第4章「調査開始」
翌朝、莉花は普段より遅い時間に目を覚ました。昨日の出来事がまるで夢のように感じられたが、体の奥に残る力の感覚が、全てが現実だったことを物語っていた。
愛先輩はすでに起きていて、リビングでノートパソコンを開いていた。
「おはよう、莉花。昨夜、色々調べてみたよ」
「何か分かりましたか?」
莉花は隣に座った。画面には茉莉花トニックに関する情報がまとめられている。
「SNSの投稿を時系列で整理してみたの。面白いことが分かった」
愛先輩が画面を指差した。
「最初の投稿は三週間前。でも茉莉さんが作るのをやめたのは一週間前でしょ?なのに、この一週間の投稿数が急激に増えてる」
「ということは?」
「茉莉さんが作るのをやめた後に、別の誰かが大量生産を始めた可能性が高い」
画面には投稿数のグラフが表示されている。確かに一週間前から投稿数が急激に増加していた。
「しかも、最近の投稿を見ると、効果が異常に強いのよ。初期の頃は『少し運が良くなった』程度だったのに、最近は『人生が激変した』レベル」
莉花は眉をひそめた。
「茉莉さんが言ってた、ノートに勝手に追記されるレシピ。それがどんどん強力になってるってことですか?」
「たぶんね。そして問題は、それを作ってる人が誰なのか分からないこと」
その時、莉花のスマートフォンが鳴った。茉莉からの電話だった。
「莉花さん、大変です!商店街の状況を見に行ったら、昨日よりもっとひどくなってて」
茉莉の声は震えていた。
「どんな風に?」
「トニックを求める人たちが、店を片っ端から探し回ってるんです。それに、中には明らかに体調がおかしい人もいて」
「体調が?」
「異常に興奮してる人とか、逆に無気力になってる人とか。トニックの副作用だと思います」
莉花は立ち上がった。
「分かりました。今から行きます」
電話を切ると、愛先輩も準備を始めていた。
「私も行く。この目で確かめたい」
二人は急いで商店街に向かった。昨日とは打って変わって、街は異様な雰囲気に包まれていた。
あちこちで小さな騒動が起こっている。トニックを求めて店員に詰め寄る人、路上で意味不明な言葉を叫んでいる人、逆に道端に座り込んで無表情でいる人。
「これはひどい…」
愛先輩が呟いた。
莉花は辺りを見回した。すると、昨日見た空間の歪みが、今日はもっとはっきりと見えた。商店街の至る所に、小さな歪みが発生している。
「愛先輩、あそこの歪み、見えますか?」
莉花が指差したが、愛先輩には見えないようだった。
「歪み?何も見えないけど」
やはり、莉花にしか見えないらしい。歪みの向こうに、別の世界の光景がぼんやりと見える。どの歪みも、微妙に違う風景を映していた。
その時、前方から茉莉が駆け寄ってきた。
「莉花さん、愛さん!大変なことになってます」
「どうしたんですか?」
「カフェの方で大騒動が起こってるんです。トニックの効果で恋愛が成就した人たちが、みんな同じ人を好きになってしまって」
三人は急いでスポーツカフェ「アクティブ」に向かった。店の前には大勢の人だかりができている。
中を覗くと、とんでもない状況になっていた。十数人の男女が、一人の男性を取り囲んでいる。その男性は困惑しきった表情で、なすすべもなく立ち尽くしている。
「田中君、私と付き合って!」 「いえ、私の方が先に告白したんです!」 「僕だって田中君が好きなんだ!」
男女問わず、みんなが同じ人物に告白している。店長の田村さんは必死に止めようとしているが、収拾がつかない状態だった。
「あれが噂のトニック効果か…」
愛先輩が呆れたように言った。
「でも変ですね。恋愛成就って、本来なら相手がいるはずなのに、なんでみんな同じ人を?」
莉花の疑問に、茉莉が答えた。
「たぶん、効果が暴走してるんです。『恋愛成就』の願いが、『誰でもいいから恋人を』に変化して、たまたま目に入った人に向かってしまった」
「それって、もはや恋愛じゃないですよね」
「そうです。だから危険なんです」
莉花は店に入ろうとしたが、群衆の勢いが激しすぎて近づけない。そこで、昨日覚醒した身体能力を使うことにした。
「みんな、落ち着いて!」
莉花の声は、普通の人間の声量をはるかに超えていた。店内にいた全員が振り返る。
「あなたたちが求めてるのは、本当の恋愛じゃないでしょう?」
莉花は群衆の中に入っていった。その存在感は圧倒的で、興奋していた人たちも次第に静まっていく。
「トニックの効果で、判断力が曇ってるんです。一度冷静になって考えてみてください」
莉花の言葉には不思議な説得力があった。茉莉も愛先輩も、その迫力に驚いていた。
しばらくすると、群衆は徐々に散っていった。しかし、完全に問題が解決したわけではない。店を出た人たちも、まだふらふらとした様子で街を徘徊している。
「莉花、今のは何?普通の人間の説得力じゃなかったよ」
愛先輩が驚いた表情で言った。
「わからない…でも、体が勝手に」
莉花も困惑していた。昨日から続く身体能力の向上に加えて、今度は精神的な影響力まで身についたようだった。
店長の田村さんが近づいてきた。
「莉花ちゃん、助かったよ。でも一体何が起こってるんだ?街全体がおかしくなってる」
「それを調べてるところなんです」
莉花は簡潔に状況を説明した。田村さんも納得した様子だった。
「それで、何か手がかりは見つかったのかい?」
「今のところ、トニックを大量生産してる人物がいることまでは分かってます」
その時、茉莉のスマートフォンが鳴った。メッセージの通知だった。
「あ、美咲からです」
茉莉がメッセージを確認すると、顔が青ざめた。
「どうしたんですか?」
「大学で、トニックの大量配布が行われてるって」
「大量配布?」
莉花は驚いた。
「どういうことですか?」
「詳しくは分からないけど、キャンパスで誰かが無料でトニックを配ってるらしいです。学生たちがみんな飛びついてるって」
三人は顔を見合わせた。事態は予想以上に深刻になっている。
「すぐに大学に行きましょう」
莉花が決断した時、また新たな問題が発生した。
商店街の向こうから、大きな爆発音が聞こえてきたのだ。三人は音のした方向に駆けつけた。
現場は惨憺たる状況だった。小さな薬局の前で、何らかの爆発が起こったらしい。建物の一部が破損し、ガラスが散乱している。
「何が起こったんですか?」
野次馬の一人に聞くと、驚くべき答えが返ってきた。
「トニックを自分で作ろうとした人がいたんだって。でも調合に失敗して、爆発したらしい」
「自分で作ろうと?」
「ああ、最近トニックが手に入りにくくなってるから、レシピを真似して作ろうとする人が増えてるんだ」
莉花は愛先輩と茉莉を見た。状況はもはや個人レベルの問題ではなくなっている。
「これは…街全体の問題になってますね」
茉莉が小さな声で言った。
「私が始めたことが、こんなことに」
「茉莉さん、自分を責めるのはやめてください」
莉花は茉莉の肩を掴んだ。
「今は解決することが大事です。誰の責任かは後で考えればいい」
その時、莉花の視界に新たな歪みが現れた。今度は爆発現場の真上に、大きな歪みが出現している。
「また歪みが…」
莉花が見上げると、歪みの向こうに別の世界の光景が見えた。そこでも同じような爆発が起こっているようだった。しかし、その世界では爆発の規模がもっと大きく、建物全体が破壊されている。
「あの世界では、もっとひどいことになってる…」
莉花が呟いた時、歪みの向こうから声が聞こえてきた。
「莉花、聞こえる?」
昨日と同じ、自分によく似た声だった。
「茉莉花さん?」
「そう。状況は分かってる。あなたの世界でも暴走が始まったのね」
「暴走?」
「トニックの効果が制御できなくなってる。このままだと、物理法則まで破綻する可能性がある」
莉花は震え上がった。物理法則の破綻など、想像もつかない事態だった。
「どうすればいいんですか?」
「まず、トニックの大量生産を止めなければならない。そして、ノートに追記されたレシピを無効化する必要がある」
「ノートのレシピを?」
「そう。でも一人では無理。私たちが協力しなければ」
歪みの向こうの茉莉花の声は、どこか疲れ切ったような響きがあった。
「私たち?」
「私たち三人よ。茉莉、莉花、そして茉莉花。本来は一つだった存在が、三つに分かれてしまった」
莉花は理解できずにいた。しかし、とにかく状況が深刻だということは分かった。
「今は何をすればいいですか?」
「大学でのトニック配布を止めて。そして、レシピノートを持っている茉莉を守って。ノートが悪用されると、事態はさらに悪化する」
歪みが次第に小さくなっていく。茉莉花の声も遠くなっていった。
「頑張って、莉花。あなたの行動力が、きっと世界を救う」
歪みが消失した後、莉花は呆然と立ち尽くしていた。
「莉花、どうしたの?また何か見えた?」
愛先輩が心配そうに聞いた。
「はい…でも、今は説明してる時間がありません」
莉花は決断した。
「大学に行きましょう。今すぐに」
三人は爆発現場を離れ、大学に向かった。莉花の心の中で、使命感がふつふつと沸き上がっていた。
茉莉花の言葉が正しければ、自分は単なる傍観者ではない。この問題を解決する鍵を握る存在の一人なのだ。
しかし、彼女たちが大学に到着した時、そこで目にしたのは想像を絶する混乱だった。




