抜ける。足元の草がふわりと揺れ、白いワンピースの裾が風に踊った。ロッキングチェアでくつろぐ父親の元へたどり着くと、息を弾ませながら本を差し出した。
「お父さん、この本を読んで! 」
「どれどれ、『オーディン王の人形物語』かーー」
父親は笑みを浮かべ、木製の丸テーブルにその本をそっと置いた。テーブルの上には、朝の光を受けて温かく輝くマグカップが置かれている。
「早く早く、お膝に乗せてっ」
「あはは、わかったよ。さぁ、こっちにおいで」
少女は嬉しそうに父親の膝へ飛び乗った。父親が本を開くと、ページの紙がふわりと風に揺れ……物語の世界が静かに立ち上がった。
昔々あるところに仲のいい兄妹がいました。兄のヴィータは魔法の笛で怪物退治の仕事をしていました。妹のクイニーは料理が得意でした。クイニーは毎日、兄のために栄養たっぷりの美味しいスープを作ります。
ある日、ヴィータは森で暴れる怪物を退治した褒美に、オーディン王から会話できる美しい人形をもらいました。妹のクイニーはとても喜び、人形を大事にしていました。
しかし、人形が冷たい表情しかできないことを悲しみます。
「お兄ちゃんどうして人形は笑ってくれないの? 」
「それは人形に心がないからだ」
「人形の心はどこにあるの? 」
ヴィータはとても困りました。人形の心がどこにあるか分からなかったからです。クイニーはしくしくと泣き出しました。
ふと、ヴィータの目に部屋の隅に置かれた大きなおもちゃ箱が映りました。 それは森の奥で見つけ、こっそり持ち帰った獣王ガンドルのおもちゃ箱です。そっとフタを開けると、玩具の影の中で銀色に輝くハート形の小箱がひっそりと光っていました。
「これがきっと人形の心に違いない! 」
ヴィータは人形の胸にそれを入れました。するとーー人形はにっこりと微笑みながらクイニーの手を握りました。
「クイニー、いつも遊んでくれてありがとう」
「お人形が笑ってる! お兄ちゃんありがとう」
「どういたしましてクイニー。人形が笑ってよかったね」
「うん、お兄ちゃん。この人形の笑顔はなんて素敵なのかしら! 」
クイニーは人形を抱きしめました。ヴィータは嬉しそうにクイニーと人形を見ています。
「とても嬉しいわ! これからもあなたを妹のようにずっと可愛がるわね」
「クイニー、私もとても嬉しいわ」
クイニーは良いことを思いつきました。
「そうだわ、お人形さんに良いものをあげる! 」
クイニーは小さく息を弾ませています。胸の奥に浮かんだひらめきが嬉しくて、頬がほんのり赤く染まっていました。部屋の空気が少しだけ明るくなったように感じたヴィータはそっと口元を緩ませています。
クイニーは腕の中でそっと寄り添う人形を優しく抱えたまま、獣王ガンドルのおもちゃ箱のフタを開けました。ごそごそと何かを探しています。
「この中に姉妹の証が入ってるはずよーー。ほら、あった! このサファイアの耳飾りがそうよ! 1つをあなたの耳につけてあげるわ」
大きな耳飾りは人形には少し大きすぎました。しかし、耳につけた途端にふっと小さくなり、サファイアがきらりと光ります。クイニーはもう1つの耳飾りを自分の左耳につけました。
「これで今日からわたしが、あなたのお姉ちゃんよ」
「クイニーお姉ちゃん、ありがとう。大好きよ」
「お人形さん、わたしもあなたが大好きよ」
部屋には午後の柔らかな光が差し込み、床に敷かれた古い絨毯の模様が淡く浮かび上がっています。窓の外では小鳥がさえずり、クイニーの笑い声と混ざって、静かな家の中に小さな幸せの気配が満ちていました。
人形の銀髪は陽に透けて金色に揺れ、クイニーの腕の中でまるで本当に息づいているように見えました。ヴィータはその光景を見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じました。
本編では悪役として語られてきたヴィータにも、切なる願いがありました。
彼がどんな思いで妹を見つめ、どんな孤独を抱えていたのか。
本編では語られなかったその一端が、この外伝の中に滲んでいます。
この物語が、彼という人物の“別の顔”に触れる小さな手がかりになれば幸いです。




