第43話 半身の影
日常に戻ったはずの生活で、中村は奇妙な変化に気づく。
冷たい水に手を浸すと、影のような黒い波紋が広がる。
鏡の中では、背後にもう一つの自分が立っている。
夜、夢の中であの異空間の屋上が現れる。
先輩がそこで待っている。
「代償は必ず支払われる。お前が払わぬなら――誰かが代わりに払う」
振り向くと、そこには同僚の笑顔があった。
次の瞬間、その笑顔が黒い水に沈んでいく――。
追補編(改稿案)
中村は、薄暗い廊下の奥で足を止めた。
そこに、姿を消したはずの斎藤が立っていた。
「……お前、なんでここに」
斎藤は笑わなかった。
その顔は、過去の記憶を吐き出すように静かだった。
「俺もな……昔、ここから“誰か”を連れ帰ろうとしたんだ」
低く押し殺した声が、壁に染み込む。
「その時、代償を払うって、あの声に言われた。……払ったさ。全部な」
中村が一歩踏み出すと、斎藤の左半身が闇に溶けているのが見えた。
肩から下は輪郭が揺らぎ、黒い水面のように波打っている。
「選んだだろ、“一緒に帰る”って」
斎藤は言う。
「代償はこれからだ……中村。お前ももう、半分は向こうにいる」
――カチャン。
背後でロッカーの扉が勝手に開いた。そこに映った自分の姿に、中村は息を呑む。
鏡の中の自分は、左目から下が完全に透明になっていた。
しかも、映像の自分は勝手に笑っている。現実の自分が眉をひそめても、その笑顔は崩れない。
「……やめろ……」
中村は呟いた。だが、胸の奥から別の声が囁く。
――代わりに、あいつらを沈めればいい。
――お前だけは、助かる。
視界の端で、同僚の顔が黒い水に沈んでいく。
中村は手を伸ばそうとする――が、その手は現実では動かず、鏡の中だけが滑らかに沈む人影へと触れていく。
「それが、こっちの“ルール”だ」
斎藤の声は、もう現実からも遠ざかっていた。




