第35話 境界の森へ
森を抜ける道を歩きながら、先輩はぽつりぽつりと語り始めた。
「……俺があいつに会ったのは、十年前だ」
中村は思わず振り返る。
十年――自分がまだ子どもだった頃だ。
「そのとき俺も、お前らと同じように“もう一人の自分”と向き合わされた。だが……俺は選択を誤った」
先輩の声は淡々としているが、その奥には深い悔恨が滲んでいた。
「選択?」
奈央が問い返すと、先輩は頷く。
「あいつらは、必ず“何か”を差し出させる。力と引き換えに、かけがえのないものをな」
中村の胸に、あの仮面の声が蘇る。
――“差し出せ”――
「俺は……仲間を守るために、自分の“時間”を差し出した。結果、数年分の記憶がごっそり消えた」
中村は息を飲んだ。記憶を奪う。それは、自分という存在を削ることと同じだ。
「じゃあ、そのときの仲間は……?」
奈央の声はかすれていた。
先輩は短く答える。
「生き延びた。だが、もう二度と会っていない」
沈黙が続く中、森の奥からひんやりとした風が吹き抜けてきた。
その風は、どこか鉄の匂いを含んでいる。
「ここから先が“境界の森”だ」
先輩は足を止め、腰の剣に手をかけた。
「この森は、あちら側とこちら側が混じり合う場所だ。道を踏み外せば、二度と戻れない」
中村と奈央は互いに目を合わせ、深く頷いた。
――もう、引き返すつもりはない。
「行こう」
先輩の合図とともに、三人は濃い霧の中へと足を踏み入れた。




