情報伝達士、ハドーに憧れて
また、ナミーノ=ヒネッツァ間の戦いは、史上初の情報戦といえるものでもあった。ヒネッツァ国はその頃の一般的な情報伝達方法である駅伝制を使っていたのに対し、ナミーノ国では、情報はハゲンに一度集められ、ハドーと呼ばれる情報伝達使たちによって国全体に伝達された。この方法を万導制という。これにより、ナミーノ国は戦争に勝ち、この頃全盛期を迎えた。
―――『高校の世界史・改』より抜粋
◆
温かい日光を左腕に感じながら、やってくる睡魔を弾き、何とか意識を教室に留める。
5時間目の世界史ほど眠いものはない。先生の声が音として耳に入って抜けていく。ごめんなさい。世界史は嫌いじゃないんです。信じて。ただ窓際後ろから2番目で、かつ食後で眠いだけなんです。
心のなかで唱えながら、落ちてくるまぶたを開いてまばたきする。
先生が黄色い文字を黒板に書いた。
ノートに移したいけれど、うまく文字が描けない。
せめて覚えようと目を凝らす。最近は本当に視力が落ちた。
「ハゲン、ハドー…」
隣の席の人が少しだけ私を見た。おかげさまで、声が出ていたことに気づいた。我に返る。
周りを見渡したけど、どうやら誰も気づいてないみたいだった。ほっとする。
おかげさまで目が覚めた。
改めて黒板をみると、どうやらナミーノ国史をやっているらしい。ここしばらくナミーノ国だから、きっとまだ追いつけるだろう。
さっき覚えた「ハゲン」と「ハドー」をノートに書く。シャーペンで書いちゃったので消してオレンジペンでもう一度書く。
ハゲンというのは情報が集まる場所のことで、ハドーというのは情報を伝える人のことらしい。
授業はナミーノ=ヒネッツァ間の戦いが両国に与えた影響の話になった。どうやらこの二つの教科書太字にこれ以上の説明はないらしい。
私は「ハドー」が気になった。
どのくらい居たんだろう?
どのくらい優遇されたんだろう?
どんな人生を送るのだろう?
どんな人なんだろう?
どんな気持ちで情報を運んだんだろう?
気になって、資料集を開いてみる。93ページの右下に「万導制について」というコラムを見つけた。
ハゲンを中心として、約8kmごとに選ばれたハドーが並び、ピーテン(大きめの梯子のようなもの)に乗って情報を伝達する。動きによって情報を伝えるので、ハドーには10km先を見渡せる視力と、ピーテンの上で正確な動きを再現できる技術が求められた。
また、ナミーノ国では「万」は「数が多い」という意味を表し、沢山のハドーによって情報が伝えられることから「万導制」という名前が付いたとされている。
「これだけ…?」
ページをめくるとヒネッツァ国の財政グラフが現れる。情報が無いのか、それとも重要じゃないのか、ハドーの説明はもう無かった。
私は歴史が好きだけど、歴史の授業はこれだから好きになりきれない。人間の人生を、生き様をしれるから面白いのではないのだろうか、と思ってしまう。それなら、一つ一つの話を深められる古典の方が面白い。ちょっとメロドラマが多い気がするけど。
これ以上見ていても教えてくれない資料集を閉じて、ハドーに思いをはせる。想像する。左腕に当たる日光が心地いい。教室から出ていきそうになった意識をつなぎとめるために、瞬きをする。授業ではナミーノ国が滅亡していた。ヒネッツァ国の経済政策が成功したらしい。
話を聞こうにも集中ができない。やっぱり今日は都合が良すぎる。これは夢じゃない。
◆
ハゲンにある大広間に選ばれた者たちが並ぶ。およそ50人。僕は親友のチョウとともに、中央付近の場所に立っていた。
「おいフク、襟が曲がってるぞ」
左からチョウに囁かれて慌てて襟を直す。そのまま胸元のワッペンの31と書かれた刺繡を指でなぞる。やっとこの日が来た。ついにハドーになれたのだ。
チョウの胸には30の数字。つまりハゲンから伝わってくる情報はチョウからフクに伝わる。親友で一緒にハドーになるために練習してきたチョウとともに働けることが嬉しかった。
所々で聞こえていたざわめきが止まる。チョウと僕も話をやめて前を向くと、ハゲンの長官が僕たちの前に立っていた。敬礼の姿勢をとる。
「諸君!君たちはこれからハドーとして、この国の勝利に欠かせない存在となる!その自覚はあるか!」
「はい!」
突然のことに少し戸惑いかけた僕たちより一拍早く、チョウが高らかに返事をした。
「君は…」
「はい!30番ハドー、チョウ・ラムダレンスです!」
「ラムダレンス…ああ、あのウェベスターの、今年は今までになく美しいと評判だったな」
「お褒めに預かり光栄です!」
チョウが本当に嬉しそうに笑った。ウェベスターとは、ハドーの試験の中で最も動きが美しかったものに送られる称号である。ハドーは、情報伝達は勿論、情報伝達によってその地域の人々に希望を与える存在でもある。だから、動きの美しさも時には必要なのだ。チョウの担当する30番のピーテンがあるのは郊外の市の近くだ。
僕たちは自分たちの町で働くハドーの姿に憧れた。きっとチョウはそんな存在になるのだろう。
ちなみにウェベスター以外にも、ルッカーという最も遠くまで見渡せるものに送られる称号(この称号を与えられた人はピーテン同士の距離が遠いところの担当になる)や、ファスターという素早く正確に動ける人に贈られる称号もあるが、僕はどれにも選ばれていない。
でも、そもそもハドーに選ばれること自体名誉なことだから、正直そんな称号は雲の上という感じで、チョウが選ばれた時も嫉妬とかそういうのはあまり感じなかった。
長官から全員に情報が配られる。本当は各ピーテンに居なければいけない僕たちハドーが初仕事の前にこうして集まるのには理由がある。本当に情報が伝わるかの練習のために、全員が伝わってくる情報を分かった状態で一度情報伝達を行うのだ。
「伝達は二週間後の予定だ。それまでに全員担当のピーテンに向かうように。今配った紙は開かずに情報を読むこと。ひとつ前のハドーの情報を見たうえで、確認してから次のハドーに伝えるように。」
そこまで言うと、長官は一つ咳払いをして、一段階声を大きくした。
「ヒネッツァとの戦争は近い!練習の後は一秒たりとも気を抜くな!この国の、ナミーノ国の勝利は君たちの手にかかっていると言っても過言ではないのだ!忘れるな!戦地に立たずとも、君たちが戦争の中心に在るということを!」
「はい!」
今度は全員で声を揃えて敬礼する。確かにハドーに選ばれる僕たちは比較的剣や武術の才能に恵まれなかった人が多い。長官の言葉は、僕たちの闘志を燃え上がらせるのに十分だった。
集会が終わり僕たちはそれぞれ、最後の支度をするために一度家に帰る。遠いピーテン担当のハドーはもう出発するらしい。途中までは一緒なので、僕はチョウと明日の朝出発する約束をした。
「寝坊すんなよ、チョウ」
「お前もな。あ、フク」
「何だよ」
「その紙、絶対開くなよ。俺が正確に伝えるから。フクは開かなくても大丈夫だ」
自信たっぷりにチョウが笑う。わかった、と言って僕も笑い返した。
あっという間に二週間が過ぎ、僕はピーテンの上に立ってチョウが動くのを待っていた。僕の両手の松明にはまだ日はついていない。情報を相手から受け取ったタイミングで火を点けるのだ。
8km先に火が付いた。チョウが情報を受け取ったのだろう。僕も一層意識を集中させて目を凝らす。
「れ、ん、ち、る、0、0、あ」
同じ動きの繰り返しに入った。ここまでで一つの情報なのだろう。でも意味のある言葉にならない。
チョウの動きをもう一度目で追う。
「れ、ん、ち、る、0、0、あ」
何度見ても同じだった。このまま伝えてもいいけれど、これが正解ではない気がすると、直感的に思う。懐に入れていた紙を取り出す。
———俺が正確に伝えるから、フクは開かなくても大丈夫だ。
チョウの言葉を思い出して一瞬躊躇う。でもここでのミスは許されない。紙を開く。
『レンシュウ001』。紙にははっきりとそう書いてあった。もう一度チョウの動きを注視する。何度見てもその動きは『レンチル00ア』だった。
どうしようかと思ったけれど、今は情報が伝わったことにしないと練習が続かない。松明に火をつけて伝達完了の意思をチョウに示す。チョウの火が消えた。
向きを変えて、次のハドーに伝える。
レ、ン、シュ、ウ、0、0、1。
一つ一つ、大きく動いてはっきりと伝えた。動き始めると周りがざわつく。と言っても田んぼが多い場所だから、ピーテンの周りにいるのは数人の農家と子供たちだけだ。それでも歓声が上がる。この瞬間を楽しみにしていたはずなのに、心から喜ぶことができなかった。
四回繰り返して五回目の『レ』の形を作ろうとしたとき、32番の火が付いた。情報が伝わったことを確認して火を消す。
ピーテンから降りると拍手が起こる。手を大きくたたく子供たちに笑いかけながら、晴れない気持ちでチョウがいる方向を向く。8km。走ればそこまで遠い距離ではないはず。水筒の水を一口飲んで、走って行くことを決めた。
チョウに伝えなくてはいけないと思った。
町の中で、チョウは子供たちにせがまれて何度も舞を繰り返した。そう、「舞」だ。チョウが動くと、情報伝達ではなく美しい「舞」になる。ウェベスターの実力だった。
近くで見れば、見慣れた僕は『レンシュウ001』だとわかる。美しく舞うための癖がよく表れていると思った。
「おお、フク!どうした?」
チョウが僕に気付いて声をかけてきた。やはりチョウは気づいていない。僕が情報を正しく受け取れなかったことに。
僕は懐から開かれた紙を取り出した。『レンシュウ001』の文字を見せつける。チョウの眉間に皺が寄った後、はっと驚いたような顔になった。
「開かなくていい、って言ったよね。でもチョウの動きは『レンシュウ001』じゃなかった」
少しだけ強く言い過ぎてしまったかもしれない。チョウの顔に怒りの色が僅かに見える。
「何だよ、俺は絶対に正しく動いた。フクの視力の問題じゃないか?」
そう言うとチョウはもう一度舞を繰り返す。近くで見ればわかる。チョウは美しく『レンシュウ001』の動きをしている。でもそれは筆記体みたいな、流れるような動作で、遠くから見たら見間違えるのも納得だった。
「うん。この距離で見れば正しいってわかるよ。でも8km先じゃそうもいかない。もう少し一文字一文字はっきり動いてくれないと」
僕も『レンシュウ001』の動きをする。一文字ずつ、確実に。レ、ン、シュ、ウ、0、0、1。動きを見ていた子供が微妙な顔つきになった。確かにチョウの方が綺麗だ。
「フク、俺はウェベスターなんだ。美しく舞うことを求められてる」
ふわりとチョウが動く。『ハヤクイケ』の動き。新しい舞に子供の顔が輝いた。
確かに、僕とチョウが憧れたように、「人々が憧れるハドー」として正しいのはチョウなのだろう。でも。
「チョウ、僕たちの使命は何だ?情報を伝えることだろう?」
「美しい動きで、ハドーとして皆に希望を見せることもだろう?」
「正しく伝えなくちゃ意味がない。今は練習だから美しさとか、そう言うことが言えるのかもしれないけど、本番になったらその美しさが、一文字の違いが、国を揺るがすかもしれないんだ」
チョウが下を向く。唇を少し噛んでいた。
「チョウの動きは美しい。でも、ちゃんと伝えてほしい。この国のために」
前線で戦っている兵士が居る。僕たちには無い剣や武術の才能があるが故に、戦っている兵士たちが。僕たちの役目は、彼らを支えることだ。情報という武器によって。
チョウからの返事はない。火が消えた松明を握る手には筋が立っていた。僕のことを正したいのか、この会話をなかったことにしたいのか。でもどちらも叶わない。
戻るよ、と言うとチョウが顔を上げた。
「フクが心配することじゃない。俺はウェベスターに選ばれたハドーだからな」
お前とは違うとでも言わんばかりに偉そうに笑って僕に向かって拳を突き出した。今のチョウなら僕は心配しない。僕が思う以上に、こういう時のチョウは筋が通っている。
チョウの拳に拳を当てて、僕は31番のピーテンに駆け戻った。
練習から1週間過ぎたころ、眺めていたチョウの松明に明かりがついた。初めての本番だ。チョウの動きを注視する。
「ヒネッツァ、ト、オ、ン、オ、ト、セ」
今回は確実に、はっきりと読み取れた。確認のために二回目も見るが、疑いようがないので、手元の松明に火をつけて伝わったことを示す。どうやらヒネッツァとの戦争が始まるらしい。トオンはヒネッツァの城の名前だから、この城を手始めに攻めるのだろう。
チョウの松明の火が消える。見えるはずもないけど、チョウが自信たっぷりのいつもの笑顔で笑っている気がした。
32番の方向に向き直り、チョウの動きを繰り返す。ヒネッツァ(よく使うので一つの動作で表せるようになっている)、ト、オ、ン、オ、ト、セ。
決して戦うことは得意じゃない。でも僕はハドーとして国の役に立てる。だから僕の戦争のリアルはこのピーテンの上だ。そして、チョウの舞も素敵だけど、素朴でも正しく情報伝達をするハドーに、僕は憧れている。
ヒネッツァ、ト、オ、ン、オ、ト、セ。8km先で、火がついた。




