第36話 霧の中の影
境界の森に足を踏み入れた瞬間、世界が静まり返った。
風の音も、鳥の声も、何一つ聞こえない。
ただ、足元から立ちのぼる白い霧が、ゆっくりと三人を包み込んでいく。
「……妙だな。さっきまでの道が消えてる」
奈央が振り返ると、そこにはただの霧の壁が広がっていた。
「この森は、進むほどに“道”を喰うんだ」
先輩の声も、どこか遠くから響いてくるように聞こえる。
中村は胸の奥がざわつくのを感じた。足を前に出すたび、靴底が沈むような感覚がある。土ではなく、柔らかい何か――。
視線を落とした瞬間、そこにあったのは泥ではなく、無数の古びた写真だった。
「これ……全部、人の顔?」
奈央が震える声で呟く。
写真の中の顔は笑っていたり、泣いていたり、目を閉じていたり……どれも知らないはずなのに、不思議と懐かしさを感じさせた。
――その中に、一枚だけ、見覚えのある顔があった。
中村は思わず足を止める。そこに写っていたのは、幼い頃に亡くなったはずの姉、理子だった。
「……理子?」
写真の中の姉が、ゆっくりと瞬きをした。
「おかえり、中村」
その声は霧の奥から直接響いてくるようで、中村の背筋に冷たいものが走った。
「待て、中村!」
先輩の制止が飛ぶが、気づけば中村は霧の奥へと足を踏み出していた。
霧の中、理子が手を差し伸べている。
触れれば、もう二度と戻れない――そんな確信があった。




