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第38話 もう一つの影
しばらく歩くと、霧が少しだけ薄くなった。
だが、周囲は依然として見通しが悪く、樹々の間に何かが潜んでいる気配がある。
先輩が足を止め、短く言った。
「……次は、お前だな」
奈央は首を傾げる。
「え?」
「森は順番に“試す”んだ。さっきは中村、次はお前だ」
その言葉と同時に、奈央の前に霧が渦を巻き、人影が立ち現れた。
「……お母さん?」
奈央の目が大きく見開かれる。
立っていたのは、数年前に亡くなった奈央の母。
優しく微笑みながらも、その目はどこか遠くを見ている。
「奈央……帰ってきなさい」
奈央の唇が震える。
「……お母さん、私……」
足が自然と一歩前へ出る。
中村が慌てて呼び止める。
「行くな! それは――」
「分かってる……分かってるけど……」奈央の声は涙で滲んでいた。
先輩が小さく息を吐いた。
「森は弱さに入り込む。立ち向かわないと飲まれるぞ」
母の姿は、腕を広げる。
奈央はその場に立ち尽くし、指先がわずかに震えていた。
「……ごめん。私、もう戻れない」
そう言った瞬間、奈央は強く目を閉じ、後ろへ一歩下がった。
母の姿は一瞬、悲しそうに揺れ、霧の中に溶けて消えた。
空気が重く沈む中、先輩がぽつりと呟く。
「……残るは、俺か」




