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第44話 欠けていく日常
中村の日常は、ゆっくりと、しかし確実に崩壊し始めていた。
職場の同僚と会話していると、時折、彼らの顔が黒い水に滲む幻覚を見る。
幻覚は一瞬で消えるが、中村の心に深い影を落とす。
夜、自宅に戻り、家族写真を手に取った。
そこに写っているはずの妹・奈央の姿が、うっすらと欠け始めている。
まるで、鉛筆で描いた輪郭を消しゴムでぼやかしたように。
「……嘘だろ」 震える手で写真をこすっても、変化はない。
その夜、中村は眠れなかった。
時計の針が、午前3時を指した瞬間、カチリと音を立て、逆回転を始めた。
秒針はチクタクと後ろへ進み、一時間ほど逆行すると、何事もなかったかのように再び進み始める。
恐怖に耐えかねた中村は、深夜にもかかわらず先輩に電話をかけた。
しかし、先輩は静かに言った。
「その症状は、俺も通った道だ。……お前が払わぬ代償を、この世界が少しずつ請求し始めている」
「どうすればいいんですか……!」
「ひとつだけ方法がある。
再び『境界』を越えるんだ」 先輩の声は、迷いを含んでいなかった。




